欧州遠征録【1】パリ1日目、2日目。初めての海外。
遠征録なんて今更かもしれない。
あたかも「最近旅行していました✨」みたいな感じだが、そんなわけでは決してない。
この話をするにあたっては、2016年9月まで遡らなくてはならないです。ヨーロッパをぶらぶらと放浪したのは2年も前の話ということなので。というか、もうすぐ3年が経とうとしているのか〜〜〜時間の経過とは無慈悲なものだ、頭が痛くなりますね。
それでもあの時のことはつい昨日のことのように鮮明に記憶している。これまでも何度か遠征記録をきちんとまとめるぞ〜〜と腐心したことがあったのだが、あいにくと文章力やらモチベやら、そんなものが伴わず結局今の今まで形にすることがかなわなかった。
しかし今度こそ形にしていきたいと思うのでこんな風に書き始めることにします。
初海外の経験というものは何日経っても忘れることができないですねぇ。どこまでも衝撃的な思い出です。
成田空港から何時間も飛行機に詰められ、そしてついに初めてドイツのフランクフルト空港に降り立った時の感動というものは言葉に言い尽くせないものがある。
初めて降り立った欧州の第一印象、筋肉。
で、でかい筋肉がその辺を歩いている。足の生えた筋肉。
これがゲルマン人かぁと思わず見とれてしまう。
カウンターに座ってる入国管理官にパスポートを手渡すと、ぎらりとした精悍な眼差しを向けられて、何を英語で聞かれんのかね…と、彼らに比べりゃ小動物程度の体格しか持ち合わせていない我々日本人は恐る恐る身構えていたが、そんな我々の不安を他所に、特にこれといった質問もなくどかん!と仰々しい音立ててスタンプが押されんの。。。
これが日本のパスポートの優秀さか?
どかん、どかん、どかん(たまにバァン)という音が延々と鳴り響き、果たしてそんなに強く机に叩きつける必要があるのか…?🤔という具合にハンコが次々に押されていく。歩く筋肉の見本市を終えた我々はようやくフランクフルト空港を経由してパリのシャルル・ドゴール空港に降り立った。憧れのパリである。
さぁ、遠征録第一回目はこの都市から始めていこうじゃないか。いくぜ。
①憧れの…パリ…?
「コルティッツ将軍!!総統閣下より電文です!」
1944年8月。ノルマンディー海岸より迫り来る米英軍の猛攻を前に、ドイツ軍パリ占領軍総司令官コルティッツは、ヒトラーのパリ爆破命令に従い、パリ全体に仕掛けられた爆弾を爆発させるかどうかの決断を迫られていた。
部下A「爆破しましょう!!!お国のために!!」
コルティッツ「いや、爆発させたらあかんやろ、100年続く芸術の都やぞ…」
彼が冷静だったおかげでパリの爆破は免れ、占領軍は米英軍に降伏した。
もちろんこれには異論もある。コルティッツは実は命令通り爆破したがってたんじゃないかって。まぁそんな話はどうでもいいんだよ、とにかくパリは解放され、それから70年の月日が流れたわけだが…
おいおい、冗談じゃないよ。
今のパリの惨状を見れば事実上爆破されたも同然。
70年越しに概念的に爆破されたといえる。おめでとうございます総統閣下…石畳の隙間という隙間にタバコの吸い殻が埋もれ、ゴミが撒き散らされ、それに拍車をかけるかのごとく移民が著しく治安を悪化させている。
と、とにかく汚い( i _ i )
同じ移民が多い国でもドイツ人はポイ捨てには厳しいし。こりゃフランス人とドイツ人は千年経っても仲良くなれないでしょうね。
そもそも、この一年くらい前にパリでは無差別テロが起こったんだよね、無差別ということもあって第二次大戦中パリで暗躍した武装レジスタンスのテロよりもおっかないではないか?
第三帝国の都市整備事業によって今のパリは人間ごとブルドーザーで埋め立てられても文句は言えません。。。ヒトラーお抱えの建築家シュペーア大臣が必ず実行します。
冗談はさておき、さすがはパリといったところか。ホテルや建物は見事なまでに綺麗。洗練されている。ところどころ売られているものまで可愛い。
ホテルの部屋の中もちょっと古臭いが、何より壁紙が可愛いの。。。こういうデザインがたまらなく好き。
空港からホテルに着いた時にはもう夕方だ。バカな旅に付き合ってくれるような物好きな同行者の先輩(名前は仮にTくんとしておこう)はすっかり疲れ果てて、喚き声ともうめき声ともつかない声しかあげられない身体にされていたので外食に行く元気など微塵もない。その辺の売店でチーズとか生ハムとかビールとかワインとかを購入。どうだ、パリって感じだろう?全部驚くほどお安い。
何?上の2枚目の写真にオランジーナが写っているだ?違和感?
だって人間は皆パリに来たらオランジーナを飲むだろう??
俺はお詳しいのよ、パリジェンヌは夏の日差しの暑い日にゃ皆シャンゼリゼ通りの真ん中でオランジーナを飲んでるってことくらい教科書にも書いているでしょ?
義務教育でも習うよな、パリへ来たらオランジーナを飲め、すると全ての道は開かれる。フランスの紳士淑女の嗜み。
いや、まぁ実際に飲んでるフランス人なんか旅行中一人も見かけなかったけど
「やーいジャップ、ミーハーだね〜」と完全に舐められていたでしょう。これは完全なカルチャーショック、すっかり日本のオランジーナのCMに騙された。
この日は疲れたので何時に寝たかも忘れてしまった。ほぼ気絶状態。
というかすげえ〜と思ったのは日が暮れるのが異常に遅いこと。寝たいのに明るいな〜と思って時計を見てもまだ21時とかなんだよ…。これが夏のヨーロッパかぁとえらく感心します。
この辺は行ってみないと分からないことだから貴重な体験。日照時間が長い。長すぎる。そして、テンションが上がる。
②ルーブル美術館と市内探索。
パリの本格的な散策行動開始です。
と、その前に、まずルーブル美術館で美術品の鑑賞でもやりますか〜と決め込んだ我々。ホテルを出てしばらく歩いて散歩する。綺麗な建物を写真に収めながらの散歩は明らかに贅沢そのものといったところか。
歩いて向かうは地下鉄の駅。切符の買い方がマジで分かんなくて苦しんでいたが、クルクル回す棒???か何かで切符売る電子画面の選択ができることに気づいてなんとか切符の購入に成功(うーん文字じゃ伝わらないので券売機の写真撮っとけばよかったよね)。
ごとんごとん、と、ひたすらに揺られてルーブル美術館に到着した。
なんか文章ばかり叩きつけるのが非常に面倒になってきたような。
これから先は怒涛の画像任せになる気もします。
いや、それもやむを得ない。パリの魅力、とりわけルーブルをレポで伝えるためには写真の力に手を借りる方が圧倒的に効率的です。
中庭には開場前からすでに多くの観光客が列を作っておりました。
なんか黒人のおっちゃんが列の観光客にエッフェル塔めっちゃ売りつけてくんの。。置物なのかアクセサリーなのか知らないけど、首にいっぱいぶら提げて、それに止まらず右手にも大量のエッフェル塔をぶら提げている。我々は彼らのことをエッフェル塔おじさんって呼んでいた。
果たしてあれを買ってくれる人はいるのだろうか…?
さて長いこと待たされ、ようやく9時。入場してチケットを購入し適当なエリアに進む。美術館内の全ての美術品は撮り放題。あ〜最高ですね。今だけは写真による美術品泥棒のし放題ってわけである。何百回シャッターを切っただろうか。いくら観てもキリがない。
ナポレオンがヨーロッパからエジプトに至るまで侵略戦争の結果かき集めてきた盗難品のあまりのコレクション数に、腰を抜かしてしまう。
午前中はルーブル美術館鑑賞に費やしたが、これでもまだ4分の1だって観ていないのだ。疲れた。しかし観るものは全部観たんだもん、、、モナリザだって観たし、、、
ボナパルトくんはどんだけ窃盗を繰り返したんだ????ありすぎて困るだろう。。。
だって、まだ倉庫にも何千点っていう美術品が眠ってるそうじゃないの、、、
まぁ流石に疲れたため美術館を後にした我々はパリ市内を散策し、土産物を巡ったりした。セーヌ川をちょっと眺めたりね
これが、麗しの、、、セーヌ川だって?俺はこんな川がセーヌ川なんて…(セーヌ川ではしゃごうと思ってたのに、これじゃあ世界三大??ガッカリってやつだ)
そりゃあ、もうあんまり綺麗とは言い難いです。しかしまあ都市部の川なんてこんなもんである。パリならなおさらかもしれん。
しかし流石はおフランスの誇る偉大な教会・ノートルダム聖堂。 見た目の荘厳さもさることながら中身も決して引けをとらない。たとえ自分がキリシタンだとしてもこんなところじゃオチオチミサを聴く気にもならないけど(笑)
中へ入ろうとするが人だかりがものすごい。どうやら教会の前の人だかりは皆展望台に登るためのエレベーター待ちの様子。
教会のサンクチュアリ(礼拝所)に入るくらいならそこまで並ばずにすぐって感じです。ただしここでも、きちんと入念な手荷物検査が加わる。テロへの警戒は決して怠らないのが昨今の厳戒態勢が敷かれたパリなのだ。
カトリック教会というのはどこでも豪華ですね。個人的にはプロテスタント教会のように質素で落ち着いた感じの方が神に祈りを捧げる気にもなるけど。
もちろん観光で訪れるにはこのくらい豪華な方がウケがいいのは確かだろう。
自分の信仰心も非常に深まった。
そう、今回は信仰心を高めるための、いわば巡礼の旅という側面もある。
1日歩き通して早くも今日もパリの日は暮れていく。
いや夏場だから日暮れはもっと遅いんだけどさ。20時くらいでやっと暗くなる感じ。
長くなりそうなので、今回はこの辺でおひらきにしようと思う。
それではまた次回もお楽しみに。