欧州遠征録【5】ローテンブルクの中世犯罪博物館。
尺の関係もあるので余談は極力省きたい。
毎回長ったらしくてとても恐縮です。
ここ最近の動向ですが、やっと引っ越しが完了して5年間住んだ関西にさよならしたぞ〜と思いきや、今度は何かと言うと公務員試験の勉強にあてがわれている。
自分でも驚いたが勉強するのは案外楽しいのであまり苦ではないが、こうやって合間にブログを書くのは本当に良い息抜きになっている。
2016年9月12日。我々はディンケルスビュールで心地の良い朝を迎えた。
昨日の疲れがまだ残っているものの5時ごろすぐに目を覚ます。旅行に来てからというものやけに早く目覚めるのが常態化してしまっていた。
これが時差ボケってやつか???
それにしても今日この街を朝7時半には出なくちゃいけないとは、おかしいな。。。
だがディンケルスビュールからローテンブルクまでの電車なんて無い。
ローテンブルク行きのバスは朝7時41分のやつ、その次は10時半…。
この辺の交通の便の悪さがディンケルスビュールに観光客が少ない理由なのは明らかだ。
ローテンブルクを午前中で十分に観光して夜までにドレスデンに到着したいなら当然、朝7時半のバスに乗るしかないってわけだ。
ローテンブルクからドレスデンまではグーグル先生の乗り換え案内だと5時間近くかかるという噂。
おい誰だ、旅行日程を組んだの。
ドイツは思ったより広いっすね。それが今回の旅の教訓でございましてね。
訪れる際には余裕を持ったスケジュールをお願いします。
6時ごろに朝ごはんを食べるため一階に降りる。
こぢんまりとした自宅の食堂みたいな小さな部屋で、二人がけのテーブルが二つか三つほどしかない。一応ビュッフェ形式なので近くに並んだトレーの上からパンやハム、チーズを自由に取る。
給仕はおばさま一人だけ。コーヒーか紅茶かを選べたので紅茶を。
・・・まるで貴族にでもなったかのような気分を存分に味わう。
ああ〜〜今日がディンケルスビュール最終日ねえ、、、
昨日の魔法にかけられたような余韻はいまだに消えない。できればディンケルスビュールじゃなくてもいいからローテンブルクあたりでもう一泊したいくらいよ。
もはやロマンチック街道上で死にたいまである。
部屋を出ようと荷造りしている間にも聖ゲオルグ教会の鐘が近くで打ち鳴らされていた。
ゴンゴンゴンゴン
しかし、すごい音。こんなに耳元で鳴らさなくても。
(カーテンを開けたらでかい教会が見える見える…)
そうか教会の真ん前なんだよなぁこのホテル。。。
脳内に直接響いてくるこの音で街の人たちはみんな目を覚ますのだろう。
まだ鳴り止まぬ鐘の音を聞きつつ、人通りのない街路をバックパッカーなる二人の日本人がトボトボ歩く。
ところで朝の街は朝の街で大変趣があっていいものですね。朝日が城壁を美しく染めているんですよ、昨日もパシャパシャ撮ったばかりだけどこの日もカメラを手放すことはできませんでした。
城壁を越え、バス停に向かうとバスは時間通りちゃんとやってきました。
ちょっといかつい強面のおっちゃん運転手にお金を払うと面倒臭そうにしながらも切符くれました。
バスに乗っていたのは我々二人だけで、ある意味貸切状態。
そしてもちろん、運転は荒い。
荒すぎる。
棒に掴まってなきゃ余裕でぶっ飛んでガラス突き破って、死にます。
そしたらSAYONARA。
シートベルト?そんなもん、はじめからねぇヶド?
なんでヨーロッパに来て初めに死を悟る場所がバスなんだ、おかしいぞ??
(凄まじいブレーキで飛ばされかける我々)
↑↑運転手↑↑
おい運転手。
そもそも海外に来てまで絶叫アトラクションに乗りたかったわけじゃない。
アトラクションってのは安全が担保されて初めてアトラクションの体を成すから、安全の保証されてないもんなどアトラクションとは呼ばないんだよ。(正論)
そんなわけで数十分後、悪夢のバスは見知らぬ町のバス停に停車し、下車し乗り換えのために他のバスを待つことに。
次のバスも時間通り停車しましたね〜。
平日のこの時間帯とあって利用客はやはり我々以外誰もいません。
だから今回も大きな車体は、またもや二人の貸切状態。
貸切だからって一体なんのメリットが〜〜って感じする。
さて、乗り込んだバスもやっぱりアクセル全開、すっ飛ばしで走る。
まあでも、流石に慣れた。こうやってドイツに住む人間はアウトバーンに適応していく。
危険な民族。ナチズムより危険。
さて、ひとしきり揺さぶられ、どっかのバス停でまた乗り換えのために降車します。
バス停でうろうろしていた我々を気に留めたのか、先程降りたばかりのバスから運転手のおじさんがわざわざ降りてきて、
「あんたたち、どこに行きたいんだ?」
と聞いてきたので、ローテンブルクに、と答えます。
「ローテンブルク行きはあっちのバス停から発車だよ〜」と親切に教えてくれて、運転手はバスに乗り込み、去っていった。
なんと親切!
昨日のノイシュバンシュタイン城の奴らとは違うぜ!
素直に感動しました。そして言われた通りに待っているとローテンブルク行きのバスがやってくる。
数十分揺られたのち、ようやくローテンブルクに到着した。
城壁がとても大きいし、観光客らしい人の数からしても街の規模の大きさが伺える。
目の前にそびえる城門をくぐります。
いかにも古そうな、いかにもな城壁。上には見張り台が。
くぐりました。
そして門を抜けたところで真横を見つめると、まさかの、その城壁を登るための階段とかがあったりする。いやに古ぼけた階段だ。
え、まさか、この城壁、登れるの?
登らない手はないでしょう。
頭の中の小学生が騒いでいる。
登ります。
古ぼけた木とレンガなどで形作られた何百年という年季の入った階段を上がって、街を囲む城壁上の通路をぶらぶら歩くことに。
櫓の上からはオレンジ色の美しい家の屋根が見渡せます。どの建物も非常に古めかしい。
長い通路みたいになっていて、横幅はギリギリ人が二人横一列で歩けるくらいの狭さ。
向こう側から歩いてきた女性二人組のアジア系の観光客と途中出くわしたりもします。
頑張れば街をぐるりと一周できてしまうのだが、そんな時間はない。
正午過ぎくらいまでに街を一通り観光して、ドレスデン行きの電車に乗り込まねばならないのだ。ゆっくりすることもかなわない旅。誰だよこんな旅行計画立てたやつ。
というわけで一通り物見櫓を満喫したら再び階段を駆け下りて、ようやく市街地に入場。
いやー旧市街ですね。ほんとに。
市内の観光は一旦置いといて、ひとまず本日の目玉であるローテンブルクの中世犯罪博物館へ向かう。
この博物館はやたらと日本人観光客が多いとか。
だって日本人は大好きだよね、魔女狩り。
おかげさまで博物館に入るなり、目に飛び込んできたのはドイツ語と英語の説明書きに並んで、日本語の説明書きだ。すでに訪れる日本人の数の多さを物語っている。
中世の時代に使用された拷問器具が山のように軒を連ねておりました。そもそもこの博物館の建物自体、外観もそうだが中身も大変古めかしく、当時の牢獄をそのまま博物館に改装したんだとかなんとか。
地下に降りる途中、生々しい地下牢の跡が残されておりました。
石造りの地下牢に小さい天窓から光が差し込む。そしてそんな地下牢の真ん中には拷問用のトゲトゲのついた痛そうな椅子が。
座ると痔になりそう。
慢性的に痔になる筆者もこれには度肝を抜かる。
これじゃあ何回痔になっても敵わん。。。
ともかく、ここに縛り付けられた囚人は目を覆いたくなるような拷問によって悲痛な叫び声をあげていたんでしょう。一瞬でケツの穴がいっぱい増えたことでしょう。悲惨すぎる。
棘一つない便座に座って痔になる我々は恵まれていますね・・・。(><)
ガラスケースに飾られるかつての拷問器具はどれもこれも痛そうですが、特に有名なのはこちらですね。光の反射で上手く撮影できませんでしたが、こちら世界に数点しか現存しないという貴重な拷問器具「鉄の処女(アイアン・メイデン)」。
説明するのもおこがましいですね、ご存知中には鉄針がびっしり、閉じると当然中にぶっこまれた魔女は蜂の巣に。
実際には使われてないらしいけど。
いやだって。。。こんなん、拷問ちゃうやん、、、
ほら、拷問には拷問の趣旨とかそういうのがあってぇ、すぐ殺しちゃったらダメじゃん。。。?
被告を拷問して自白に導くのが魔女裁判の最たる目的なんですから。
最初は散々に拷問して「はいそうです、私が魔女です😭」と、自白させるの。
大陸における魔女の処刑方法は火あぶりが基本でしたがイギリスでは首吊り等も積極的にやっていったのだとか。
魔女裁判ってのは一種の集団ヒステリー。そんな当時の一大ムーブメントの火付け役になったのはまさに本でした。
当時は活版印刷術が生まれて100年経つか経たないかの時代。
グーテンベルクの活版印刷術は革命をもたらし、それまで非常に高価で手の届かなかった本や聖書が比較的安価に(それでも十分に高価だったが)民衆の中に浸透していく時代でしたが、たくさんの書籍が世に出回ってくると、当然、今の時代でいうベストセラーなるものも生まれてくるわけですよ。
ええ、そうです、要は、その時代のベストセラーの本の中に、日常に魔女が潜むというデマを書き込んだ宗教裁判官がいた。
デマをデマと判断するだけの冷静な知識なんて民衆にはありませんから、すぐに信じちゃうわけです。
当時の宗教裁判官ハインリヒ・クラーマーが書いた「魔女に与える鉄槌」という本の与えた影響はとくに計り知れないと言われている。
そもそも魔女狩りという行為自体は、けっこう昔からあって。1400年ごろの本の挿絵には箒に跨る魔女、いわゆる魔女のステレオタイプが登場しております。
妖術を使ったと噂された女(男)を捕まえて殺すような行為は散発的に行われていました。それを今度は組織的に、大規模に行ったのが16世紀以降吹き荒れた狂気の魔女裁判だったわけです。
ヨーロッパの大陸中あちこちの村や街で行われ、イギリスでもアイルランドでも、場所を変えて発見されたばかりの新大陸アメリカでも、魔女狩りは当然のように行われました。
ところで、一番好きだった展示物をご紹介。
こちらの仮面は、家畜や不気味な人間の顔をかたどった鉄のお面です。
”汚名のマスク”などという展示名が記載されている。
魔女狩りとの直接的な関係があったかは不明ですが妙な噂を流したり、公衆の面前で下品な言葉を連呼した者は特にこのマスクを付け、鎖で街頭に繋がれて晒し者にされる、とかいう刑罰があったとかなんとか。
上の写真で舌が出ているのは、その人物が”おしゃべり”である証。下の写真の豚のマスクなんて息をするたびピーピー音が鳴るらしい(真偽のほどは不明)。
他にも、これなんてどうですか。格好良くないすか。
これは死刑執行人のマントです。いかにもファンタジーに出てきそうな。。。
中世ドイツには厨二病が蔓延しておりました。
もはや当時流行っていた黒死病(ペスト)に次ぐ救い難い病気だ。
魔女狩りでは男性も数多く犠牲になったが、女性蔑視の風潮が魔女狩りの根底にあり、かつ、拍車をかけたのは確かだろう。
さて拷問博物館の展示にはひどくお腹いっぱいになったので、一旦博物館の中庭に出ましょう。
またしても可愛いドイツ猫に遭遇。よく写真を撮らせてくれます。ここの館長か?
毛並みが美しくて本当に可愛いし、和みますね〜。
んで、中庭を抜けると同じ博物館の別の建物に入ります。
あとちょっとだけ展示が続くらしい。やれやれ、せっかく猫で和んだところだが見てやるか〜という軽い気持ちで入ると…
ごめんなさい。俺が悪かった。ありがとうございました。
他には特にこれといって珍しい展示もないので。もう他にいうこともないかな。
そしてようやく博物館を出る。中央の市庁舎に面した大きな広場まで戻ってきました。
噴水のそばまで歩いてくると突然、同行者のTくんが叫んだ。
「畜生、うんこをかけられて動けない」
うんこ、、、?
よく見たら肩に白いものが。どうやら鳥の糞爆撃を食らったらしい。
その光景にひとしきり爆笑して、どうやら彼は荷物番をしてくれるというから市内を一人でぶらぶらすることに。
おみやげ屋さんでいろいろなものを買ったりもする。
さて、犯罪博物館という今回の最大の目的を達成し、少し手持ち無沙汰になったが、こういう中世都市に来てやることと言ったら、やはりあれ。
店の軒先にぶら下がった看板の写真コーナーのお時間です。(今回限り)
フラクトゥールっていうんですよね、こういうドイツの伝統的な独特のアルファベットのこと。
いろんなデザインがあって 面白い。これって職人さんが一つ一つ金属を加工して手作りしてるすごい看板なんです。細やかな装飾が本当に綺麗ですね。一体どうやって作っているんだろうか。誰か工房見学のツアーとかやってくれんかな。
看板巡りもひと段落したところでお昼ご飯を堪能する。
屋外で味わうお昼ご飯は最高だ。
ザワークラウト(キャベツの酢漬け)が異常にドカンと盛られたブルストはワインにとても合います。いやわからんけど。実はビールの方が合うかも知れん。酔えりゃなんでもいいんだ。
テラス席からの眺めもまた…
う、、、うげえ。。。
本当にこの世の全てを手に入れたような感じ。なんだろうなこの絶景。
ドイツの何が好きって、やっぱり何度も言ってる気がするが、この道の清潔感ですね。日本にいるとすっごく当たり前のことなんですが、そんな当たり前が実はすごく貴重なんだとこの旅で気づかされました。
あと窓に飾られた花だって、どの街でも当たり前になってて、すごく綺麗。
手入れが大変そうだけどすごくこだわってる。
ローテンブルクに来て本当によかった。
さて、残念ですが…この辺でこの中世都市ともお別れしなければならない。さようなら。またいつか。
このあと電車でドイツの端にある街・ドレスデンに向かうのですが、ここからドレスデンまでの旅の行程を書くと非常に長くなりそうなので今回はこの辺で切り上げたい。
懸命な判断。
ではではまた次回!