欧州遠征録【8】いざベルリンへ。
このシリーズ最後に一体いつ更新したのかすらはっきりしてないけど。去年??うそだ^^まじで^^去年!^^去年^????><
いかん、まずい、さすがにそろそろ更新しないとなあ、自分の記憶も永遠じゃないのですし。
久しぶりに旅行記書いちゃおうか。というか下書き欄にずっとこうして書きかけが放置されてたのでいい加減に書き終えることにします。
実は旅行記って面白おかしく書くのが苦手なのもので、自分でも何書いてんだかよう分かんなくなって中途半端で飽きてしまう。人生でかなり影響受けた旅行記がさすっごく読み応えあって面白いなぁって思うから余計にこう妥協を許さないと言いますか、そういう感じになっちゃうんですねぇ。でも頑張ってこのシリーズは終わらせたい。
実際今年の2月〜3月にはまたしてもヨーロッパ(東欧)をぐるぐる回る旅をしていたので、こっちを書き終わらなきゃそっちを書くこともできやしない。
うぉお。しかもなんだこれ、どんどん過去形になる。
2016年なんてもう4年前??
記憶がそろそろだいぶやばいし曖昧すぎる。三日前の出来事だってあやふやなのに4年前の出来事なんてはっきり記憶しているのか??自分も不安がりながら続きを書いてます。
というわけで、ノンフィクションというわけにもいかないのでところどころ嘘とホントを織り交ぜ脚色した感じで書いていきたいなというお気持ちですが。
みなさん覚えていればで結構なんだけど、 我々が前回訪れた都市はドレスデンでしたが、それでは今回その続きから。
◇
ドレスデンも最終日の朝を迎えましたね〜〜はやいもんです。
この日も素敵な朝食を食べたと思うんですがあまり食べた記憶がないなあ。写真残ってないから食べたのかもしれないし、食べてないのかもしれない。どっちだっていいか。最初は目新しかった朝食も日を追うごとにさほど目新しくも珍しくも何とも思わなくなっちゃうんですよね。仕方ないけど。
あと、この頃から当時の日記が飛び飛びになってしまってるのか、いろいろと情報が抜け落ちてしまっているのもあります。飽きってのは怖いね。
体感としては大体10日ほどで旅行にも飽きが来てしまいます。。。贅沢だ。
さていよいよお楽しみ、憧れのベルリンへと発つことに。
さらばドレスデン。たしかホテルからは、またまた歩いて駅に向かった気がするな。
そうそう、こういう感じで、ツヴィンガー宮殿の外堀をぼんやり眺めたりしながら優雅に朝の散歩ですよ。ドレスデン市民がうらやましいよ
トラムがあるので乗車して市の中心部に。
本当にベルリンへと行くことができるのか疑問が残るところ。
我々はもうね、ここまでくると慣れが出てきたから、切符の予約とかそういうのを事前に逐一決めて行動するのが億劫になっちゃって、もはや駅で当日にチケット買うのが当たり前になってしまっているところがあったが、
おかげで毎回不安を払拭できない。とてもスリル満点の旅。
でもまあ便利な券売機で買うからそんなにスリリングでもないけどね。ドイツ鉄道(DB)の赤い自動券売機は英語や中国語など様々な言語が充実してるんだ。日本語はないけど。
みなさん覚えているかどうかわからないが、ドレスデンに来る時だって危うくドルステンとかいうオランダとかベルギー国境沿いの町に危うく飛ばされかけたわけですしね。。。(※欧州遠征録【6】を参照)あれは、なぜだか券売機の操作をミスり、ドレスデンが見つからなかったんだけど駅員さんに聞いたら余計に分からなくなってしまったパターン。
なんやかんや券売機の方が人間の手を介すよりも確実だったりするよね。人を介してだと発音の聞き取りミスとかが起きかねないし。
ドレスデンには2つほど大きな駅があるのだが、乗ってたトラムがもう一方の駅に向かっていることをGoogleマップの位置情報で目にした俺は、何をとち狂ったのか、同行者T氏の言い分に歯向かってトラムを途中で降りることを強要してしまう。
「ベルリン行き、こっちの駅じゃね?」
ここで俺の勘違いしていた駅はフリードリヒシュタット駅のことなんだと思うが、当然我々が向かうべき駅はドレスデン中央駅。
いや、中央駅はこっちだと言うT氏の言い分に対して、いやいやこっちに決まっているとなぜか自信満々な上に頑固な俺は、このフリードリヒシュタット駅の方を中央駅だと言い張ってしまい、、、
結局自分の言い分が通ることになって、我々はトラムを途中で降りることにした。
とぼとぼ歩いてそのもう一方の駅に向かうことになるが。愚かであった。
そして、なんじゃここ、、、たどり着いた先はフェンスに囲われた駅の真裏。
しかもえらく閑散とした物寂しい駅。おかしいね、到着した時には見えなかった景色が広がってやがる。
この時点で自分たちは誤りに気づき、慌てて元来た道を引き返す。背中には重々しい荷物を背負っているのだが。。。
みなさんも旅ではちゃんと相方の意見もしっかり聞くように。こうなりますので。
さて結局トラムを途中で降りたばかりか無駄に歩いて無駄に引き返し、そして残りの中央駅までの道のりを徒歩で向かうことになってしまった我々一行。
結局朝早くに出て10時ごろにベルリンへ到着予定だったにもかかわらず、到着は12時になってしまうというアクシデント。
それでもかまわんと、ベルリン行きの電車のチケットを購入。
いや〜〜しかしどえらい目にはあったが(おまえのせい)今回も次の街へと向かうチケット難なく買うことができたと安堵して高速列車のシートに腰を落ち着けるものの、まだ神はお許しにならず。
「そこの席、いいです?」
ドイツ人のお客さんに声をかけられ、自分たちの座っているシートが指定席であることに気づかされる。
こりゃ申し訳ないことをしたと思い、改めて自分のチケットを見返すのだが…自分たちのチケットのどこにも座席番号など書かれていなかった。
一体どこに座ればいいんだろう。
今思うと、探せばどこかにきっと自由席専用車両もどこかにあったんだろうと思うのだが、列車も発車してなんとなく身動きが取りづらくなった我々はもうどうにもできなくなって(荷物もクソ重いし)車両の隅にあった補助シートに腰を落ち着けることにした。
けどそりゃそうなんだが、どことなく周囲からの視線が気になってしまう。
本当にここに座っていて大丈夫なのだろうか。
しかし駅員が通り過ぎても何も言われないし、それどころかチケットの確認をされても我々がここに座っていることに対してノータッチ。
変な気分が2時間弱続きましたとさ。
そして、、、
ベルリン中央駅につきました。
俺がバカやらかしたせいでだいぶ時間を食ってしまった。
さて、今日からスタートするベルリン観光ですが、実は
ここから旅の同行者が一人増えることになります。
同行者のT先輩にはその当時付き合っていた彼女がいたんですが、
まあそんな情報は本来どうだっていいのだが、実はその相手が今アイルランドに留学しており、ベルリンで合流しようという約束になっていた。
ただの赤の他人だったらまだ良かったかもしれない。
しかし自分にとっても、その彼女とやらは我々と同じ演劇サークルの一個上の先輩なので、そう無碍にはできないという事情があった。
出発前、一緒にヨーロッパ観光しようね!笑みたいなこと言われて、
俺も乗り気ではないのだが、何となくはい、楽しみです!笑などと、極めて当たり障りのない返信をしたわけですよ。先輩だしさ。失礼のないよう普通に接しないとね。(こういう女ってLINEだと優しく見える。実際にはただの怪物なのにな笑)
だってその時までは多少はムカつくけどそこまで嫌いじゃない先輩だったしさあ。。。
そん時まではね。
でも結局、この日からひどい目に遭いましたね。
やはり普段サークルで接しているような感覚で一緒に観光してはいけない。一緒に旅行することの恐ろしさを舐めてはいけない。本当にひどい。
ムカつきが段違いである。
人格者で思いやりがあって優しいT先輩とは違い、非常にわがままで自己中心的で、ことあるごとにすぐ不機嫌になるような感じ。
てかT氏も一体なんでこんなヤバイのと付き合ってんの?(真顔)
脅されたりでもしたんじゃねえの?
兎にも角にも、つまらん時は迷わずつまらんとか飽きたとか、あれこれわがまま言い出して場の雰囲気ぶち壊しにしないでほしいね。黙ってその場にいておくれ〜〜〜赤ちゃんじゃないんだし。。。
ウクライナの教会の外観可愛い〜〜〜!!とか叫んでおいて、いざ中に入って、物々しい内装とか正教会の礼拝を聴いた途端、つまらん早く出たい〜〜〜!!!とか機嫌悪くして駄々こね出すんですわ。。。出たけりゃ自分だけ出ればいいじゃねえか、こっちを巻き込むな。バカ〜〜恥を知れ〜〜!
これでも一応先輩なんだけど、こうなってくると微塵も尊敬の念など湧かないのですわ。
会話の中で自分の思い通り事が運ばなかったり批判されたりすると相手に向かってすぐうざいと繰り返してきて、自分のつまらなさを棚に上げて相手に面白さを要求してくる典型的な他人任せ他力本願のクズだし(特に演劇界隈に多い。自己顕示欲の強いだけで思いやりも常識も謙虚さのかけらもなく、責任取らんが態度はでかい口だけの馬鹿が集まりがち。そのくせ妙にメンヘラなのが多いし。前頭葉狂ってんじゃないの?まったく、、、)
そんな人と合流してしまったことによって旅は非常に深刻なものとなっていくような。
そもそもこの人とは全く仲良くないしな…
苦手だったんだけど旅を通じて少しでも仲良くなれるかも???などと、どこかで期待した自分が愚かだったかもしんない。
今あの人はどうしてるんでしょうかね〜まぁそんなのもどうだっていいんだけど
まーーーあれですね、本人のいないところでいろいろあれこれ悪口を言うのもアレだ、なんなら4年前の話なのでとっくに時効も切れている、今更蒸し返して責めるのは罪刑法定主義に反すると言いますかね。ともかく陰湿だし心苦しいのでこの辺でブレーキを掛ける。
「遅い」
さて、こんなわがままモンスターな先輩を”S”さんと呼ぶことにしましょうか。一応最低限の敬意は払います。怪物とか思ってても言いません。(言ったらさらに面倒なので)
Sさんと駅で合流するのにはかなり手間取りました。ベルリン駅も結構大きいからね。あっち行ったりこっち行ったりしてようやく見つけ出す。助かったわ。
まずは、1時間の遅刻を詫びます。
誰のせいかって、これは紛れもなく俺のせい。さっそくSさんからねちねち言われました。まぁ、これには返す言葉もございませんね。。。
で、後ろを歩く俺の存在など無視して、自分の大好きな、彼氏先輩とべったり仲良く談笑しながら歩いてるんですわ。ほんと。あからさますぎて怖い。確かに4、5年前の自分が今と比べてクソつまらん人間だったことは否定はしないけど。人と会話するのもそんなに得意じゃなかったし。
嫌な感じだが、こうした複雑極まりない状況でもなんとか楽しいベルリンを楽しいものにすべく、我々は駅の観光案内所に行ってバスや鉄道の1日乗車券を手に入れました。
これさえあればどんな交通手段もチケット一つで歩き回れる。とても便利だね。
ということでまずはベルリンで宿泊予定のビジネスホテルを目指しました。
ここまでくるともうこれまでに泊まった宿とは打って変わって大変シンプルな、日本にもよくある内装になってきたので(お値段重視)特にこの時の写真はありません。
部屋に荷物を預けて集合し、さっそくベルリン市内の観光へとシフトしました。
ちなみに自分だけ一人部屋で先輩たちは相部屋。
そりゃそうだ。それがいい。厄介払いもできる。
扱いに不満は残るが。
まずは、ベルリンに来たからには絶対に外せない場所というわけでベルリンの壁を目指すことにした。
だがここらへんの記憶があまりなく、ベルリンの壁のあるポツダム広場まで歩いて行ったのか電車で行ったのかかなり曖昧なのだ。多分歩いたと思うんだよねぇ。
ポツダム広場は第二次世界大戦より前にはヨーロッパの経済拠点として栄えた。ニューヨークのタイムズスクエアみたいな感じか。ナイトクラブやバーが立ち並び、ナチス時代にも軍の高官たちが闊歩したことだろう。
第二次世界大戦で帝国の首都ベルリンは連合軍の熾烈な爆撃や砲撃を喰らい、一帯は廃墟と化した。まるで無傷だったパリとはとても対照的。
おまけに戦後は占領者のソ連とアメリカに分断され、ベルリンの壁が建設され、悲劇はまだまだ続くのである。そうして、今度は人材流出を遅れた東ドイツがこのポツダム広場を起点として巨大で生々しいコンクリートの壁が築き上げたのだった。
1989年のベルリンの壁崩壊によって大勢の人々がここに殺到する。壁はハンマーで砕かれ、ロープで引き倒され、人々は歓喜に包まれて再会を祝福するのだった。
その際に多くの壁が引きずり倒され、破壊されたのだが、今でも一部の壁は当時のまま残されている。
歩いてるとこんなどでかいのに遭遇してテンションが上がるよね。確かにこの生々しさはただの壁ではない。落書きにもいろんな特徴があって、西ドイツ人たちが東ドイツへの悪口を目一杯書き込んでいる。芸術的なものも多いし。
Sさんも初めて見るベルリンの壁にテンションを上げていた。歴史には一切興味のない彼女は”ただ有名なもの”という認識しかなさそうだったけども。
まぁ、別に旅の楽しみ方なんか人それぞれでいいと思います。
純粋に風景を楽しんでいる人に向かって、この建物は〜〜…とか細かく歴史を解説するような鬱陶しい人間にはなりたくないもんですし
ただ、その土地の風習や宗教観、文化をないがしろにしたり、あるいは悲しい出来事や重い歴史の刻まれた場所を軽い気持ちで訪れたりSNS映えの目的だけで撮影したりするのは人としてどうかな〜とは思います。
そのためにも歴史のお勉強は最低限必要。
旅行の計画を建てる段階で、そういうことは是非とも、軽くでいいのである程度は勉強しておいて欲しいもんです。みんながみんな常識や良識があれば日本人に対する印象も必ず変わってくるもんですし、アジア人への差別や偏見も減らすことができるし。
タイで仏教の説法垂れ流すラジオがうるさいって言って、オランダ人か誰かがコンセント引っこ抜いただけで懲役何年とかですからね???
日本の常識なんて海外では通用しません。
さて、この写真は、そんな壁の裏側ですが、実はこんな風にちょっと展示っぽくなってるところがあったりします。
ベルリンの壁って、単に薄っぺらいコンクリートの壁というわけでもなく、結構間も広いんですよ?
壁を超えた先にも有刺鉄線やバリケード、銃を持った兵士、番犬、溝、監視塔、もうなんでもアリです。サーチライトで照らされたら終わりだし。。。
こんなところ越えられないね。最初からこうだったわけでもないけども。最初のペラい壁ひとつじゃさすがに沢山の亡命者が出てしまい、対処に悩まされちゃったためさらに増築した、という形です。
まあこんなことやったって地下にトンネル掘ったり小川を越えたりして東から西へと亡命した人は数知れませんが。
それでも壁を越えるしかなかった人はもれなく撃ち殺されている。
亡命行為はベルリン市内に限ったことじゃないので、東ドイツから西ドイツへと逃れるだけでも全体で約1000人以上が犠牲になったとかなんとか。
亡命を阻止した監視兵には勲章メダルまで与えられましたし。
銃殺された亡命者は共同墓地に埋葬されました。墓標も建てられることはなかったそうです。だってまぁ、、、共産主義の裏切り者ですから。丁寧に埋葬してもなぁって感じだったんでしょう。中国の天安門事件も似たような感じ。
また、結構前からだけどこういったベルリンの壁の砕かれたコンクリート片は売店で売られてたりします。欲しいような欲しくないような…
さすがにベルリンの壁にも満足して、我々はそのままの足で再びポツダム広場の方へ。
少し行くとチェックポイントチャーリーが見えてきました。
A(アルファ)、B(ブラボー)、C(チャーリー)、D(デルタ)などとアルファベットを呼ぶのを聞いたことがあるだろうか。
あれはもともとNATO(北大西洋条約機構)で規定されたフォネティックコードと呼ばれるものである。同盟国の軍隊同士でこのようにアルファベットを発音するという決まり事があり、それは現在でもあらゆる方面で使用されている。
普通の呼称だと無線で聞き取りづらいからとか、いろいろと理由はあるようだけど。
もちろん自衛隊でも使われている。また一般の無線通信の際にもこのような呼称が用いられ、その場合それぞれ一文字ずつに単体で意味が用意されている。
さて話を戻すが、つまりこのチェックポイントチャーリーのチャーリーというのは当然人名やあだ名というわけではなく、”C番目の検問所”という程度の意味合いに過ぎない。
冷戦時代、ここを境にして米ソが睨み合ったのだ。ベルリンは東西冷戦の最前線であり、本気で双方とも向こうが攻め込んでくると疑心暗鬼になっていたようで。今の韓国と北朝鮮の間のDEZ(非武装地帯)みたいなもんですね。非武装と言いつつ地雷があったりしますが笑
そういうわけで、もし西ベルリンに、あるいは東ベルリンに用事でもあるなら、こういった検問所を通れっていうわけである。
当然ながら亡命目的での出国は許されない。
まあ西から東へ亡命するような人間がいたかどうかは知らないが、東ベルリンから西ベルリンへの渡航が許された人間なんてごく一部。かなり厳しい審査を経て、秘密警察シュタージの監視を受けながら出国した人物だ。
西ベルリンから東ベルリンには観光客も多く訪れていた。
そういった人物への検閲はそう大して厳しいものでもなかったらしい。貴重な外貨を落として行ってくれる存在だしね。うちの母親も80年代に東ドイツ・東ベルリンへと足を運んだことがあるそうだが、西ドイツとの経済格差を目の当たりにして衝撃を受けたとか。
チケットの紙の質ひとつで経済状況が分かってしまうんだから、これほど悲しいこともないだろう。人民が亡命を決め込むのも当然のことだった。
まぁそれでも東ドイツは共産主義圏の中では一定の経済成功を収めていたんだけども。。。
その事実だけでも共産圏の失敗を物語っていると言えるじゃないですか。
ちなみに、このチェックポイントチャーリーでは写真も撮ることができる。写真をよく見れば旗持ったおっさんが立ってるだろ?
彼らに金を掴ませると写真が撮れるってわけだ。
いい商売だよな。まぁ、、まんまと乗せられるようにして撮ったけど。
Sさんが男二人並んだ写真撮ってくれた。正確にいうと4人だが。
こうして振り返るとなんか楽しい思い出ですね。
まあ、けっこう強気の価格設定で躊躇はしたけど、これはなんとか撮って正解でした。
チェックポイントチャーリーのそばには博物館なんかもあったけど、多分のんびりしている暇もないので、ここらで飯にでもします。
近くをうろついていると、公園のような場所でいい感じのソーセージなんかを焼く屋台とかが集まったエリアがあったので、一休み。
ベルリンと言ったらカリーブルストを食べないことには始まらん、というわけでさっそくいただきました。カリーブルスト。
でも注文する時、ヴェスト(西)・オスト(東)ブルストみたいに、なんか分かれてる感じでした。どう違うのかわからんかったし、写真に写ってるこれは一体どっちだったのか。
未だ謎ですが。東だったような記憶がうっすらと。
まあどっちにしたって美味いもんは美味いんですわ。
そんでもって、ビールによく合います。
小腹も満たしたので、街の散策が続きます。
ベルリンの街並みも案外綺麗なもんだ。
ソ連軍の地獄のような砲撃でめちゃくちゃにされたというところで記憶が止まってるので、よくもまあそれから見事な復興を遂げたもんだなという感じ。東京もそうだけどね。
とはいえ戦前の趣あったベルリンの方が好きなんだけどなあ。。。あの戦争さえなければ、ベルリンもパリとはまた一味違った感じの、ドレスデンのような古風な街並みだったんだろうなあと思うと非常に勿体なくて仕方がない。近代化の弊害とも言える。
少し歩いて、教会の前まで来ました。
めちゃくちゃでかい教会。
この時、完全に先輩たちのあゆみに連れ回されるばかりとなっていた自分は、もうどこを観光したいかという意欲も失っていたので正直なところ、訪れた当時はこの建物がなんであるかすら理解していませんでした、お恥ずかしながら。
今こうして調べてみると、これが1905年に時の皇帝ヴィルヘルム2世によって建てられた教会だということを知ります。 第二次大戦で巨大なドームは被害を受け、近年修復を終えたとか。
内部のドームの装飾は大変美しいそうだけど、なぜかこの時我々は内部に入ろうとすらしなかったような気がする…多分入ってないはず。
入れば良かったなぁ。
あと、この教会の真隣に巨大なサムスン電機の近未来的な巨大建築物がそびえ立っており、我々は見事な景観破壊だなと言って笑い合った。
サムスンはやべえよ、いろんな意味で。とても日本企業には真似できない自己主張の強さ。建築物より目立つどでかい看板で、ヨーロッパじゃどこ行っても夜中でもギラギラネオンが光ってるからな。やべえよ。
後述するが恐怖のキエフ市内の深夜でもギンギラギンに光るサムスンの看板だけが道標となり、我々に対して妙な安心感を与えてくれた。
さて、教会の奥の方に、あんなに高く聳え立ってる高いタワーが見えてきました。
ベルリンのテレビタワーというらしいが、あそこに登ればベルリン市内を一望できるというので早速目指すことにします。
だいぶ近くまで来ましたね。
てか、ここまで来たらもう自分たちの宿泊するホテルにも多分だいぶ近い。
結構前からあるタワーらしいけど、あのタワーが立ってるのって旧東ドイツ??西ドイツ??
旅行中今いるのはどっちなんだろうな〜〜〜とか、そんなこと考えながら歩いてたけど、方向音痴なのでどっちが西か東かもよく分からんままフラフラ歩いてましたね。
勿体なかったな。もっとよく考えて歩けば良かったよ。
ちなみにこのベルリンタワーは60年代に開業した東ドイツの建物です。
共産主義建築だったのか〜〜〜〜と後になって知ったので後悔した。それを考慮してもっとじっくり見とけば良かったなあ。
東京タワーよりも高い約360mのテレビ塔。てかこんな高い建物建てちゃったら、東ドイツ市民が西ベルリンの豊かな暮らしぶりを空から眺めることがちゃってまずいんじゃないの????って思いましたけどね。夜景とか明らかに違うでしょう。どうなんだろうか。。。
それとも展望台が開放されたのはもっと後になってからなのかね??
エレベーターで一気に上昇。
これはすごい。正直エッフェル塔にも登らず、日本でもあべのハルカスくらいしか登ったことがなかったので、この高さまで上がるのは初めてかもしれん。
でも展望台が200mってことはハルカスの300mには負けてるのか。じゃあ初めてではないわ。すまん、、、
しかし窓ガラスが汚いのなんの。
ドイツって綺麗なイメージあるじゃないですか、でも電車の窓とかも振り返ってみればすごく汚かったんですよね。
でも、でもさあ展望台の窓くらいは綺麗にしてあると思うじゃないですか。それが、汚いんですよね。本当に薄汚れてて下の景色が曇っててよく見えん、、、ドイツ人は結構適当な民族だ。まぁお客様ファースト精神の日本人がおかしいってことでもありますが、、、
地平線が見えるのも日本とは違うなってところですね。
さあ十分に景色を堪能したのでエレベーターで急降下ですよ。
展望台へ登る大きなエレベーターには他のお客さんも乗り込んでて、ガイドさんがついてて、英語でちょっとしたトークをしてくださるんだけど、一緒に乗ってたお客さんの中にアフガニスタンの人たちもいました。移民かな。
こちらに対しても、出身はどこと聞かれたので日本と答える。
「このタワーより高い建物を知ってるかい?」みたいなこと聞かれたんだが、不意打ちだったんで正直なんて言ったのか分からずにYesって適当に答えたら、「どこ?」って聞かれて、答えに迷ってしまう。
それからまもなく向こうから「ああ、スカイツリーか!」と言われて、うなずきました。助かりました。適当に返事をするもんじゃありません。
適当すぎる。。。。
そこでエレベーターがちょうど一階に着いたので、持ってたチケットを再びかざして出ます。
出る時、Sさんだけチェックに引っかかって、いつまでも出てこれない感じになってました。面白くて、出入り口からT先輩と一緒に遠目から眺めていました。
警備員に助けられてようやく塔を脱出。
まあまあ、あの人と一緒にしては、予想よりそこまでひどくない1日だったなと思いつつ、帰りは小さなパン屋みたいな商店とかに立ち寄りながらホテルに帰ります。
さて、1日の終わりなんですが、ここからまた問題が発生。3人で一緒にホテルの部屋でさっき買ってきた飯など食ってたら、いきなりSさんが「パスポートがない!財布がない!」とか喚きやがるんですよ。何事か。さっきのスーパーに忘れてきたのか????って感じになって、大慌てでホテルを飛び出して、さっき立ち寄った小さな商店に舞い戻るんですが、19時くらいなのでとっくにシャッターは降りていて、完全に無駄足を踏むことに。
こうなるとこの人はまじで面倒くさいんですよ、機嫌悪くなってずっとぶつくさ愚痴とか垂れ流すもんだから、二人の男はこの人の機嫌を伺うだけ。
ま、、、まじでめんどくせぇなこいつ、、、、泣
一緒に旅行もしてなかったらこんなやつとっくにシュプレー川にでも突き落としてるわ。
「もうホテルにあるんじゃない??」とかT先輩が言うので、いったんホテルに戻って荷物の中身を再確認するSさん。
するとリュックの中の別の袋に入れていたことが判明し、我々は安堵します。
「あったー!!!!」と、そっから妙に機嫌良くなる。
周囲を振り回すだけ散々振り回しといて全く謝罪もなく、こちらとしてはイライラゲージが溜まるだけですよこんなの。
しかしこんなもんはまだまだ序の口であり、今後ますますこの人によって振り回されながらの旅が続くのでした。
(次に続く)