欧州遠征録【9】ベルリン二日目。ドイツ最終回。
みなさんお久しぶりです。。。
また随分と更新が遅れてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
早くももう半年ですよ。
いい加減定期的な更新を心がけたいものです、、、難しいですけど。
これ以上の前置きは長くなるので省きまして、今回はベルリン観光二日目の日記ですね。
(2016年9月15日)
さて昨日ベルリンに着弾した我々ですが、ベルリンをさくっと観光して今日はまた本格的に観光を。
特に行きたいところがあるわけじゃないんですよね、ベルリンに関しては。。
→そもそも前回もお話ししたように、同行者にちょっと苦手な人が1人でもいたりすると好きなところに行くのも結構しんどいので
でも一応ドイツもこれで最終盤なんで、今日くらいちゃんとドイツらしいことしたいなって思うじゃないですか。
まあ毎日散々ドイツらしいことをしようと心がけてビールを浴びるように飲んできたけどさ
買いそびれてたお土産なんかもここでちゃんと買っておきたいし?
なんせ明日はドイツという安心安全のEUを離れて、英語通じるかも分からんウクライナとかいう未知の国に飛び込むんですから。
そうして、とりあえず先輩と話し合って以下のようなざっくりとした予定が組まれることになった。
当初の計画表に若干の修正が入るわけです。
【今日の予定】
午前
②森鴎外記念館
③バームクーヘンの美味しいお店
④美味いビールとドイツ料理
午後
① 俺→単独行動。(デパートとかケーテウォルファウトとか)
①’ 先輩二人→(バウハウスとか。後は知らん。)
②午後3時くらいにカイザーヴィルヘルム教会前で落ち合う。
てな感じに、ざっくりとした予定が組まれることになりました。
いやいや皆さん、今日の予定は素晴らしいと思いません??
なんせ単独行動の機会が回ってきたというわけですよ。自由に行きたいところに行ける。
今思えば何で自分はもっと早い段階で単独行動の機会を設けなかったのかと不思議でならないのですけどね。
当時は初海外というのもあって単独行動はなるべく控えようというのがあったからだとは思います。
それに同行者がいた方が英語できない自分には心強いというのもあったが。
しかし、これによってようやくあの煩わしいS先輩から離れられるってわけです。
もちろん一時的ではあるけど。
そういうわけで我々は一路、ベルリン市内にあるという森鴎外の記念館を目指して歩き始めることになった。
1日しか歩いてないのにすっかり見慣れたベルリンの街並み。しばらく歩いて昨日も行ったポツダム広場にまでやってくると、そこにはベルリンの壁を削り取ったものがモニュメントらしく置かれていました。
お、こんなところでベルリンの壁の一部分見れるんだ〜と展示に見入ってたら、その壁の表面にはられた不気味な集合体にびっくり。
近くで見ると全部ガムなんですよ。。。
噛んだ後のガムを貼り付けて模様を描いてるんです。
馬鹿じゃねえのか?って思うけど、まあこれもまた芸術なんでしょうね。我々にはどうも現代ドイツ人の芸術センスというのが理解できません。ヒトラーがモダニズムを退廃芸術と罵った気持ちがなんとなく理解できます。意味がわからん。
芸術センス抜群のフランス人は今でもよくドイツ人に芋でも食ってろと罵るそうだし。
それともこんなクソみたいな壁作りやがったソ連どもに対する復讐の意味もこもってるんでしょうかね。確かに。それなら納得ができる。旧東側では今でも残されたレーニン像を叩き壊したり、蛍光色カラーに塗りたくったり、しょんべん小僧に作り変えたりする馬鹿な悪戯が流行ってるそうで。興味があったら調べてくださいな。
ろくろ首レーニン像はかなり面白かったよ笑
広場を後にしてさらに歩くと、途中に不気味な石の集合体があることを確認。興味本位で近づいてみると、これが何かの慰霊碑であることに気づく。沖縄の摩文仁の丘みたいな感じかな。
よく見れば、ユダヤ人の慰霊碑でした。第二次大戦中、ユダヤ人が殺戮されてしまったのは誰もが知ることですが、その慰霊碑が街中にひっそりと佇んでるもんなんですね。いまいち何を意味しているのかよく分からなかったけど。
てか、結構でかいですね、こんなデカかったんだな。今これ書きながら写真を見てビビってる。あんまし記憶ないんですよね、、
とにかく、ドイツ人の背負った贖罪の重いと言うものが痛いほど伝わってくるような構造物の塊でした。本当にベルリンっていう町は戦争から切り離せんよなあ。
少し寄り道はしたが、そこからさらに歩くと、今度はおそらくベルリンのみならずドイツを代表する立派な建造物が見えてくる。
そう、これがブランデンブルク門だ。
いつ作られたんだっけなこれ。ナポレオンの時代くらいからあるっぽいけど。
門の上には女神の像がある。実際これはナポレオンに奪われたことがあるらしい。
のちに普仏戦争で取り返したとか何とか。本当なんでしょうかね。
その後ドイツは第一次第二次と凄まじい戦争に敗れ、二回目の大戦ではご存知の通り美しい街だったベルリンはソ連軍の攻撃で廃墟と化しました。
そして東西分割。
悲惨な歴史を歩んできたもので、戦争でもかなり被害を受けたと思うんだけど、その痕跡は見当たらない。調べてみると1956年くらいに東ドイツが修復したんだとか。ドイツ人にとっては大切なモノなんでしょうね。ベルリンの壁の起点になったのもこの門ですし。
朝早かったこともあってか、ご覧の通り。超有名観光スポットだけど観光客もまばらです。
写真は取り放題ですわ。
あんまし自分の写真は撮ってもらってないけどね。
さてお次は、すぐそばにあるドイツ国会議事堂。
これまた歴史ある建物で、第二次大戦ではソ連軍がめちゃくちゃ雪崩れ込み、屋根に登って赤旗を立てた場所でもある。
これがほんの70年前ってのがなんとも実感が湧かないよね。
東西ドイツが統一して以降やっとそれまで廃墟だったのが修復が進み、ドイツ国会議事堂として正式に稼働したということらしいです。
(西ドイツの首都はそれまでボンだった上に、ここは東ベルリンでなく西ベルリンの管轄区域だったので東ドイツが首都機能を置くこともできなかったため、長年野晒しにされてきた。)
こちらは国会議事堂を裏の川の対岸から眺めたもの。
なにやらデカいガラスのドームが見えますが、あれが古い建物に近代的な設計を盛り込んだものです。ドームの中は展望台になっているので観光客が押し寄せとるんだが、予約制なので予約してなかった自分たちは入れませんでしたとさ。
まあそういうこともある。
お次はウンテルデンリンデン、という通りを歩く。
聞き慣れない通りだなぁ
そういや「舞姫」って今教科書に載ってるんだっけ??自分の高校か中学の教科書には載ってたけど、授業じゃやんなかったなあ。
今いるベルリンって町は、森鴎外の小説「舞姫」の舞台になった街としても有名。なんでここに来た以上鴎外記念館には行く必要がありまして。。。全然読んだことないけど。。。
ほらね、遠目にデカデカと鴎外と書いてるもんだからすぐわかりましたよ。ちゃんと漢字だし。
ここが森鴎外の下宿していたアパートらしいです。まあ当然本物は1945年のベルリン市街戦で叩き壊されたけど、ちゃんと復元してくれたそうでね。
早速中へと押し入っていきます。
古い階段がお目見え。
登った後の中はまあ、至って普通の博物館といった感じ。ちなみに館長さんは日本人の奥様でした。なんか日本人がそこにいるだけで旅の安心度って格段に上がるよね。
ドイツには結構な確率で日本人がいるので、多分住むのも問題ないと思われます。
中の写真は残念ながらありませんが。
森鴎外記念館の感想としては。。。
まあ。。。森鴎外、すごいなあ。と思ったのと(ほんまかいな)
日本に帰ったらちゃんと森鴎外を読もうなあ、と思いましたね
(ちなみに5年を経た現在、まだ一切読んでいない。。。)
そんなこんなで森鴎外記念館を後にし、川沿いをぶらぶら歩いて美味しいバームクーヘン屋を探すことに。
Sさんがなんかガイドブックに載ってるところでいきたいところがある〜とかなんとか言ったので、電車で向かうことになった。
ちょいと小洒落たフランス語風の駅から電車に乗って少し移動。
ここら辺の移動は先輩任せだったので正直自分がどこへ向かっているのか全く覚えていません。。。
行ってみるとなんか小洒落たパン屋といった感じのところでした。
自分はその時別に腹が減ってたわけでもバームクーヘンを食べたいという気持ちもほとんどなかったので買うこともなかったんですが、少しだけ頂きまして。
美味しいなあと思いました。
本当に感想がしょうもなくてすんません。。。この頃になるともう何を食べてもあまり驚かなくなってきて、新鮮味が薄れてきたってことなんでしょうけども。ホームシックってわけじゃないんだけどね。やはり旅は10日目くらいまでが一番楽しいんだけどそれを超えると少しずつ虚無になってきちゃうんですわ。仕方ない。
そこから美味しいドイツ料理を探し求めてレストランへと向かいましたとさ。
途中、カントの名を冠したカフェが目に飛び込んできたので、哲学科のT先輩がちょっとはしゃいでました。
まあ近づいてはみたけど全然カントには関係なかった。。。残念。
ツィレマルクト、、、読み方はこれであっているのかどうか知らないが、かなり小洒落たレストランだ。やはりこういったテラス席で食うドイツ料理ほどいいものはないよね。
とりあえず、というわけで当たり前のように500mlのビールを頼む。
これで大体300円くらいだ。なんて安いんだろう。。。ずっとドイツに住みたい。。。
クっっっっソ美味美味いもんは美味い。
美味すぎる。
ドイツビールは最高だ。人間の叡智だよね。
これに敵う飲み物があってたまるか。
なんかバームクーヘンの時の反応とは180度違うな。
だってビールはなんせ毎日飲んでも飽きることはないしな。
料理の写真はありませんが、おそらくドレスデンのビアガルテンでも頼んだグーラシュとかいうビーフシチューを頼んだ気がします。美味しかった。そんでビールをもう一杯。
つまり昼間っから1リットルもビール飲んでんだよね。
おかしいよな。日本じゃ絶対ないわこんなの。軽く酔っちまったよ。
昼間からフラフラ酔っ払いながらベルリンを徘徊することになります。
午後なので、こっから先は単独行動のお時間です。
ようやく自由を謳歌できるとばかりに二人を置いて自分は我先にと町の中へ飛び出していきましたよ。
先輩たちはバウハウスとかいうモダニズムアートの展示美術館に行くらしいが、自分はとりあえずクリスマスグッズを扱うお店「ケーテ・ウォルファウト」に入りました。
このお店では年中クリスマスグッズを扱っているとのことで、実に品揃えが豊か。海外のクリスマス文化って日本では真似できないほど豪華で派手で楽しいからいいよね。
結構お値段もするし、これといって欲しいものがあるわけでもなかったから特に何も買わなかったけど。
まあ、いかんせん酔っ払ってるし、なんかビール飲み過ぎで尿意はすごいしであんまし記憶にないんですよねここ。
慌ただしく店を出ると今度は尿意に耐えながら街を歩く。
その姿は紛れもなく不審者だ。
デパートの前までたどり着いたんだが、最近テロを警戒してデパートでも警備は厳重。しっかりと出入り口で荷物の検査とかがあったりする。まあしかしベルリンの場合はパリほど厳重ではないものの、ダークスーツにサングラスのいかつい警備員は立っており、自分がデパートの前で挙動不審に立ってるから、何か御用でも?って聞かれてしまう。
いやここ、トイレあるんかなと気になったが。
そりゃあるか。
とりあえず、トイレはどこにありますか?と酔った頭でやや混乱気味に聞いてしまう。
確かロシア語が少し混じった気がする。トイレって英語では何て言うのが正解なんやろって思ったんですよね。ロシア語だとトゥワリェット、なんですけども。
トイレットでええんか普通に?いいか…まあ普通にロシア語っぽい発音でも通じたし別にそんなことはどうでもいいのだ。
「ここの3階にありますよ」とその人はとても親切に教えてくれた。うわー大変申し訳ねえ、と思いつつ、エスカレーターで慌ただしく3階の奥の突き当たりへ行き何とか難を逃れる。どこにでもトイレがないしあったとしても有料であることが多いヨーロッパなのでさっきの黒服さんには感謝しかない。
なにかちゃんとここで買い物して行こうと思いました。最上階のお土産売り場とかでチョコレートとか買ったと思うんだよなあ、はっきり覚えてないけど。
そんなこんなでデパートを後にして、その頃には流石に酔いも覚めていたので、薬局でやばそうなエナジードリンクを買うなどしながら、カイザーヴィルヘルム教会のそばの広場で先輩二人を待つ。ベンチに座ってると、物乞いのジプシーかどっかのおばあさんが金を恵んでくれと近づいてくるのだが、それをせっせと追い払う。
やはり追い払うのは心が折れるな。。しかし一人に何かをやると他も寄ってくるしなあ、、難しい問題だ。
これがカイザーヴィルヘルム教会なんだけど。。。
なんか、教会っていうには、ボロボロじゃねえ?って思いますよね。
てか尖塔が吹っ飛んでる。
これは戦争で吹っ飛ばされたままの状態で今も教会として使用しているからだそうです。
カイザー(皇帝)ヴィルヘルムとは第一次大戦の時のドイツ皇帝の名前で、この教会もその皇帝に因んで建てられたもの。ドイツは戦争に負けて皇帝は国外に亡命し、その後ヒトラーによって第二次世界大戦が始まるが、今度はその戦争で屋根やらあちこちを吹っ飛ばされたわけでして。
ほんと町中至る所に戦争の痕跡があるね。
そんなこと考えているうちに先輩たち二人がバウハウスから帰還して合流。
バウハウスの感想を聞くと、すげえ面白がっていたけど、二人とも明らかに近代芸術を馬鹿にする風な口調だったので、なんとなくどんな展示物があったのだか想像がついた。多分おれも似たような感想を抱いたことだろう。椅子をただ置いただけの空間を彼らは芸術と呼ぶのだからやっぱり分からない。
我々凡人に近代芸術は早すぎるというわけだ。
そしてこれからカイザーヴィルヘルム教会の内部へ。
結構すごいところでしたね。戦争遺跡もちゃんと現代の教会として活用しているところがさすがだなあというか。
もっと奥に行くと、外観とは不釣り合いな現代風の礼拝堂が広がっており、多くの人が祈っていました。まあちょっと現代チックすぎて、観光客にはつまらないかもしれないけど。
こうして教会も後にして我々は一路電車でホテルまで戻ることに。
ドイツの地下鉄って入り口でチケットかざしたりしないんですよね、、、出口でも同様に。
でも電車の車内で突然抜き打ち検査みたくチケットの確認に車掌が回ってきたりするんで、当然ながら無賃乗車は許されません。
とても疲れたが、今日は何となく充実していた気がする。同行者のSさんにムカつくこともほぼなかったし。
比較的彼女の機嫌がよくて助かった。(なんで四六時中機嫌を伺わなくちゃいけないのか分からんが)
さていよいよ明日は朝からベルリンを離れてウクライナのキエフに飛行機で飛ぶのだが…。
ウクライナ、いったいどんな国なんだろう。
期待と不安が混ざり合いながらのドイツ最終日でした。
(次、ウクライナ編に続く。)