欧州遠征録【4】ノイシュバンシュタイン城。中世都市ディンケルスビュールへ。
もう二月を迎えましたね。
早いもので2019年もひと月が経過してしまう。新年早々いろんなことがあって大忙し。ただ最近は妙に嬉しいことが続いていて毎日が楽しいかもしれない。
ここ一週間はずっと引越しの準備に追われている。引っ越しってのは手間と金のかかるイベント。もちろん距離にもよるが、たとえ近い距離に引っ越すにしてもやっぱり面倒なことはさほど変わらない。
なによりネット回線の解約手続きが厄介。
以前住んでたアパートの場合はネットは管理会社が勝手に備え付けてくれてるやつだったので、その辺は解約する必要もなく今思えば非常に楽だったが、今住んでいるところは自由に好きな回線を引けるので自分で通信会社を選び、設定してもらう必要がある。
結局安くておトクな回線が引きたきゃそういう業者を自分で選べってこと。
自由に選択できるのはいい反面、支払いや諸手続きを全部自分でやらねばならないという意味では負担となる。どうせどの通信会社もあの手この手のせこい手でわけの分からんプランを提示しては消費者を混乱させて、最終的には効率よく金を搾り取れる方へと誘導する。というかどこを選んだって金は搾取される。やれやれ、これだから資本主義は。。。
9月にここへ入居した時、俺もおすすめに任せてソフ●バン●光とかいう会社の回線を引くことになった。しかしこいつがなかなか曲者で、使ったことのある方ならわかると思うが電話の受け入れ態勢が非常に劣悪だ。
特に解約の電話は繋がらん。そりゃそうだ。
オペレーター増やす気は無いのかとキレ散らかす。
何にせよこれは困った話で1時間待っても繋がらなかったという話すらあるというじゃないか。通信会社の謀略なのでは無いかと疑ってしまう。いくら待っても繋がらないようにして、お客の解約したいという戦意を著しく削いでしまおうという腹なのでは?
解約できずにずるずる引き伸ばして結局何年も払い続ける羽目になる、なんていうケースも少なくはない。
もうなんて言うか、電話以外で解約できるようにしてくれねえかな。
なんでネットで解約手続きできないんですか。
何の話だったか。ああそうか、引越しが大変だって話をしていて。
近所のスーパーから逐一ダンボールを抱えて帰宅するのもなかなかに骨の折れる作業。
みかんと、デカデカ書かれたダンボール抱えて車通り多い歩道歩くのクソ恥ずくないか?想像してみて。
いや、、こんな話をしたかったんじゃないです。
すみません。
前回までのあらすじ。
らべると同行者T先輩は二人でフランスの首都パリを脱出し、ドイツ南部の都市フュッセンまで辿り着き、そこで一泊する。
ってな具合でかなりざっくり要点だけを絞った前回までのあらすじだとは思うが、さて、何故我々が一見すると何も無いような田舎町、ともすると聞いたこともないような田舎町フュッセンなんかにやってきたと思う?
実はこの街の近郊には世界的に超有名な城であるノイシュバンシュタイン城がそびえている。
多くの人が聞いたことがあったり、一度は目にしたことのある城だとは思うが、実はこの城、ディズニーランドの象徴とも呼べるシンデレラ城のモデルだ。
さて我々は、そんな城を目指すことにする。
ノイシュバンシュタイン城で皆さまにお気をつけ願いたいのは、内部を見学する際には必ず事前予約が必要であるという点。
どうやら城の中を見学する際、数人単位の団体で城内部をぐるぐるまわるらしく、だから予約によって何時には何人、何時の回で何人〜だとか、そういうのを決めるらしい。
〜らしい、ってこの人やけに他人事っぽく供述するなぁと思った方、あなたのその勘は正しいです。
何故なら我々は予約した集合時間に間に合わせて到着することができず、結局城内部の見学に失敗したのである。
では何故そうなってしまったか。
話を当日の朝から振り返ってみましょう。
ご覧の通り、すがすがしい朝をホテルで迎えました。
一度ホテルを出てちょっと朝の街を散歩したり。
朝ごはんはホテルのバイキング。
そういえばパリのホテルで食べた朝食のバイキングもなかなか美味しかったなぁ。ヨーロッパのバイキングはチーズとハムの種類が豊富すぎてびっくりだ。ほんとに。
ハムだけで何種類あんの、って感じ。言葉じゃうまく言い表せないがとにかくすごいんだぜ。
あと、さすがはドイツ〜って感じで白ソーセージ(ドイツ語でヴァイスブルストっていうらしい)が美味しゅう。スクランブルエッグとかと一緒にね。
ブルストっていう語感が気に入ったT先輩はその後もレストランでブルストという字面を目にするたび、ファービー人形のモノマネなのか「ファーーーーーー、ブルスコブルスコw」と呟くようになる。
疲労が限界に達した者はこの手の呟きの頻度が多くなる傾向にある。
さて、いよいよ市街地から城に向かおう。
時刻はちょうど7時前。集合が確か8時半とかだったんだが、何が起こるか分からんので早めに行くことにする。ホテルはチェックアウトだったんですが背負いこんだ重たい荷物は全部ホテルの受付で預かってもらうことに。
さっそくバス乗り場らしきところに向かう。しかし一体切符はどこで買うんだろうか。事前に得た情報では切符はバスの中で販売しているということらしい。
料金は片道2ユーロ。
というか予定到着時刻の7時25分になってもバスが来ない。海外でバスが遅れたりするのは日常茶飯事だしそこはあまり気にせずに気長に待つ。そのために早く出たのだ。
予定時刻より約30分遅れでやっとバスが来ました。
さぁバスに乗ってみよう。周りの乗客は予めチケットを用意しているらしく、せっせと運転手にチケットを見せておりました。
さっそく運転手に切符を要求される。
持っていないと言う。え、だって、ここで払うんじゃあ・・・ないんすか??
というわけで2ユーロを差し出す我々。すると、
「Go Back!」
なぜかバスを叩き出されてしまう我々。バスは俺らをぽつんと残して走り去っていく。
今のGo Backとはどういう意味!???
バスの後ろに行けという意味なの?
それとも我々がそう受け取ったようにバスを出ろという意味だったのか、誰もいなくなったバス停で日本人二人の議論が始まった。
10分後、もっかい次のバスが来た。次の勝負には勝つ。いくぜ。
列に並んで乗り込み、運転席で再び2ユーロを見せる。
ところが再びバスの運転手は
「GO BACK!!」と言い放つ。
おパニック💢
ま、ちょ、ままま、ま〜〜、!!!
マーーーー!
悲痛な叫びにも関わらず、バスは無慈悲にも走り去った。
しかし無愛想な運転手の言葉の中に、うっすら4という数字があったことを振り返る。
…4?
もしかして往復料金4ユーロ払えば乗せてくれるってことだったの!?
しかし、もはや集合時間にも間に合わない。城のツアーは断念せざるを得ない。
もとはといえば予定時間から30分近くもバスが遅れるのが悪いのだけど??
いくら向こうが悪いとはいえ、フュッセンまで来た以上はなんとしてでもノイシュバンシュタイン城に向かわねばならない。旅人としての義務だ。
結局、あれこれ、そこらへんの親切なおじさんたちに色んな情報を教えてもらって、タクシーを見つけて城の麓まで向かうことに。
勘違いしちゃいけないが基本的にドイツ人はとても親切だよ(凶暴ともなるけど)。
ああ、最初からこうやっときゃよかったんだ。料金もそんなに高く無いし・・・。
海外のバスや電車の時刻表ガン無視を侮ってはいけません。
困った時はケチらずにタクシーを使いましょう。
近くまでやってきた時の見上げた城の壮麗さには目を奪われる。
城だけではない、昨日駅から見た岩山の美しさも今となってはより近い位置で楽しむことができるのだ。
この城までは長い山道を登って向かいます。周囲は何故かアジア人だらけ。
逆に欧米からの観光客がとても少ないような気も。
日本人と韓国人と中国人ってなんでこんなに集まるところも一緒なんでしょうかね。やっぱり似た者同士だ。
我々は近くの売店で瓶ビールを購入する
朝からビールを飲むことの背徳感はすごい。舐めていたぜ・・・。
美しい大自然を眺めながらビールを味わおうという算段である。
ビール瓶を片手に歩く我々はいかにもアル中。
周囲の視線など御構い無し。握りしめているのはスポーツドリンクだぜ?と言わんばかりに、城へと続く坂道を黙々と登っていきます。
我々の真横を、観光客を乗せた馬車が颯爽と駆けていく。ああいうのに乗るのも一つの観光スタイルなのだろうが歩きながらも案外悪くない。
馬車が糞を投下していくのを後続の車(うんこ回収車とでもいうべきか)が即座に拾い集めていくので道は理論上汚れません。だがそんな便利な車など存在しなかった中世から近世に至る馬車の全盛期には、道端はウンコで汚れ放題荒れ放題だったでしょう。
歴史の社会見学をした気持ちだ。
特に17,8世紀のパリじゃ馬に限らず人間の大小便も全て窓から街路に投げまくっていたじゃないですか。まさしく垂れ流し状態。水洗トイレなんてなかったし。
そういやヴェルサイユ宮殿って、その辺の廊下とかで貴族が放尿などしていたそうですよね。。。そう考えるとうーん、、、ちょっと行く気が失せましたわよね。意味不明だよ。
そんな狂った世界で道端のウンコを極力踏まずに歩けるように、と誕生したのがオトナの女性に必須のアイテム、ハイヒールだ。(諸説ありますけど)
当時の女性は丈の長い長いドレスを履いていましたから裾がなるべく汚れないように、という配慮ですね。
さて我々が先に足を進めていくと、突然雑木林が開ける。
そこから覗かれる景色の雄大さに腰を抜かす。
アルプスの美しさをここまで肌で実感したのはこれが初めてだろう。
そのまま先に進むと、いよいよ城らしきものが近くなっていきます。
岩山にそびえる城って感じ。 でかいな〜。当然だが先ほどとは迫力が段違いだ。なんにせよ、よくもまぁこんな場所に城なんて建てたもんだなあとただ驚くばかり。
城を建設したのは19世紀のバイエルン国王ルートヴィヒ2世ですが、彼は、その、極度のメルヘンオタクでして。。。というか非常に芸術家肌だった。
国のあちこちに城を建設しまくり、そのせいでバイエルン王国(ドイツは日本の藩みたいに昔はいくつかの国に分かれてた)の国家財政は底を尽きかけるわけです。国を憂いた大臣たちによる圧力で若くして王の座を終われ、それから数年後、謎の死を遂げる。
一説によれば暗殺されたとか。
狂王という呼び名もある彼だが、彼がこの城を作らなかったら今頃世界中から観光客が押し寄せることもなかったんだよね。
シンデレラ城もどんなデザインになっていたことやら。観光によってこの地方の経済が潤っているのも事実。もちろん岩山に作ったというだけあって居住性は最悪だ。
王がこの城に住まうこともほぼなかったとか。
そして、やっとこさ着く。
本来ならあそこの、ほら、わかるだろう、あの見えてる階段の先のさ、ほら、あんところから中に入れたんでしょう。
それとも別の入り口があるんでしょうかね。今となっては知りませんが。
知る由もないよ。
中に入りたかった?
入りたかったね。
俺は悔しいよ。
なんだよGo Backって。今もわからねえよ。
他に撮るものはありません。以上。解散。
日本の城でもそうだが、城ってのは結局中に入れないなら遠目に見るのが一番楽しい。
城の手前まで来ても特に何があるというわけでもない。そういうもんさ。
美しい景色を眺めながら美味しいビールを口にできたわけだし十分満足したので早速もと来た道を辿って帰ることに。
帰りはちゃんとバスに乗れましたね。
今度は片道だから2ユーロ握りしめて運転手に渡したらちゃんと券を買えましたね。三度目にしてようやく戦いに勝利したという感じです。
まじで最初のあれは何???
バスに乗って再び麓の市街地まで。お腹が空いたのでドイツ料理をと思ったが、当時の我々は何を考えていたのか分からないが偶然見かけた中華料理店を目にして飛び込んだ。
初めて海外で食べる中華料理!全然本場ではないから結局日本で食うのと何も変わりゃしない。物珍しさは皆無だったのでこの時の写真はありません。残念。
でもなんの変哲もないチャーハンでしたよ。ごちそうさま。
さて電車で我々はさっそく次の街へと向かうことに。フュッセン市内をゆっくり観光する暇もなく駅に駆け込む。何かと時間がないのだ。
さぁ、遥か北を目指します。
ところで。。。俺はロマンチック街道の総延長を侮っていたよ。
これは拾い物の画像だが、一番南にあるのが今我々のいるフュッセン。
これを2日かけていろんな街を観光しながら北上するという計画で、当初ネルトリンゲンにも立ち寄ろうと考えていたのだが、何をバカなことを…今日の夕方までにディンケルスビュールに到達するのに約4、5時間かかるというじゃないか。
ホテルはもう予約しちまってるんだぞ?
いちいちどっかの街に立ち寄って観光などしていては夜遅くなって本命のディンケルスビュールもろくに観光できなくなっちまう。
そりゃそうだ。。。日本にいた時はこんなに距離があるとは思わなかったが、よく考えてみりゃ九州縦断するくらいの距離があるんだ。
単にロマンチック街道と呼んで侮ると大変。街道上の全部の都市を回ろうと考えたら最低でも4日はかかると考えた方が良い(それでもかなりハードですな・・・)。
あまりの無計画ぶりに T先輩もどことなく不機嫌になっておりました。
大変申し訳ない、行き当たりばったりな性格なもんで。
それにしても電車が途中何度か停車して、一度他の電車に乗り換えねばならないこともあって完全に無人駅みたいな小さな駅で降ろされたりもしました。
でもこんな何てことない田舎でもすごく綺麗なもんです。
やはり電車でガタゴト揺られる旅はそれなりに良いものだ。
慌ただしさや心のざわめきもすぐに鳴りを潜める。
ついにネルトリンゲンに辿り着き、ここで電車を降ります。ネルトリンゲンといえばあの進○の巨人とかいう漫画の舞台のモデルになった街です。隕石が落ちてできたクレーターに作られた城壁の街だから丸いとかなんとか。
市内の観光はしません。というかそんな時間はないよ。
今度はバス停に移動してディンケルスビュール行きのバスに乗ります。
バスでしか行けないんですよねえ、あの街。。。
ディンケルスビュールは交通の便が少し悪くてロマンチック街道の旅ではツアーでもない限り飛ばされてしまいがちだが、れっきとした美しい街なのだ。
しかしバス乗り場にやって来たはいいものの、どこにもバスらしきバスが見えない。
ディンケルスビュール行きはどこ。。。
乗り場は確かにここで正しいはずなのになあ、と思ってバス停付近をうろうろしていると小さなマイクロバスが停車しておりました。まさか、あれが…?
半信半疑で近寄ってみますが、しかしなんかどうも違うような気もするな。
だってマイクロバスだぜ?せいぜい5、6人乗りの小型のあれだぜ…?
そう思って遠ざかりかけた時、若いお姉さんが近寄って来て「あなたたちディンケルスビュールに行きたいの?」と声をかけてくれた。「行きたいです!」と頷くと、
「ちょうどよかった、私たちもディンケルスビュールに行くの。あのバスね」
と、彼女は先ほどのマイクロバスを指差して。
どうやらやっぱりアレがそうらしい。。。冗談などではなかった。。。
我々はほっと安堵に包まれマイクロバスに乗り込むことに。乗り込もうとした時にやっとマイクロバスの後ろの電光掲示板がディンケルスビュール行きを表示する。まじでか。
さっきのお姉さんのお友達か、バスの前にはもう一人の若い女性がいた。どちらもすごく綺麗な方です。彼女たちは自転車をバスに積み込んでいる。ドイツ人は電車にも自転車を持ち込むくらいに自転車大好き民族。
運転手のおじさんが一人いたので、彼にお金を渡すとすんなりチケットが買えた。こうもすんなり乗れちゃうと今朝の苦労は一体なんだったんだい、って気分にもなるね。
バスの運転は荒い。運転手との距離も近い。
なんだこの旅。
カーステレオから流れてくる音楽でノリノリになってる前の座席三人のドイツ人。
後ろの席でおとなしく縮こまる日本人二人。
なんだこれ。。。何?
1時間くらいであっという間にディンケルスビュールに到着。
時刻はちょうど17時くらいで、なんとか無事にたどり着くことができてほっと安堵する。バスから降りると最初は新市街の方向に進んだのだが、間違えたと気づいて旧市街の方に引き返す。するとそこで先ほどバスでご一緒した二人のドイツ人女性と再びすれ違う。
なんか、やけに笑顔なんだよな。
彼女たちの前を通り過ぎる際、案内してくれてありがとうという気持ちを込めて
「アウフヴィーターゼン(さようなら!)」と言ってみる。
この旅で初めて使うドイツ語は案外勇気がいるね。だが向こうも笑顔で同じようにアウフヴィーターゼン、と言って見送ってくれました。言葉が通じるってすごく嬉しいなとこの時、強く思います。同時に、もっと英語喋れたら楽しいんだろうなあって気持ちもますます深まるわけで。それはこの時に限らず旅全体を通じて感じたことだ。
③ディンケルスビュールで「夜警」体験。
さて旧市街に入るにはこのお堀を越える必要があります。
中世の街というのは城塞都市であり、見張り台つきの城壁に囲まれているのが一般的。
掘にかけられた橋を渡って旧市街に入る。
この門の向こう側に美しい街並みが広がっていると思うと非常にワクワクです。
さ、門を抜けると…
いかにも古そうな建物が軒を連ねている。そして人通りが大変少ない。
今も人がちゃんと住んでいるというのだからひどく驚きだ。
しかし、こんなに美しい街に滞在できるのが今夜限りというのは頭の痛い話。
翌日もこの街に居たかったもんです。。。今もわりと後悔しています。
第二次世界大戦でドイツ全土はアメリカ・イギリス軍による熾烈な爆撃を受ける。
ベルリンやドレスデンといった大都市はもちろんのこと、空爆はこのようなロマンチック街道上の都市にも及んだ。ひどい話だよね。
今と違って文化財を保護するような慣習の薄かった時代の悲劇。
しかし、このディンケルスビュールは米英軍の空襲を一切合切免れた数少ない中世都市。1600年ごろからの街並みが当時のまま一つも変わることなく保存されているのは本当にすごいことなんです。
「ゴールデネ・ローズ(黄金の薔薇)」という名前のホテル。
内装が非常にアンティーク調で美しい。築400年は伊達じゃない。かつてどっかの国の王室の方も泊まったことがあるホテルらしく、壁にはその時の写真が飾られております。
これはイギリスの王族かな・・・?
日も暮れてきたしホテルを出て、ご飯を食べるついでに街を散策する。
今夜はドイツの伝統料理を食べようと気合十分。ドイツ料理かあ、ミュンヘンで食べたような肉の塊くらいしか頭に浮かばないな。他にどんなものがあるんだろう?
とりあえずビールが飲めりゃそれでいいやという気持ちになっていた。
非常にこぢんまりとした街で20分もあれば全部ぐるりと一周できるのがディンケルスビュールだ。それゆえに見学すべき博物館や目立つ建物もほとんどない。
聖ゲオルグ教会という建物がこの街で一番大きく、目印になる。観光客がやけに少ないのも頷けるな。
だがこの街でしか体験できない 行事があることを知っているからこそ、俺はあえてこの街に一泊することを強く望んだのであり。
それが何かは後ほど話すとして、ひとまずレストランへ行きましょう。
食べたのはシュニッツェルというバイエルン地方の豚肉を薄く叩いて引き伸ばし揚げた伝統料理。付け合わせがポテトというのがまたドイツらしい。
T先輩は大きなカリーブルストを頼んでいました。
さて、ご飯も食べ終えてホテルに戻ることになりましたが時刻はまだ7時半。
ホテルに戻ると疲れ果てたT先輩はベッドにダウンしておりました。
夜9時から聖ゲオルグ教会の前でお楽しみの催しがあるというのに先輩は「一人で行って来なさい」と呟いてぶっ倒れてしまう。今日1日無理させたことをやや申し訳なく思いつつ、シャワーだけ浴びて早速ホテルを出て集合場所に向かう。
夜9時。教会の前にはぞろぞろと人だかりができている。
さて、こんな教会の前で一体何が始まるというんだ。ワクワクだ。
…人だかりの前には、いつの間にか角笛を持ったおじさんが立っていた。
中世の衣服やマントを身にまとい、ぶぉ〜〜〜と勢いよく角笛を吹きます。
そして、ドイツ語で力強い声を響かせました。
何と言っているのかは全く分からないが雰囲気だけでめちゃくちゃ楽しめる。
これが「夜警」と呼ばれる中世の風習。火災や犯罪などを防止するためにこうやって街の人たちに呼びかけていたらしい。日本で言うところの「火の用心」。
角笛を吹くってのがまた格好いいだろう。おじさんは教会の前の広場から町中の飲食店をぐるぐる回っていく。我々集まった観光客もそんな彼の後についていく。
街のあちこちの飲食店を回りながら、おじさんに店の人がワイングラスを差し出します。ほら、サンタさんが家に来たらジュースやクッキーをご馳走するって話が海外じゃよくあるじゃないですか。あれと一緒(?)
店の人から受け取ったワインをまずはおじさんが一口。
そしておじさんから、集まった観光客に一人一人グラスを順に回していきます。
お隣にいた英語圏から来たと思われるご年配の老夫婦からワイングラスが回ってくる。
「さあ飲め、勢いよく」
おじ様に言われるまま、一口飲むことに。
「美味いだろ」と親指立ててくれました。本当に欧米の人ってのは愉快だね。
そしてそれをまた別の人に渡す。回し終えるとまた別のお店の前に移動して・・・。
言葉は通じなくても当時の夜警の雰囲気がビシビシと伝わって来るのがすごいよ。なんでも角笛おじさん、観光シーズンはほぼ毎日のようにこの夜警やってるんだと。
仕事なのかボランティアなのか分からないが。
そんな夜警がひと段落すると隣にいたドイツ人の男性から突然英語で声をかけられた。
「君はどこからやって来たのかい?」
30歳くらいの男性。日本から、と答えると話が盛り上がった。
どうやら彼は日本には何度か行ったことがあるらしく、東京で開かれたオクトーバーフェスト(ビール祭り)ではギターを演奏しに行ったことのあるお方らしい。ギターを演奏する写真など見せてもらってますます盛り上がり、最後は彼のご家族と一緒に写真を撮った。
残念ながら俺のカメラでは撮ってないんだよな。。。本当に惜しいことをしたなあ。だが、こうやって外国の人たちと交流を深めるのは本当に楽しいことだ。旅の一期一会です。
この先の旅でもいい出会いがありますようにと願いました。
さて非常に長くなりましたがディンケルスビュールの旅はこれにてひと段落です。
明日は朝早くから次の街・ローテンブルクへ向かわねばならないのでホテルに帰ったらすっかり疲れて眠り込んでしまいました。
ロマンチック街道の旅はまだ続きます。
それではまた次回もお楽しみに。
欧州遠征録【3】パリからミュンヘン、フュッセンへ陸路移動。
今日はやけに目玉が腫れぼったいし、まぶたが異様に重たい。
こんな状況で記事を書くのもあれなもんだが文章書くのは好きなので。
最近は毎朝ほぼ5時やら6時やらに目が覚めてるみたいだ。じじいだ。
美容師には「兄さん若い人とは思えないほど肩凝ってますねえ(嘲笑)」と笑われ母親には「風呂の湯をそんなに熱くするな爺さん」と罵倒される。いや1度しか上げてないが。。。43度ってそこまで高いお湯加減かな。高いな。さっき入れたら確かにな、ってなったわ。
妙だ。こんなに毎日筋トレやらランニングやらを繰り返しているというのに老化というのは確実に進行するもんだなあ、とやけに感心してしまう。
こんにちは。これに加えて何かと記憶喪失しがちならべるです。
昨日の晩御飯、あなたはすぐに言えますか?俺は言えません。悲しいことですが。
今回で遠征録も3回目を迎えました。書き始めといてなんだが何回続くのやら分からんので嫌になる。
嘘です。記事のネタが続くのはありがたいこと
④国境突破、ドイツ南部の都市フュッセンへ
朝早く。5時くらいに起きた我々は大忙しで身支度を整える。
ホテルを飛び出して朝7時の電車に飛び乗って我々はパリを脱出し、ドイツ南部の大都市ミュンヘンへ向かい、最終目的地フュッセンを夜までに目指すのであった。
陸路で国境を越えるという人生初の体験だよ。すでにワクワクが止まらない。
身支度の時、何せ当時コンタクト素人だったのでコンタクトレンズを目に入れるのが下手すぎてひどく手間取る。旅行前に初めてコンタクトを買ったのでね。
そんな時、後ろにいた先輩のTくんが一言「僕はコンタクト童貞」などとよく分からない自己紹介をしていたのだが、正直何と突っ込んだらいいかよく分からなかったし何せ時間がなかったのでスルーした記憶がある。今思えばなかなかにパワーワードだったので、今でもこうやって記憶に残っている。じわじわくるね。
夜明けまえの真っ暗なパリを歩くのはなかなかにスリリング。
明け方とはいえ暗い時間に外国の街を歩くのはこれが初めてなのだ。その恐れももっともだろう。
写真を撮る余裕なんてなかったのでこの時の写真は一枚も無い。今思えば撮っておけばよかったかも、なんて気持ちもあるが露光とかシャッター速度とか、ミラーレス買ったばかりの自分には全く使いこなせず(今も全然使いこなせていないが)暗闇でカメラを使うという考え自体存在しなかったようで。
タクシーを使えばいいものを「いやこんくらい歩けるっしょ」というTくんの無茶振りで二人、暗い街路をとぼとぼ歩く羽目になった。この先こういうことが多々ある。
いや本当に歩けるのか…?地味に遠いんだけど。。。
目指すはパリ東駅。この駅からドイツやルクセンブルク方面に向かう列車が出発する。
第一次世界大戦の際には数多くのフランス軍兵士がこの駅から西部戦線に向けて出征したという。歴史のある駅なんですなぁ(1800年代中頃に開通したとか)。
駅に至るまで通行人にはほとんど出くわさなかった。逆にそれが怖さを増す。
ひったくりとかやばい連中(ネオナチとか)に絡まれぬよう常に周囲を警戒しながら歩く。ここは日本じゃねえ。警戒しすぎてしすぎることはないからね。
鉄橋を越え(ほんまにこんなところ通れるんか…?)20分くらいでやっと駅の裏手までたどり着くことができた。
駅の裏手は、その、なんか。暗いし、汚い。
小便臭いし酔っ払いの若者どもが騒いどる。
まぁ、でも心配していたような怖さとかそういうのはあまりなかった。
福岡の天神とか、あの辺の飲み屋街の方がもっとやばいけどね。あそこはマジのスラム街ですし。ヨハネスブルクだ。ただちにコンドル軍団(※ゲルニカ空襲を敢行したドイツ空軍)による空爆を要請する。
そんなこんなで、おそらく6時ごろに駅に到着。
9月の6時と言うともっと明るい気もするが暗いし何より薄ら寒い。駅に到着できたはよかったのだが、ここでちょっとした困りごとが。
前の晩にネットで調べた限りでは確かにドイツへ向かう高速列車(ICE)が走っており、予約なしでもその場で切符が買えるということだ。しかし切符を買うための券売機を見つけるのに我々はしばし翻弄される。
完全にその辺りの情報は俺に任せっきりだったTくんの顔に急遽不安の色が滲む。
「本当にミュンヘンまで行けるの?」的な圧を背後からひたすらかけてくる。だだだ大丈夫だってと力説するが(力説できていないが)、意外と妙なところで心配性な彼の不安を払拭するためにも何としてでも切符の買い方を探し当てねばならない。
ようやく駅の端に券売機らしきものを見つけ、そこでミュンヘン行きの切符の表示画面を探し当てることに成功。
フランスの券売機とはいえ、きちんとフランス語以外にも英語表記やドイツ語表記も選択できるのでとてもありがたい。英語表記を選択し、200ユーロ(約2万円)ほどを支払ってなんとか切符の購入に成功。こうして国境を突破することが叶いそうだな。助かる。
少し待ってから乗車時間20分ほど前になってホームに向かう。電光掲示板のおかげで乗り場はそこまで迷わずに済んだ。
初めての長距離列車移動なのでワクワクは十分、ドキドキや不安も十分。
驚いたのはパリの地下鉄と違って改札をくぐる必要がないこと。
日本では地下鉄でも新幹線でも改札を通る必要があるが、日本で言う新幹線にあたるこのICEはどうやら車内で切符を見せるだけでいいらしい。
まあ、なんか改札無い方が外国の駅って感じだね。
なんとか座れました。
これで一安心。それではミュンヘンまでの約3時間の旅を、のどかな景色を楽しみながら過ごしましょう。
ずっとカメラを構えて車窓からの風景を眺めていた。
NHKだったかなんだか忘れたが車窓からの風景とか、とにかく外国の景色をただ垂れ流す番組、ああいうの大好きなんだよ。だから実際にそういうことするのは本当に憧れでした。
ミーハーなのでクラシック音楽を聴くなどしてみる。モーツァルトはオーストリアの作曲家だが、フランスの景色だろうと何だろうとこう綺麗なら何だって合うんだな。
いよいよフランスとドイツの国境地帯に差し掛かる。アルザス地方といえばストラスブールという都市が有名。戦争によって何度もドイツになったりフランスになったりを繰り返したが、最終的に第二次世界大戦でのドイツの敗北によってその所有権はフランスへと移ることとなる。
そのため街にはフランス様式の家やドイツ様式の建物が混在していて、そのせいか非常に美しい街並みを形成している。
今回もそんな歴史あるストラスブールを観光できたらよかったのだが時間がないので通り過ぎることに。残念だ。ホワイトア○バムとかいう某エロゲギャルゲのロケ地でもあるよね。
さて、いつのまにか国境を通過していたらしい。カールスルーエとかいう都市で電車が一旦停車。車窓から停車駅の表示板を見つめると、それまでずっとフランス語だったのが、ようやくドイツ語に切り替わっていた。
ついに我々はドイツ領内に足を踏み入れたのである。
ちょっと感動した。でも国境を跨いだ感じなどしない。今こそ「国境というものは人間が引いただけの線に過ぎない」という誰かさんの言葉が思い起こされる。
まあそうは言ってもね、国境跨いだだけで随分と言語も人種も変わっちゃうんだから国境ってものはそう簡単には決して消えないし、やっぱり見えなくてもずっと残るもんだと思いますよ。
何度か駅で降りたりしたが単なる乗り換えだし、順調にミュンヘンに向かっていた。何事もない静かな列車旅だ。
だがのんびりとくつろいで座っていた我々の何列か前の座席じゃ…なんか、昼間っからやけに賑やかじゃないの。
酒を飲んで酔っ払っているのか、若い大学生なのか自分たちと年齢がほとんど変わらないようなドイツ人の若者たちがわいわい騒いでいる。日本で言うところのパリピか。
観察するだけで面白い。これぞ異文化交流の醍醐味…
うわ、こっち来たやんけ。
二人か三人の男たちに、一気に我々小柄なヤーパン(日本人)は囲まれてしまう。
ドイツ産マッチョに囲まれちまった。怖い。さぁ、こういう時はどうすればいい?
でもちゃんと英語で話しかけてくれた。あら、意外に優しいのね。。。
「あんたらどこに行きたいの」
まずはミュンヘン行ってその先のフュッセンっていう街まで、と答える。
「俺たちからこのイカしたサングラスと酒、買ってみねえか?」
大体こんな感じの会話が交わされた。サングラスっていうか、、、あんたが掛けてるやつだろ?それ、どう見ても日本の百均で売ってるようなパーティーグッズの類じゃねえか。少なくともイカしてはない。てかタダじゃないのか。
あとちっちゃいプラスチックに入ったレモンリキュールかなんかを渡された。
というか買わされた。
いくらだったっけな、たしかサングラスとセットで5ユーロ(500円)くらい渡した。地味に高いな。
とにかく受け取っただっさいサングラスを掛けて俺はレモンリキュールを握りしめる。
「おら、飲んでみろ」
おう、飲んでやるとも。ジャップをなめるなと意気込んでぐいっと一気に飲み干した。量も度数も大したことがないのでちょっと拍子抜けだ。てっきり強いもん想像してたから。
すると場がわあ、と盛り上がる。
いいねえ、こういう体験は貴重だ。
わけの分からんシチュエーションだが、なんだか楽しくなってきたぞ。
というか電車で騒いでても周りの乗客は全然嫌な顔をしていない。むしろ我々のやりとりを見て笑っている具合だ。駅員も全く問題なさそうに通り過ぎていく。
日本とは全然違うもんだなあと思い知らされた。
隣にいたTくんももらったサングラス(眼鏡…?)をノリノリで掛け、そんであいつら、最後は一緒に写真を撮る。いいなあ、俺も自分のカメラで撮っておけばよかったなあ、と今になって少しだけ後悔している。少しだけ。
何事もなかったようにそんなお祭り騒ぎも去り、電車はミュンヘンまであと少し、というところまで近づいている。
車窓から見える景色もとても見応えがあるものばかりだ。
そして電車に揺られて随分長い時間が経過し、ようやく我々は念願のドイツ南部の大都市ミュンヘンに到達した。
ついにドイツの都市というものをしっかりと観光させていただきます。
う〜ん、ミュンヘン。人が多いです。みんな観光客だろうか。
それにしても道がすごく綺麗だ。パリとは全然違うのは素人目に見ても一目瞭然。どういうわけだ。
ドイツ人は綺麗好きとは一般的によく言われるが、どうやらそれは本当のことらしい。ゴミがほとんど落ちていないのである。
どこも清掃がよく行き届いていて安心して道を歩くことができた。これなら旅に不慣れな若者にも、ドイツは初心者向きな観光地と安心しておすすめできるのではなかろうか?どうだ?行ってみたいと思いませんか?
ところでもう昼の2時を過ぎたところだ。
昼は何も食っていないからミュンヘンで遅めの昼食を取ろうとかそんな話をちょうど電車の中でしていたところであった。よし、それならビアハウスに行こうぜと意気揚々とテンションを高めた我々。無類の酒好きがビアハウスに行かないわけがない。
大ジョッキでビールをがっといくのは夢だ。男のロマンだ。知らんけど。
やってきたのはパウラーナービール(銘柄)を専門に扱うお店。なんていう店だったかは覚えていないが旅行雑誌でも紹介されているような有名店であることには違いない。
テラス席でもよかったがせっかくなので中で。
中の方がむしろ結構空いていた。パリでもそうだったがヨーロッパ人はみんな外で飲むのが大好きらしい。もちろんその気持ちはよく分かる。暑い日差しの中で飲むビールは格別なものがあるというのはパリで散々味わったよ。
ラドラーとかいうビールを頼んだ。全部ドイツ語だったしわかんねえ〜ビールなんて全部一緒だろうがオラァ、という軽い気持ちで頼んだが、このラドラーが個人的には失敗した。
ひたすらに甘い。。。( i _ i )
レモン風味のビールといったところだ。好きな人は好きなのかもしれないが。。。
無論甘い酒が嫌いなわけではないのだが少なくともビールは苦いだけで正解という自分にとっては拷問に他ならない仕打ちである。それを一リットルとは…。
欲をかいて大きな葛籠(つづら)を選び失敗した某昔話のばあさんみたいな末路。
みんなも欲をかいて失敗することがないよう。
出てきた料理も先日のパリと同じように憎々しい、、、いや、肉肉しい。
肉まみれである。
どういうわけか。フレンチ野郎もフリッツ野郎も食文化が似てるのならもっと互いに仲良くしろよと言いたいところだが、多分もっと本気出せばフランスの方が断然美味いのだろう。
そりゃ間違いない。こりゃ失礼した。。。世界のフレンチだもんな。。。
いやでもすごく美味しかったですよ。なんせビールに合う合う。ラドラーでさえなければもっと合っただろう。まあ、それを言っちゃおしまいよ。
どこかしら悔やまれるが。
昼を食べ終えて、ややほろ酔い気味に満足した我々はミュンヘンを観光する暇もほとんどなく本日の最終目的地フュッセンに向かう電車に乗らねばならないと駅まで足を早めた。
フュッセンまでの電車に乗っていると、とても穏やかに時間が流れていく。
ミュンヘンから大体2時間程度経った頃か。
景色ものどかで牧歌的な風景が続き、湖がちらほら見えてきてアルプスの美しい山々がそびえ立っているのが目に入ってくると興奮はより一層高まってくる。
ドイツ南部のアルプスに囲まれた地域は本当に美しい。ドイツやオーストリアでクラシック音楽が発展した理由がなんとなく分かった気がする。
風景が音楽と見事にマッチしているのだ。
来たー!
こぢんまりとした駅ですが十分に美しい。
街並みもすごく可愛らしくてカメラが手放せないな。。。
なんだここは。。。
魔法の国か。。。
夜になるとまた景色が一変しますね。というか写真が下手くそだ。ブレッブレ。
夜景は全然撮り慣れていないので申し訳ない。
さて、一旦ホテルにチェックインします。
パリのホテルと違って落ち着いていますがここもまた素敵。
ホテルに荷物を置いた後はまた夜の街を徘徊しようじゃないの。
ただ美しいですね。
朝になったらまた違う景色が見れるんだろう。
夜何食べたか忘れたんですけど、多分何も食べなかったんじゃないんですかね。お菓子くらいか。なんせ昼遅くにあんなにボリューミーな肉を食って腹がいっぱいだったので。
というか街中を歩いてて思ったのは、こんなにも夜が静かで治安がいいのかと驚きました。まるで日本にいるみたいだね。
写真を見てもお分かり頂けるようにゴミも全く落ちていない。人気も少ない。静かな田舎の観光地ということもあるのでしょうが、この後ドイツの様々な大都市を見ても、やっぱりドイツの治安の良さといい、街の清潔感は非常に好きになる。
我々はほとんど何も買うこともなく、ホテルに戻ることにする。
というか食料品を売る店らしき店が全くないじゃないか。ビールを買いに来たはずなのに。
そうか、ヨーロッパでは早く店が閉まるってことをすっかり忘れていた。。。
◆おまけ◆
先輩は疲れのあまりに壊れてしまった。もうどうにもならない。
今日電車の中で例のドイツ人にもらったクソダサい眼鏡を喜んで掛けているので余程気に入ったらしい。
でもあの眼鏡、いま手元にないんですよね。
どこにいったんでしょうね。。。捨てたのかもしれないな。。。
そういうわけでようやく長い長い1日が終わりました。しかし無事に到着できて本当に良かったです。
次回は念願のノイシュバンシュタイン城に向かった話を書きましょう。
ではでは、次の記事もお楽しみに。
欧州遠征録【2】パリ3日目。凱旋門とエッフェル塔とナポレオンの墓を眺めに行く。
三日目のパリで我々はこの日も朝日を迎えた。
三日も経ちゃたとえ異国だろうが不思議と馴染んでくるものだな。ちゃんとパリの紳士淑女の皆様方に「メルスィーー」だの「ボンジューーール」だのと挨拶できるようになったから偉大な進歩です。「オルヴォワーーール(さようなら)」は相変わらず噛みそうになるし実際に何度か舌を噛んだ。
おフランスの言語は難しい。そもそも街中に溢れるフランス語の文字すら満足に読めない。
大学でフランス語を習得していた同行者のTくんがその辺はきちんと読めるもんで地下鉄の表記案内の解読は完全に彼に任せっきり。これじゃあ一人でぶらぶらと動くことも敵わん。はぐれたら、すなわち死を意味する。
てか、wi-fiばんばん飛んでるくせに簡単には繋がらんし。
でもフランス人、英語普通に喋れるんだよね。完全な思い違いだ。どうやら遠い異国のジャパニーズにはきちんと英語を使ってくれるらしい。その辺は紳士で好感が持てます。あと親日国らしいので(甚だ疑問ではあるが)日本語を喋るフランス人も一部見かけた。あと奥さんが日本人という文房具店の店主にも出会えたね。我々日本人に話しかけて遊ぶパリジャンもいたくらいだが、、、まぁ、なんにせよ日本が好きなようで、そこは別に悪い気はしない。
もちろん誇り高きフランス人は宿敵イギリス人に対しては英語など使わん(笑)底意地が悪いです。
さて我々はこの日パリの象徴ともいうべき凱旋門とエッフェル塔を目指すことにする。最初に向かったのは凱旋門である。やはりパリに来た以上は凱旋門の下をくぐらねばならない。
そんな決まりはない。
ちなみにイスラム過激派によるテロを警戒してパリではどんな場所に入るにしても必ず入り口付近で簡単な持ち物検査を受ける。
だから当然、凱旋門を見学するだけでも簡単な持ち物検査を受けさせられる。
ノートルダム大聖堂一つ入るだけでも入念な持ち物検査が実施される。まあしかし神の御前で銃を乱射しようだなんていい度胸じゃないの、ここがロアナプラなら武装したシスターが応戦してくるよ。。。
ところが残念なことにここはブラックラ◯ーンの世界ではないし、待ち構えているのは無実の人々が無慈悲に虐殺される現実。
驚いたのはデパートに入るだけでもスーツを着たでかい黒人のお兄さんたちに囲まれて持ち物検査を受けたこと。改めて日本とは違うことを意識した。てか普通にその辺をごっついライフル担いだ迷彩服のフランス兵がうろうろしてるし。狂った男がナイフをチラつかせようものなら即刻、彼らの手によって射殺である。
ある意味で合理的ではあるけどね。
この美しい立体。
テロみたいな嫌な現実など忘れさせてくれる。上に登ったら、もっと嫌な現実を忘れることができるはずだ。
この凱旋門、地下のトンネルを通ってこの真下にまで行くことができます(周囲が環状道路になってるから、地上からは真下に行けないのだ)。
うおおお、と、真下へたどり着いた瞬間にまたまたテンションが上がってくる。異国にやって来て三日目、ついに遠くを見渡す高いところへ登ることができるのだから。パリ市街を見渡すには絶好の機会。簡単な持ち物検査をクリアしていざ、長い長い螺旋階段を駆け上がる。
こんなに凱旋門の中で広々としたスペースが広がっているとは純粋に驚き。外観しか知らないもんな普通は。これ以外にも様々な胸像やら彫刻やらレリーフやら色々あるので訪れた際は是非とも細部までチェックしていただきたい。
さて、そんなスペースからさらに小さな階段を上がると、そこには。
圧巻の景色。これ以上ないご褒美でしょう。すっかりパリ市内を掌握した気分。やっぱりパリといえばエッフェル塔で間違いなしか。
なんだかんだ言っても、この時すっかりパリの魅力に取り憑かれてしまっていた。汚い街だし治安も良くはない、でも古い建物を大事に何年も維持・保存するその姿勢には強い感銘を受ける。
戦争で破壊されてしまった街というのは戦後再建されると、どうしても装飾などの無駄が一切取り除かれた近代的な建物に覆い尽くされ、往々にしてつまらない外観になってしまうもの。旧共産圏の国々がいい例である。確かにコンクリートの集合住宅ってのは都市としては合理的なんだがな…
趣は無いけど。
ありがとうドイツ軍、パリは爆破しなくて正解です。
美しい他の欧州の古都を無慈悲に破壊したのは許せないけども。
だが、ポーランド人はすごいよね、ドイツに破壊された首都ワルシャワの街並みをヒビ一つに至るまできっちり再現したというのだから。
そんな凱旋門の展望台を降りたところで我々は移民の襲撃を受けた。
移民の襲撃というと大げさか。
「へい日本人!私たち旧ユーゴ出身なんだよね、私たち署名集めてるんだよね!君らも私たちのために署名してくれるよね!日本大好きなんでぇ!」
だいたいこんな感じに早口でまくし立てる女二人が署名(住所や電話番号も含む)を求めて来た。当然難色を示す。だが我々は善良な日本人だ、そう無下に断ることもできない。
署名程度なら、と最初その書面にサインしかけたのだが、その瞬間手渡されかけていた紙は俺の手からなぜか彼女たちに引き戻され…と思った時、目の前に警察官が滑り込んできた。
わずか数秒間の出来事。何が起こったのかも分からない我々二人は目をぱちくりさせていたが「あいつらは、募金詐欺師だ」
二人組の警官のうち一人がそんなニュアンスの言葉を言い残し、署名表を持って逃げた女たちの後を追って走っていく。すごいなパリ、日本でも経験したことがないような出来事がたったの三日目で起こるなんてね?
そんな騒動の余韻を残したまま我々はもっとよくエッフェル塔が見える場所に移動する。シャイヨー宮殿だ。
エッフェル塔なんて先ほどじっくり見たからもう十分だろう、と言いたいところだが、歴史愛好家である以上行かないわけにはいかない。シャイヨー宮の展望台といえば1940年、ヒトラーがパリを掌握した際にエッフェル塔をバックに記念撮影を行ったスポットである。
全体主義者歴史オタクとしてはここに行かない手はない。
同じ構図で写真を撮らない手はない。
撮りました。
別に俺はナチ崇拝者でもないが、第二次世界大戦の歴史に触れる意味で、これ以上のことはない。
あの時代から何十年も経ち、パリも何かと様変わりしたが、あの時とは場所も景色も殆ど変わっちゃいない。
本の中でしか知らなかった歴史を体験できた瞬間、ああ、子供の時に読んだりテレビで何度も目にした独裁者は本当にいたんだ、嘘じゃなかったんだと強い実感を抱くことに繋がる。これは実に素晴らしいことだと思う。
暗い歴史に蓋をしてしまうことが最も愚かしい行為だと思います。
だいたいヒトラー1人に大戦の責任全てを押し付けることにも無理があるし問題なのではないか?
シャイヨー宮を出ると我々は遠目に眺めていたエッフェル塔そのものに近づいていった。
その昔、エッフェル塔を毛嫌いしたモーパッサンとかいう劇作家がいたそうだ。
建設当時の1800年代末期、パリの芸術人たちはとにかくエッフェル塔を毛嫌いした。その中でもモーパッサンはエッフェルが嫌いなくせに、しょっちゅう塔の中のレストランで食事をしたという。
本人曰く「この塔の中で過ごせば、醜い塔を見なくて済む」だとかなんとか。うーん。なんともいえないこのエピソード。
兎にも角にも彼らにとって当時はまだ珍しかった鉄骨で、無骨なボルトむき出しなエッフェル塔とは産業革命が生み出した新たな時代のバベルの塔に他ならなかった。
それが凱旋門のような洗練された古き良きヨーロッパの建造物に並び建つのだから、抗議の声も然もありなん、といったところ。
だがそれも100年も経てば立派な古き良き建造物となってるとは。東京タワーもあと100年経てば立派な高度経済成長期の遺跡となるでしょうかね。
まあそんなエッフェル塔には登らず僕らはシャンゼリゼ通りを歩く。本当に
お〜〜〜〜〜〜〜ぅシャンゼリゼ〜〜〜〜〜〜〜とか歌い出したくなるような綺麗な通りだ。何をしにシャンゼリゼ通りなんか歩いてるか、そりゃ高級ブティックになんぞ用はないけど、飯を食いに来た。
ここにはおしゃれなレストランだってあるからね。
三日目にして気づいたのだけど、せっかくフランスにいるのにまだフランス料理を食べていない。
我々はこの二日間ホテルに持ち込んだサラミやチーズ、パンといった粗末な食事で食いつないでいた。そろそろ贅沢がしたいよ〜〜となったので今日こそは美味しいものを食べようと立ち上がります。
すげえ肉だ、そしてポテト。
そんでもってワインが異常にうまいの。だが我々はまだ気づいていなかった。
これがヨーロッパの食生活「肉とか芋ばかり」の第一フェーズになり、後々野菜不足に悩まされる羽目になるとは…。
しかし美味しいよフレンチ、本場のフレンチ。
噂以上に最高だぜ。こりゃ住みたくなる。
なんせワインが安いんだ、それだけでアドである。
ごちそうさまです。
その後も我々はナポレオンのお墓を目指してアンヴァリッド廃兵院に向かう。ここへもシャンゼリゼ通りからまっすぐ歩いて向かう。
もうだいぶ足へとへとだが、ナポレオンの遺体が俺を呼んでいるなら行かない手はないよね。
すごいですねえアンヴァリッド。昔ナポレオンの伝記で写真だけは見たことあったけど、本当に憧れの人だったから、そんな人物のお墓を目の前にしたら、もう本当になんと言っていいか分からなくなっちゃうなぁ。
だって俺の幼少期を形成した人だぞナポレオンは。。。
感動です。本当にいい体験です。
本当に生きていたんだねナポレオン。。。
アンヴァリッドを見学した後に、その隣にある軍事博物館では第一次世界大戦とか二次大戦の資料を見学。日本じゃ関心の薄い第一次大戦ですが、ヨーロッパでは第二次大戦に匹敵するくらい大きな戦争だった。むしろフランス人にとってみれば第一次大戦の方が大きな戦争だったのだ。フランスは第一次世界大戦で非常に甚大な犠牲者を出す。(第二次大戦じゃ即ドイツに降伏したからね…)
日本の戦争博物館はどうも平和への祈りやら悲惨だっていうアピールやらが強くなりすぎているというか、とにかくメッセージ性が強くなりすぎちゃって(それは確かに大事なことなんだが)ある意味主観的。
それに比べるとフランスの戦争博物館はすごく客観的だなって思いました。淡々と、資料を提示していく。拝観者に戦争というものを考えさせる。それはフランスが敗戦国じゃないからでしょう。羨ましい限りです。だから落ち着いて見学できた。もちろん、時折プロパガンダ臭もするけどな(笑)ドイツに勝利したのは嬉しかったのでしょう。
仕方ないよ。ナショナリズムもそれなりに必要だ。
日本みたいにナショナリズムがなさすぎるのもそれはそれで問題だから。
そんな風に三日目パリ最終日はとても考えさせられる旅だった。
明日は朝早く起きて、ホテルを出発しミュンヘンに向かう。
いよいよドイツだ、さようならフランスよ。
それでは次回もお楽しみに。
欧州遠征録【1】パリ1日目、2日目。初めての海外。
遠征録なんて今更かもしれない。
あたかも「最近旅行していました✨」みたいな感じだが、そんなわけでは決してない。
この話をするにあたっては、2016年9月まで遡らなくてはならないです。ヨーロッパをぶらぶらと放浪したのは2年も前の話ということなので。というか、もうすぐ3年が経とうとしているのか〜〜〜時間の経過とは無慈悲なものだ、頭が痛くなりますね。
それでもあの時のことはつい昨日のことのように鮮明に記憶している。これまでも何度か遠征記録をきちんとまとめるぞ〜〜と腐心したことがあったのだが、あいにくと文章力やらモチベやら、そんなものが伴わず結局今の今まで形にすることがかなわなかった。
しかし今度こそ形にしていきたいと思うのでこんな風に書き始めることにします。
初海外の経験というものは何日経っても忘れることができないですねぇ。どこまでも衝撃的な思い出です。
成田空港から何時間も飛行機に詰められ、そしてついに初めてドイツのフランクフルト空港に降り立った時の感動というものは言葉に言い尽くせないものがある。
初めて降り立った欧州の第一印象、筋肉。
で、でかい筋肉がその辺を歩いている。足の生えた筋肉。
これがゲルマン人かぁと思わず見とれてしまう。
カウンターに座ってる入国管理官にパスポートを手渡すと、ぎらりとした精悍な眼差しを向けられて、何を英語で聞かれんのかね…と、彼らに比べりゃ小動物程度の体格しか持ち合わせていない我々日本人は恐る恐る身構えていたが、そんな我々の不安を他所に、特にこれといった質問もなくどかん!と仰々しい音立ててスタンプが押されんの。。。
これが日本のパスポートの優秀さか?
どかん、どかん、どかん(たまにバァン)という音が延々と鳴り響き、果たしてそんなに強く机に叩きつける必要があるのか…?🤔という具合にハンコが次々に押されていく。歩く筋肉の見本市を終えた我々はようやくフランクフルト空港を経由してパリのシャルル・ドゴール空港に降り立った。憧れのパリである。
さぁ、遠征録第一回目はこの都市から始めていこうじゃないか。いくぜ。
①憧れの…パリ…?
「コルティッツ将軍!!総統閣下より電文です!」
1944年8月。ノルマンディー海岸より迫り来る米英軍の猛攻を前に、ドイツ軍パリ占領軍総司令官コルティッツは、ヒトラーのパリ爆破命令に従い、パリ全体に仕掛けられた爆弾を爆発させるかどうかの決断を迫られていた。
部下A「爆破しましょう!!!お国のために!!」
コルティッツ「いや、爆発させたらあかんやろ、100年続く芸術の都やぞ…」
彼が冷静だったおかげでパリの爆破は免れ、占領軍は米英軍に降伏した。
もちろんこれには異論もある。コルティッツは実は命令通り爆破したがってたんじゃないかって。まぁそんな話はどうでもいいんだよ、とにかくパリは解放され、それから70年の月日が流れたわけだが…
おいおい、冗談じゃないよ。
今のパリの惨状を見れば事実上爆破されたも同然。
70年越しに概念的に爆破されたといえる。おめでとうございます総統閣下…石畳の隙間という隙間にタバコの吸い殻が埋もれ、ゴミが撒き散らされ、それに拍車をかけるかのごとく移民が著しく治安を悪化させている。
と、とにかく汚い( i _ i )
同じ移民が多い国でもドイツ人はポイ捨てには厳しいし。こりゃフランス人とドイツ人は千年経っても仲良くなれないでしょうね。
そもそも、この一年くらい前にパリでは無差別テロが起こったんだよね、無差別ということもあって第二次大戦中パリで暗躍した武装レジスタンスのテロよりもおっかないではないか?
第三帝国の都市整備事業によって今のパリは人間ごとブルドーザーで埋め立てられても文句は言えません。。。ヒトラーお抱えの建築家シュペーア大臣が必ず実行します。
冗談はさておき、さすがはパリといったところか。ホテルや建物は見事なまでに綺麗。洗練されている。ところどころ売られているものまで可愛い。
ホテルの部屋の中もちょっと古臭いが、何より壁紙が可愛いの。。。こういうデザインがたまらなく好き。
空港からホテルに着いた時にはもう夕方だ。バカな旅に付き合ってくれるような物好きな同行者の先輩(名前は仮にTくんとしておこう)はすっかり疲れ果てて、喚き声ともうめき声ともつかない声しかあげられない身体にされていたので外食に行く元気など微塵もない。その辺の売店でチーズとか生ハムとかビールとかワインとかを購入。どうだ、パリって感じだろう?全部驚くほどお安い。
何?上の2枚目の写真にオランジーナが写っているだ?違和感?
だって人間は皆パリに来たらオランジーナを飲むだろう??
俺はお詳しいのよ、パリジェンヌは夏の日差しの暑い日にゃ皆シャンゼリゼ通りの真ん中でオランジーナを飲んでるってことくらい教科書にも書いているでしょ?
義務教育でも習うよな、パリへ来たらオランジーナを飲め、すると全ての道は開かれる。フランスの紳士淑女の嗜み。
いや、まぁ実際に飲んでるフランス人なんか旅行中一人も見かけなかったけど
「やーいジャップ、ミーハーだね〜」と完全に舐められていたでしょう。これは完全なカルチャーショック、すっかり日本のオランジーナのCMに騙された。
この日は疲れたので何時に寝たかも忘れてしまった。ほぼ気絶状態。
というかすげえ〜と思ったのは日が暮れるのが異常に遅いこと。寝たいのに明るいな〜と思って時計を見てもまだ21時とかなんだよ…。これが夏のヨーロッパかぁとえらく感心します。
この辺は行ってみないと分からないことだから貴重な体験。日照時間が長い。長すぎる。そして、テンションが上がる。
②ルーブル美術館と市内探索。
パリの本格的な散策行動開始です。
と、その前に、まずルーブル美術館で美術品の鑑賞でもやりますか〜と決め込んだ我々。ホテルを出てしばらく歩いて散歩する。綺麗な建物を写真に収めながらの散歩は明らかに贅沢そのものといったところか。
歩いて向かうは地下鉄の駅。切符の買い方がマジで分かんなくて苦しんでいたが、クルクル回す棒???か何かで切符売る電子画面の選択ができることに気づいてなんとか切符の購入に成功(うーん文字じゃ伝わらないので券売機の写真撮っとけばよかったよね)。
ごとんごとん、と、ひたすらに揺られてルーブル美術館に到着した。
なんか文章ばかり叩きつけるのが非常に面倒になってきたような。
これから先は怒涛の画像任せになる気もします。
いや、それもやむを得ない。パリの魅力、とりわけルーブルをレポで伝えるためには写真の力に手を借りる方が圧倒的に効率的です。
中庭には開場前からすでに多くの観光客が列を作っておりました。
なんか黒人のおっちゃんが列の観光客にエッフェル塔めっちゃ売りつけてくんの。。置物なのかアクセサリーなのか知らないけど、首にいっぱいぶら提げて、それに止まらず右手にも大量のエッフェル塔をぶら提げている。我々は彼らのことをエッフェル塔おじさんって呼んでいた。
果たしてあれを買ってくれる人はいるのだろうか…?
さて長いこと待たされ、ようやく9時。入場してチケットを購入し適当なエリアに進む。美術館内の全ての美術品は撮り放題。あ〜最高ですね。今だけは写真による美術品泥棒のし放題ってわけである。何百回シャッターを切っただろうか。いくら観てもキリがない。
ナポレオンがヨーロッパからエジプトに至るまで侵略戦争の結果かき集めてきた盗難品のあまりのコレクション数に、腰を抜かしてしまう。
午前中はルーブル美術館鑑賞に費やしたが、これでもまだ4分の1だって観ていないのだ。疲れた。しかし観るものは全部観たんだもん、、、モナリザだって観たし、、、
ボナパルトくんはどんだけ窃盗を繰り返したんだ????ありすぎて困るだろう。。。
だって、まだ倉庫にも何千点っていう美術品が眠ってるそうじゃないの、、、
まぁ流石に疲れたため美術館を後にした我々はパリ市内を散策し、土産物を巡ったりした。セーヌ川をちょっと眺めたりね
これが、麗しの、、、セーヌ川だって?俺はこんな川がセーヌ川なんて…(セーヌ川ではしゃごうと思ってたのに、これじゃあ世界三大??ガッカリってやつだ)
そりゃあ、もうあんまり綺麗とは言い難いです。しかしまあ都市部の川なんてこんなもんである。パリならなおさらかもしれん。
しかし流石はおフランスの誇る偉大な教会・ノートルダム聖堂。 見た目の荘厳さもさることながら中身も決して引けをとらない。たとえ自分がキリシタンだとしてもこんなところじゃオチオチミサを聴く気にもならないけど(笑)
中へ入ろうとするが人だかりがものすごい。どうやら教会の前の人だかりは皆展望台に登るためのエレベーター待ちの様子。
教会のサンクチュアリ(礼拝所)に入るくらいならそこまで並ばずにすぐって感じです。ただしここでも、きちんと入念な手荷物検査が加わる。テロへの警戒は決して怠らないのが昨今の厳戒態勢が敷かれたパリなのだ。
カトリック教会というのはどこでも豪華ですね。個人的にはプロテスタント教会のように質素で落ち着いた感じの方が神に祈りを捧げる気にもなるけど。
もちろん観光で訪れるにはこのくらい豪華な方がウケがいいのは確かだろう。
自分の信仰心も非常に深まった。
そう、今回は信仰心を高めるための、いわば巡礼の旅という側面もある。
1日歩き通して早くも今日もパリの日は暮れていく。
いや夏場だから日暮れはもっと遅いんだけどさ。20時くらいでやっと暗くなる感じ。
長くなりそうなので、今回はこの辺でおひらきにしようと思う。
それではまた次回もお楽しみに。