欧州遠征録【4】ノイシュバンシュタイン城。中世都市ディンケルスビュールへ。
もう二月を迎えましたね。
早いもので2019年もひと月が経過してしまう。新年早々いろんなことがあって大忙し。ただ最近は妙に嬉しいことが続いていて毎日が楽しいかもしれない。
ここ一週間はずっと引越しの準備に追われている。引っ越しってのは手間と金のかかるイベント。もちろん距離にもよるが、たとえ近い距離に引っ越すにしてもやっぱり面倒なことはさほど変わらない。
なによりネット回線の解約手続きが厄介。
以前住んでたアパートの場合はネットは管理会社が勝手に備え付けてくれてるやつだったので、その辺は解約する必要もなく今思えば非常に楽だったが、今住んでいるところは自由に好きな回線を引けるので自分で通信会社を選び、設定してもらう必要がある。
結局安くておトクな回線が引きたきゃそういう業者を自分で選べってこと。
自由に選択できるのはいい反面、支払いや諸手続きを全部自分でやらねばならないという意味では負担となる。どうせどの通信会社もあの手この手のせこい手でわけの分からんプランを提示しては消費者を混乱させて、最終的には効率よく金を搾り取れる方へと誘導する。というかどこを選んだって金は搾取される。やれやれ、これだから資本主義は。。。
9月にここへ入居した時、俺もおすすめに任せてソフ●バン●光とかいう会社の回線を引くことになった。しかしこいつがなかなか曲者で、使ったことのある方ならわかると思うが電話の受け入れ態勢が非常に劣悪だ。
特に解約の電話は繋がらん。そりゃそうだ。
オペレーター増やす気は無いのかとキレ散らかす。
何にせよこれは困った話で1時間待っても繋がらなかったという話すらあるというじゃないか。通信会社の謀略なのでは無いかと疑ってしまう。いくら待っても繋がらないようにして、お客の解約したいという戦意を著しく削いでしまおうという腹なのでは?
解約できずにずるずる引き伸ばして結局何年も払い続ける羽目になる、なんていうケースも少なくはない。
もうなんて言うか、電話以外で解約できるようにしてくれねえかな。
なんでネットで解約手続きできないんですか。
何の話だったか。ああそうか、引越しが大変だって話をしていて。
近所のスーパーから逐一ダンボールを抱えて帰宅するのもなかなかに骨の折れる作業。
みかんと、デカデカ書かれたダンボール抱えて車通り多い歩道歩くのクソ恥ずくないか?想像してみて。
いや、、こんな話をしたかったんじゃないです。
すみません。
前回までのあらすじ。
らべると同行者T先輩は二人でフランスの首都パリを脱出し、ドイツ南部の都市フュッセンまで辿り着き、そこで一泊する。
ってな具合でかなりざっくり要点だけを絞った前回までのあらすじだとは思うが、さて、何故我々が一見すると何も無いような田舎町、ともすると聞いたこともないような田舎町フュッセンなんかにやってきたと思う?
実はこの街の近郊には世界的に超有名な城であるノイシュバンシュタイン城がそびえている。
多くの人が聞いたことがあったり、一度は目にしたことのある城だとは思うが、実はこの城、ディズニーランドの象徴とも呼べるシンデレラ城のモデルだ。
さて我々は、そんな城を目指すことにする。
ノイシュバンシュタイン城で皆さまにお気をつけ願いたいのは、内部を見学する際には必ず事前予約が必要であるという点。
どうやら城の中を見学する際、数人単位の団体で城内部をぐるぐるまわるらしく、だから予約によって何時には何人、何時の回で何人〜だとか、そういうのを決めるらしい。
〜らしい、ってこの人やけに他人事っぽく供述するなぁと思った方、あなたのその勘は正しいです。
何故なら我々は予約した集合時間に間に合わせて到着することができず、結局城内部の見学に失敗したのである。
では何故そうなってしまったか。
話を当日の朝から振り返ってみましょう。
ご覧の通り、すがすがしい朝をホテルで迎えました。
一度ホテルを出てちょっと朝の街を散歩したり。
朝ごはんはホテルのバイキング。
そういえばパリのホテルで食べた朝食のバイキングもなかなか美味しかったなぁ。ヨーロッパのバイキングはチーズとハムの種類が豊富すぎてびっくりだ。ほんとに。
ハムだけで何種類あんの、って感じ。言葉じゃうまく言い表せないがとにかくすごいんだぜ。
あと、さすがはドイツ〜って感じで白ソーセージ(ドイツ語でヴァイスブルストっていうらしい)が美味しゅう。スクランブルエッグとかと一緒にね。
ブルストっていう語感が気に入ったT先輩はその後もレストランでブルストという字面を目にするたび、ファービー人形のモノマネなのか「ファーーーーーー、ブルスコブルスコw」と呟くようになる。
疲労が限界に達した者はこの手の呟きの頻度が多くなる傾向にある。
さて、いよいよ市街地から城に向かおう。
時刻はちょうど7時前。集合が確か8時半とかだったんだが、何が起こるか分からんので早めに行くことにする。ホテルはチェックアウトだったんですが背負いこんだ重たい荷物は全部ホテルの受付で預かってもらうことに。
さっそくバス乗り場らしきところに向かう。しかし一体切符はどこで買うんだろうか。事前に得た情報では切符はバスの中で販売しているということらしい。
料金は片道2ユーロ。
というか予定到着時刻の7時25分になってもバスが来ない。海外でバスが遅れたりするのは日常茶飯事だしそこはあまり気にせずに気長に待つ。そのために早く出たのだ。
予定時刻より約30分遅れでやっとバスが来ました。
さぁバスに乗ってみよう。周りの乗客は予めチケットを用意しているらしく、せっせと運転手にチケットを見せておりました。
さっそく運転手に切符を要求される。
持っていないと言う。え、だって、ここで払うんじゃあ・・・ないんすか??
というわけで2ユーロを差し出す我々。すると、
「Go Back!」
なぜかバスを叩き出されてしまう我々。バスは俺らをぽつんと残して走り去っていく。
今のGo Backとはどういう意味!???
バスの後ろに行けという意味なの?
それとも我々がそう受け取ったようにバスを出ろという意味だったのか、誰もいなくなったバス停で日本人二人の議論が始まった。
10分後、もっかい次のバスが来た。次の勝負には勝つ。いくぜ。
列に並んで乗り込み、運転席で再び2ユーロを見せる。
ところが再びバスの運転手は
「GO BACK!!」と言い放つ。
おパニック💢
ま、ちょ、ままま、ま〜〜、!!!
マーーーー!
悲痛な叫びにも関わらず、バスは無慈悲にも走り去った。
しかし無愛想な運転手の言葉の中に、うっすら4という数字があったことを振り返る。
…4?
もしかして往復料金4ユーロ払えば乗せてくれるってことだったの!?
しかし、もはや集合時間にも間に合わない。城のツアーは断念せざるを得ない。
もとはといえば予定時間から30分近くもバスが遅れるのが悪いのだけど??
いくら向こうが悪いとはいえ、フュッセンまで来た以上はなんとしてでもノイシュバンシュタイン城に向かわねばならない。旅人としての義務だ。
結局、あれこれ、そこらへんの親切なおじさんたちに色んな情報を教えてもらって、タクシーを見つけて城の麓まで向かうことに。
勘違いしちゃいけないが基本的にドイツ人はとても親切だよ(凶暴ともなるけど)。
ああ、最初からこうやっときゃよかったんだ。料金もそんなに高く無いし・・・。
海外のバスや電車の時刻表ガン無視を侮ってはいけません。
困った時はケチらずにタクシーを使いましょう。
近くまでやってきた時の見上げた城の壮麗さには目を奪われる。
城だけではない、昨日駅から見た岩山の美しさも今となってはより近い位置で楽しむことができるのだ。
この城までは長い山道を登って向かいます。周囲は何故かアジア人だらけ。
逆に欧米からの観光客がとても少ないような気も。
日本人と韓国人と中国人ってなんでこんなに集まるところも一緒なんでしょうかね。やっぱり似た者同士だ。
我々は近くの売店で瓶ビールを購入する
朝からビールを飲むことの背徳感はすごい。舐めていたぜ・・・。
美しい大自然を眺めながらビールを味わおうという算段である。
ビール瓶を片手に歩く我々はいかにもアル中。
周囲の視線など御構い無し。握りしめているのはスポーツドリンクだぜ?と言わんばかりに、城へと続く坂道を黙々と登っていきます。
我々の真横を、観光客を乗せた馬車が颯爽と駆けていく。ああいうのに乗るのも一つの観光スタイルなのだろうが歩きながらも案外悪くない。
馬車が糞を投下していくのを後続の車(うんこ回収車とでもいうべきか)が即座に拾い集めていくので道は理論上汚れません。だがそんな便利な車など存在しなかった中世から近世に至る馬車の全盛期には、道端はウンコで汚れ放題荒れ放題だったでしょう。
歴史の社会見学をした気持ちだ。
特に17,8世紀のパリじゃ馬に限らず人間の大小便も全て窓から街路に投げまくっていたじゃないですか。まさしく垂れ流し状態。水洗トイレなんてなかったし。
そういやヴェルサイユ宮殿って、その辺の廊下とかで貴族が放尿などしていたそうですよね。。。そう考えるとうーん、、、ちょっと行く気が失せましたわよね。意味不明だよ。
そんな狂った世界で道端のウンコを極力踏まずに歩けるように、と誕生したのがオトナの女性に必須のアイテム、ハイヒールだ。(諸説ありますけど)
当時の女性は丈の長い長いドレスを履いていましたから裾がなるべく汚れないように、という配慮ですね。
さて我々が先に足を進めていくと、突然雑木林が開ける。
そこから覗かれる景色の雄大さに腰を抜かす。
アルプスの美しさをここまで肌で実感したのはこれが初めてだろう。
そのまま先に進むと、いよいよ城らしきものが近くなっていきます。
岩山にそびえる城って感じ。 でかいな〜。当然だが先ほどとは迫力が段違いだ。なんにせよ、よくもまぁこんな場所に城なんて建てたもんだなあとただ驚くばかり。
城を建設したのは19世紀のバイエルン国王ルートヴィヒ2世ですが、彼は、その、極度のメルヘンオタクでして。。。というか非常に芸術家肌だった。
国のあちこちに城を建設しまくり、そのせいでバイエルン王国(ドイツは日本の藩みたいに昔はいくつかの国に分かれてた)の国家財政は底を尽きかけるわけです。国を憂いた大臣たちによる圧力で若くして王の座を終われ、それから数年後、謎の死を遂げる。
一説によれば暗殺されたとか。
狂王という呼び名もある彼だが、彼がこの城を作らなかったら今頃世界中から観光客が押し寄せることもなかったんだよね。
シンデレラ城もどんなデザインになっていたことやら。観光によってこの地方の経済が潤っているのも事実。もちろん岩山に作ったというだけあって居住性は最悪だ。
王がこの城に住まうこともほぼなかったとか。
そして、やっとこさ着く。
本来ならあそこの、ほら、わかるだろう、あの見えてる階段の先のさ、ほら、あんところから中に入れたんでしょう。
それとも別の入り口があるんでしょうかね。今となっては知りませんが。
知る由もないよ。
中に入りたかった?
入りたかったね。
俺は悔しいよ。
なんだよGo Backって。今もわからねえよ。
他に撮るものはありません。以上。解散。
日本の城でもそうだが、城ってのは結局中に入れないなら遠目に見るのが一番楽しい。
城の手前まで来ても特に何があるというわけでもない。そういうもんさ。
美しい景色を眺めながら美味しいビールを口にできたわけだし十分満足したので早速もと来た道を辿って帰ることに。
帰りはちゃんとバスに乗れましたね。
今度は片道だから2ユーロ握りしめて運転手に渡したらちゃんと券を買えましたね。三度目にしてようやく戦いに勝利したという感じです。
まじで最初のあれは何???
バスに乗って再び麓の市街地まで。お腹が空いたのでドイツ料理をと思ったが、当時の我々は何を考えていたのか分からないが偶然見かけた中華料理店を目にして飛び込んだ。
初めて海外で食べる中華料理!全然本場ではないから結局日本で食うのと何も変わりゃしない。物珍しさは皆無だったのでこの時の写真はありません。残念。
でもなんの変哲もないチャーハンでしたよ。ごちそうさま。
さて電車で我々はさっそく次の街へと向かうことに。フュッセン市内をゆっくり観光する暇もなく駅に駆け込む。何かと時間がないのだ。
さぁ、遥か北を目指します。
ところで。。。俺はロマンチック街道の総延長を侮っていたよ。
これは拾い物の画像だが、一番南にあるのが今我々のいるフュッセン。
これを2日かけていろんな街を観光しながら北上するという計画で、当初ネルトリンゲンにも立ち寄ろうと考えていたのだが、何をバカなことを…今日の夕方までにディンケルスビュールに到達するのに約4、5時間かかるというじゃないか。
ホテルはもう予約しちまってるんだぞ?
いちいちどっかの街に立ち寄って観光などしていては夜遅くなって本命のディンケルスビュールもろくに観光できなくなっちまう。
そりゃそうだ。。。日本にいた時はこんなに距離があるとは思わなかったが、よく考えてみりゃ九州縦断するくらいの距離があるんだ。
単にロマンチック街道と呼んで侮ると大変。街道上の全部の都市を回ろうと考えたら最低でも4日はかかると考えた方が良い(それでもかなりハードですな・・・)。
あまりの無計画ぶりに T先輩もどことなく不機嫌になっておりました。
大変申し訳ない、行き当たりばったりな性格なもんで。
それにしても電車が途中何度か停車して、一度他の電車に乗り換えねばならないこともあって完全に無人駅みたいな小さな駅で降ろされたりもしました。
でもこんな何てことない田舎でもすごく綺麗なもんです。
やはり電車でガタゴト揺られる旅はそれなりに良いものだ。
慌ただしさや心のざわめきもすぐに鳴りを潜める。
ついにネルトリンゲンに辿り着き、ここで電車を降ります。ネルトリンゲンといえばあの進○の巨人とかいう漫画の舞台のモデルになった街です。隕石が落ちてできたクレーターに作られた城壁の街だから丸いとかなんとか。
市内の観光はしません。というかそんな時間はないよ。
今度はバス停に移動してディンケルスビュール行きのバスに乗ります。
バスでしか行けないんですよねえ、あの街。。。
ディンケルスビュールは交通の便が少し悪くてロマンチック街道の旅ではツアーでもない限り飛ばされてしまいがちだが、れっきとした美しい街なのだ。
しかしバス乗り場にやって来たはいいものの、どこにもバスらしきバスが見えない。
ディンケルスビュール行きはどこ。。。
乗り場は確かにここで正しいはずなのになあ、と思ってバス停付近をうろうろしていると小さなマイクロバスが停車しておりました。まさか、あれが…?
半信半疑で近寄ってみますが、しかしなんかどうも違うような気もするな。
だってマイクロバスだぜ?せいぜい5、6人乗りの小型のあれだぜ…?
そう思って遠ざかりかけた時、若いお姉さんが近寄って来て「あなたたちディンケルスビュールに行きたいの?」と声をかけてくれた。「行きたいです!」と頷くと、
「ちょうどよかった、私たちもディンケルスビュールに行くの。あのバスね」
と、彼女は先ほどのマイクロバスを指差して。
どうやらやっぱりアレがそうらしい。。。冗談などではなかった。。。
我々はほっと安堵に包まれマイクロバスに乗り込むことに。乗り込もうとした時にやっとマイクロバスの後ろの電光掲示板がディンケルスビュール行きを表示する。まじでか。
さっきのお姉さんのお友達か、バスの前にはもう一人の若い女性がいた。どちらもすごく綺麗な方です。彼女たちは自転車をバスに積み込んでいる。ドイツ人は電車にも自転車を持ち込むくらいに自転車大好き民族。
運転手のおじさんが一人いたので、彼にお金を渡すとすんなりチケットが買えた。こうもすんなり乗れちゃうと今朝の苦労は一体なんだったんだい、って気分にもなるね。
バスの運転は荒い。運転手との距離も近い。
なんだこの旅。
カーステレオから流れてくる音楽でノリノリになってる前の座席三人のドイツ人。
後ろの席でおとなしく縮こまる日本人二人。
なんだこれ。。。何?
1時間くらいであっという間にディンケルスビュールに到着。
時刻はちょうど17時くらいで、なんとか無事にたどり着くことができてほっと安堵する。バスから降りると最初は新市街の方向に進んだのだが、間違えたと気づいて旧市街の方に引き返す。するとそこで先ほどバスでご一緒した二人のドイツ人女性と再びすれ違う。
なんか、やけに笑顔なんだよな。
彼女たちの前を通り過ぎる際、案内してくれてありがとうという気持ちを込めて
「アウフヴィーターゼン(さようなら!)」と言ってみる。
この旅で初めて使うドイツ語は案外勇気がいるね。だが向こうも笑顔で同じようにアウフヴィーターゼン、と言って見送ってくれました。言葉が通じるってすごく嬉しいなとこの時、強く思います。同時に、もっと英語喋れたら楽しいんだろうなあって気持ちもますます深まるわけで。それはこの時に限らず旅全体を通じて感じたことだ。
③ディンケルスビュールで「夜警」体験。
さて旧市街に入るにはこのお堀を越える必要があります。
中世の街というのは城塞都市であり、見張り台つきの城壁に囲まれているのが一般的。
掘にかけられた橋を渡って旧市街に入る。
この門の向こう側に美しい街並みが広がっていると思うと非常にワクワクです。
さ、門を抜けると…
いかにも古そうな建物が軒を連ねている。そして人通りが大変少ない。
今も人がちゃんと住んでいるというのだからひどく驚きだ。
しかし、こんなに美しい街に滞在できるのが今夜限りというのは頭の痛い話。
翌日もこの街に居たかったもんです。。。今もわりと後悔しています。
第二次世界大戦でドイツ全土はアメリカ・イギリス軍による熾烈な爆撃を受ける。
ベルリンやドレスデンといった大都市はもちろんのこと、空爆はこのようなロマンチック街道上の都市にも及んだ。ひどい話だよね。
今と違って文化財を保護するような慣習の薄かった時代の悲劇。
しかし、このディンケルスビュールは米英軍の空襲を一切合切免れた数少ない中世都市。1600年ごろからの街並みが当時のまま一つも変わることなく保存されているのは本当にすごいことなんです。
「ゴールデネ・ローズ(黄金の薔薇)」という名前のホテル。
内装が非常にアンティーク調で美しい。築400年は伊達じゃない。かつてどっかの国の王室の方も泊まったことがあるホテルらしく、壁にはその時の写真が飾られております。
これはイギリスの王族かな・・・?
日も暮れてきたしホテルを出て、ご飯を食べるついでに街を散策する。
今夜はドイツの伝統料理を食べようと気合十分。ドイツ料理かあ、ミュンヘンで食べたような肉の塊くらいしか頭に浮かばないな。他にどんなものがあるんだろう?
とりあえずビールが飲めりゃそれでいいやという気持ちになっていた。
非常にこぢんまりとした街で20分もあれば全部ぐるりと一周できるのがディンケルスビュールだ。それゆえに見学すべき博物館や目立つ建物もほとんどない。
聖ゲオルグ教会という建物がこの街で一番大きく、目印になる。観光客がやけに少ないのも頷けるな。
だがこの街でしか体験できない 行事があることを知っているからこそ、俺はあえてこの街に一泊することを強く望んだのであり。
それが何かは後ほど話すとして、ひとまずレストランへ行きましょう。
食べたのはシュニッツェルというバイエルン地方の豚肉を薄く叩いて引き伸ばし揚げた伝統料理。付け合わせがポテトというのがまたドイツらしい。
T先輩は大きなカリーブルストを頼んでいました。
さて、ご飯も食べ終えてホテルに戻ることになりましたが時刻はまだ7時半。
ホテルに戻ると疲れ果てたT先輩はベッドにダウンしておりました。
夜9時から聖ゲオルグ教会の前でお楽しみの催しがあるというのに先輩は「一人で行って来なさい」と呟いてぶっ倒れてしまう。今日1日無理させたことをやや申し訳なく思いつつ、シャワーだけ浴びて早速ホテルを出て集合場所に向かう。
夜9時。教会の前にはぞろぞろと人だかりができている。
さて、こんな教会の前で一体何が始まるというんだ。ワクワクだ。
…人だかりの前には、いつの間にか角笛を持ったおじさんが立っていた。
中世の衣服やマントを身にまとい、ぶぉ〜〜〜と勢いよく角笛を吹きます。
そして、ドイツ語で力強い声を響かせました。
何と言っているのかは全く分からないが雰囲気だけでめちゃくちゃ楽しめる。
これが「夜警」と呼ばれる中世の風習。火災や犯罪などを防止するためにこうやって街の人たちに呼びかけていたらしい。日本で言うところの「火の用心」。
角笛を吹くってのがまた格好いいだろう。おじさんは教会の前の広場から町中の飲食店をぐるぐる回っていく。我々集まった観光客もそんな彼の後についていく。
街のあちこちの飲食店を回りながら、おじさんに店の人がワイングラスを差し出します。ほら、サンタさんが家に来たらジュースやクッキーをご馳走するって話が海外じゃよくあるじゃないですか。あれと一緒(?)
店の人から受け取ったワインをまずはおじさんが一口。
そしておじさんから、集まった観光客に一人一人グラスを順に回していきます。
お隣にいた英語圏から来たと思われるご年配の老夫婦からワイングラスが回ってくる。
「さあ飲め、勢いよく」
おじ様に言われるまま、一口飲むことに。
「美味いだろ」と親指立ててくれました。本当に欧米の人ってのは愉快だね。
そしてそれをまた別の人に渡す。回し終えるとまた別のお店の前に移動して・・・。
言葉は通じなくても当時の夜警の雰囲気がビシビシと伝わって来るのがすごいよ。なんでも角笛おじさん、観光シーズンはほぼ毎日のようにこの夜警やってるんだと。
仕事なのかボランティアなのか分からないが。
そんな夜警がひと段落すると隣にいたドイツ人の男性から突然英語で声をかけられた。
「君はどこからやって来たのかい?」
30歳くらいの男性。日本から、と答えると話が盛り上がった。
どうやら彼は日本には何度か行ったことがあるらしく、東京で開かれたオクトーバーフェスト(ビール祭り)ではギターを演奏しに行ったことのあるお方らしい。ギターを演奏する写真など見せてもらってますます盛り上がり、最後は彼のご家族と一緒に写真を撮った。
残念ながら俺のカメラでは撮ってないんだよな。。。本当に惜しいことをしたなあ。だが、こうやって外国の人たちと交流を深めるのは本当に楽しいことだ。旅の一期一会です。
この先の旅でもいい出会いがありますようにと願いました。
さて非常に長くなりましたがディンケルスビュールの旅はこれにてひと段落です。
明日は朝早くから次の街・ローテンブルクへ向かわねばならないのでホテルに帰ったらすっかり疲れて眠り込んでしまいました。
ロマンチック街道の旅はまだ続きます。
それではまた次回もお楽しみに。