欧州遠征録【2】パリ3日目。凱旋門とエッフェル塔とナポレオンの墓を眺めに行く。
三日目のパリで我々はこの日も朝日を迎えた。
三日も経ちゃたとえ異国だろうが不思議と馴染んでくるものだな。ちゃんとパリの紳士淑女の皆様方に「メルスィーー」だの「ボンジューーール」だのと挨拶できるようになったから偉大な進歩です。「オルヴォワーーール(さようなら)」は相変わらず噛みそうになるし実際に何度か舌を噛んだ。
おフランスの言語は難しい。そもそも街中に溢れるフランス語の文字すら満足に読めない。
大学でフランス語を習得していた同行者のTくんがその辺はきちんと読めるもんで地下鉄の表記案内の解読は完全に彼に任せっきり。これじゃあ一人でぶらぶらと動くことも敵わん。はぐれたら、すなわち死を意味する。
てか、wi-fiばんばん飛んでるくせに簡単には繋がらんし。
でもフランス人、英語普通に喋れるんだよね。完全な思い違いだ。どうやら遠い異国のジャパニーズにはきちんと英語を使ってくれるらしい。その辺は紳士で好感が持てます。あと親日国らしいので(甚だ疑問ではあるが)日本語を喋るフランス人も一部見かけた。あと奥さんが日本人という文房具店の店主にも出会えたね。我々日本人に話しかけて遊ぶパリジャンもいたくらいだが、、、まぁ、なんにせよ日本が好きなようで、そこは別に悪い気はしない。
もちろん誇り高きフランス人は宿敵イギリス人に対しては英語など使わん(笑)底意地が悪いです。
さて我々はこの日パリの象徴ともいうべき凱旋門とエッフェル塔を目指すことにする。最初に向かったのは凱旋門である。やはりパリに来た以上は凱旋門の下をくぐらねばならない。
そんな決まりはない。
ちなみにイスラム過激派によるテロを警戒してパリではどんな場所に入るにしても必ず入り口付近で簡単な持ち物検査を受ける。
だから当然、凱旋門を見学するだけでも簡単な持ち物検査を受けさせられる。
ノートルダム大聖堂一つ入るだけでも入念な持ち物検査が実施される。まあしかし神の御前で銃を乱射しようだなんていい度胸じゃないの、ここがロアナプラなら武装したシスターが応戦してくるよ。。。
ところが残念なことにここはブラックラ◯ーンの世界ではないし、待ち構えているのは無実の人々が無慈悲に虐殺される現実。
驚いたのはデパートに入るだけでもスーツを着たでかい黒人のお兄さんたちに囲まれて持ち物検査を受けたこと。改めて日本とは違うことを意識した。てか普通にその辺をごっついライフル担いだ迷彩服のフランス兵がうろうろしてるし。狂った男がナイフをチラつかせようものなら即刻、彼らの手によって射殺である。
ある意味で合理的ではあるけどね。
この美しい立体。
テロみたいな嫌な現実など忘れさせてくれる。上に登ったら、もっと嫌な現実を忘れることができるはずだ。
この凱旋門、地下のトンネルを通ってこの真下にまで行くことができます(周囲が環状道路になってるから、地上からは真下に行けないのだ)。
うおおお、と、真下へたどり着いた瞬間にまたまたテンションが上がってくる。異国にやって来て三日目、ついに遠くを見渡す高いところへ登ることができるのだから。パリ市街を見渡すには絶好の機会。簡単な持ち物検査をクリアしていざ、長い長い螺旋階段を駆け上がる。
こんなに凱旋門の中で広々としたスペースが広がっているとは純粋に驚き。外観しか知らないもんな普通は。これ以外にも様々な胸像やら彫刻やらレリーフやら色々あるので訪れた際は是非とも細部までチェックしていただきたい。
さて、そんなスペースからさらに小さな階段を上がると、そこには。
圧巻の景色。これ以上ないご褒美でしょう。すっかりパリ市内を掌握した気分。やっぱりパリといえばエッフェル塔で間違いなしか。
なんだかんだ言っても、この時すっかりパリの魅力に取り憑かれてしまっていた。汚い街だし治安も良くはない、でも古い建物を大事に何年も維持・保存するその姿勢には強い感銘を受ける。
戦争で破壊されてしまった街というのは戦後再建されると、どうしても装飾などの無駄が一切取り除かれた近代的な建物に覆い尽くされ、往々にしてつまらない外観になってしまうもの。旧共産圏の国々がいい例である。確かにコンクリートの集合住宅ってのは都市としては合理的なんだがな…
趣は無いけど。
ありがとうドイツ軍、パリは爆破しなくて正解です。
美しい他の欧州の古都を無慈悲に破壊したのは許せないけども。
だが、ポーランド人はすごいよね、ドイツに破壊された首都ワルシャワの街並みをヒビ一つに至るまできっちり再現したというのだから。
そんな凱旋門の展望台を降りたところで我々は移民の襲撃を受けた。
移民の襲撃というと大げさか。
「へい日本人!私たち旧ユーゴ出身なんだよね、私たち署名集めてるんだよね!君らも私たちのために署名してくれるよね!日本大好きなんでぇ!」
だいたいこんな感じに早口でまくし立てる女二人が署名(住所や電話番号も含む)を求めて来た。当然難色を示す。だが我々は善良な日本人だ、そう無下に断ることもできない。
署名程度なら、と最初その書面にサインしかけたのだが、その瞬間手渡されかけていた紙は俺の手からなぜか彼女たちに引き戻され…と思った時、目の前に警察官が滑り込んできた。
わずか数秒間の出来事。何が起こったのかも分からない我々二人は目をぱちくりさせていたが「あいつらは、募金詐欺師だ」
二人組の警官のうち一人がそんなニュアンスの言葉を言い残し、署名表を持って逃げた女たちの後を追って走っていく。すごいなパリ、日本でも経験したことがないような出来事がたったの三日目で起こるなんてね?
そんな騒動の余韻を残したまま我々はもっとよくエッフェル塔が見える場所に移動する。シャイヨー宮殿だ。
エッフェル塔なんて先ほどじっくり見たからもう十分だろう、と言いたいところだが、歴史愛好家である以上行かないわけにはいかない。シャイヨー宮の展望台といえば1940年、ヒトラーがパリを掌握した際にエッフェル塔をバックに記念撮影を行ったスポットである。
全体主義者歴史オタクとしてはここに行かない手はない。
同じ構図で写真を撮らない手はない。
撮りました。
別に俺はナチ崇拝者でもないが、第二次世界大戦の歴史に触れる意味で、これ以上のことはない。
あの時代から何十年も経ち、パリも何かと様変わりしたが、あの時とは場所も景色も殆ど変わっちゃいない。
本の中でしか知らなかった歴史を体験できた瞬間、ああ、子供の時に読んだりテレビで何度も目にした独裁者は本当にいたんだ、嘘じゃなかったんだと強い実感を抱くことに繋がる。これは実に素晴らしいことだと思う。
暗い歴史に蓋をしてしまうことが最も愚かしい行為だと思います。
だいたいヒトラー1人に大戦の責任全てを押し付けることにも無理があるし問題なのではないか?
シャイヨー宮を出ると我々は遠目に眺めていたエッフェル塔そのものに近づいていった。
その昔、エッフェル塔を毛嫌いしたモーパッサンとかいう劇作家がいたそうだ。
建設当時の1800年代末期、パリの芸術人たちはとにかくエッフェル塔を毛嫌いした。その中でもモーパッサンはエッフェルが嫌いなくせに、しょっちゅう塔の中のレストランで食事をしたという。
本人曰く「この塔の中で過ごせば、醜い塔を見なくて済む」だとかなんとか。うーん。なんともいえないこのエピソード。
兎にも角にも彼らにとって当時はまだ珍しかった鉄骨で、無骨なボルトむき出しなエッフェル塔とは産業革命が生み出した新たな時代のバベルの塔に他ならなかった。
それが凱旋門のような洗練された古き良きヨーロッパの建造物に並び建つのだから、抗議の声も然もありなん、といったところ。
だがそれも100年も経てば立派な古き良き建造物となってるとは。東京タワーもあと100年経てば立派な高度経済成長期の遺跡となるでしょうかね。
まあそんなエッフェル塔には登らず僕らはシャンゼリゼ通りを歩く。本当に
お〜〜〜〜〜〜〜ぅシャンゼリゼ〜〜〜〜〜〜〜とか歌い出したくなるような綺麗な通りだ。何をしにシャンゼリゼ通りなんか歩いてるか、そりゃ高級ブティックになんぞ用はないけど、飯を食いに来た。
ここにはおしゃれなレストランだってあるからね。
三日目にして気づいたのだけど、せっかくフランスにいるのにまだフランス料理を食べていない。
我々はこの二日間ホテルに持ち込んだサラミやチーズ、パンといった粗末な食事で食いつないでいた。そろそろ贅沢がしたいよ〜〜となったので今日こそは美味しいものを食べようと立ち上がります。
すげえ肉だ、そしてポテト。
そんでもってワインが異常にうまいの。だが我々はまだ気づいていなかった。
これがヨーロッパの食生活「肉とか芋ばかり」の第一フェーズになり、後々野菜不足に悩まされる羽目になるとは…。
しかし美味しいよフレンチ、本場のフレンチ。
噂以上に最高だぜ。こりゃ住みたくなる。
なんせワインが安いんだ、それだけでアドである。
ごちそうさまです。
その後も我々はナポレオンのお墓を目指してアンヴァリッド廃兵院に向かう。ここへもシャンゼリゼ通りからまっすぐ歩いて向かう。
もうだいぶ足へとへとだが、ナポレオンの遺体が俺を呼んでいるなら行かない手はないよね。
すごいですねえアンヴァリッド。昔ナポレオンの伝記で写真だけは見たことあったけど、本当に憧れの人だったから、そんな人物のお墓を目の前にしたら、もう本当になんと言っていいか分からなくなっちゃうなぁ。
だって俺の幼少期を形成した人だぞナポレオンは。。。
感動です。本当にいい体験です。
本当に生きていたんだねナポレオン。。。
アンヴァリッドを見学した後に、その隣にある軍事博物館では第一次世界大戦とか二次大戦の資料を見学。日本じゃ関心の薄い第一次大戦ですが、ヨーロッパでは第二次大戦に匹敵するくらい大きな戦争だった。むしろフランス人にとってみれば第一次大戦の方が大きな戦争だったのだ。フランスは第一次世界大戦で非常に甚大な犠牲者を出す。(第二次大戦じゃ即ドイツに降伏したからね…)
日本の戦争博物館はどうも平和への祈りやら悲惨だっていうアピールやらが強くなりすぎているというか、とにかくメッセージ性が強くなりすぎちゃって(それは確かに大事なことなんだが)ある意味主観的。
それに比べるとフランスの戦争博物館はすごく客観的だなって思いました。淡々と、資料を提示していく。拝観者に戦争というものを考えさせる。それはフランスが敗戦国じゃないからでしょう。羨ましい限りです。だから落ち着いて見学できた。もちろん、時折プロパガンダ臭もするけどな(笑)ドイツに勝利したのは嬉しかったのでしょう。
仕方ないよ。ナショナリズムもそれなりに必要だ。
日本みたいにナショナリズムがなさすぎるのもそれはそれで問題だから。
そんな風に三日目パリ最終日はとても考えさせられる旅だった。
明日は朝早く起きて、ホテルを出発しミュンヘンに向かう。
いよいよドイツだ、さようならフランスよ。
それでは次回もお楽しみに。
欧州遠征録【1】パリ1日目、2日目。初めての海外。
遠征録なんて今更かもしれない。
あたかも「最近旅行していました✨」みたいな感じだが、そんなわけでは決してない。
この話をするにあたっては、2016年9月まで遡らなくてはならないです。ヨーロッパをぶらぶらと放浪したのは2年も前の話ということなので。というか、もうすぐ3年が経とうとしているのか〜〜〜時間の経過とは無慈悲なものだ、頭が痛くなりますね。
それでもあの時のことはつい昨日のことのように鮮明に記憶している。これまでも何度か遠征記録をきちんとまとめるぞ〜〜と腐心したことがあったのだが、あいにくと文章力やらモチベやら、そんなものが伴わず結局今の今まで形にすることがかなわなかった。
しかし今度こそ形にしていきたいと思うのでこんな風に書き始めることにします。
初海外の経験というものは何日経っても忘れることができないですねぇ。どこまでも衝撃的な思い出です。
成田空港から何時間も飛行機に詰められ、そしてついに初めてドイツのフランクフルト空港に降り立った時の感動というものは言葉に言い尽くせないものがある。
初めて降り立った欧州の第一印象、筋肉。
で、でかい筋肉がその辺を歩いている。足の生えた筋肉。
これがゲルマン人かぁと思わず見とれてしまう。
カウンターに座ってる入国管理官にパスポートを手渡すと、ぎらりとした精悍な眼差しを向けられて、何を英語で聞かれんのかね…と、彼らに比べりゃ小動物程度の体格しか持ち合わせていない我々日本人は恐る恐る身構えていたが、そんな我々の不安を他所に、特にこれといった質問もなくどかん!と仰々しい音立ててスタンプが押されんの。。。
これが日本のパスポートの優秀さか?
どかん、どかん、どかん(たまにバァン)という音が延々と鳴り響き、果たしてそんなに強く机に叩きつける必要があるのか…?🤔という具合にハンコが次々に押されていく。歩く筋肉の見本市を終えた我々はようやくフランクフルト空港を経由してパリのシャルル・ドゴール空港に降り立った。憧れのパリである。
さぁ、遠征録第一回目はこの都市から始めていこうじゃないか。いくぜ。
①憧れの…パリ…?
「コルティッツ将軍!!総統閣下より電文です!」
1944年8月。ノルマンディー海岸より迫り来る米英軍の猛攻を前に、ドイツ軍パリ占領軍総司令官コルティッツは、ヒトラーのパリ爆破命令に従い、パリ全体に仕掛けられた爆弾を爆発させるかどうかの決断を迫られていた。
部下A「爆破しましょう!!!お国のために!!」
コルティッツ「いや、爆発させたらあかんやろ、100年続く芸術の都やぞ…」
彼が冷静だったおかげでパリの爆破は免れ、占領軍は米英軍に降伏した。
もちろんこれには異論もある。コルティッツは実は命令通り爆破したがってたんじゃないかって。まぁそんな話はどうでもいいんだよ、とにかくパリは解放され、それから70年の月日が流れたわけだが…
おいおい、冗談じゃないよ。
今のパリの惨状を見れば事実上爆破されたも同然。
70年越しに概念的に爆破されたといえる。おめでとうございます総統閣下…石畳の隙間という隙間にタバコの吸い殻が埋もれ、ゴミが撒き散らされ、それに拍車をかけるかのごとく移民が著しく治安を悪化させている。
と、とにかく汚い( i _ i )
同じ移民が多い国でもドイツ人はポイ捨てには厳しいし。こりゃフランス人とドイツ人は千年経っても仲良くなれないでしょうね。
そもそも、この一年くらい前にパリでは無差別テロが起こったんだよね、無差別ということもあって第二次大戦中パリで暗躍した武装レジスタンスのテロよりもおっかないではないか?
第三帝国の都市整備事業によって今のパリは人間ごとブルドーザーで埋め立てられても文句は言えません。。。ヒトラーお抱えの建築家シュペーア大臣が必ず実行します。
冗談はさておき、さすがはパリといったところか。ホテルや建物は見事なまでに綺麗。洗練されている。ところどころ売られているものまで可愛い。
ホテルの部屋の中もちょっと古臭いが、何より壁紙が可愛いの。。。こういうデザインがたまらなく好き。
空港からホテルに着いた時にはもう夕方だ。バカな旅に付き合ってくれるような物好きな同行者の先輩(名前は仮にTくんとしておこう)はすっかり疲れ果てて、喚き声ともうめき声ともつかない声しかあげられない身体にされていたので外食に行く元気など微塵もない。その辺の売店でチーズとか生ハムとかビールとかワインとかを購入。どうだ、パリって感じだろう?全部驚くほどお安い。
何?上の2枚目の写真にオランジーナが写っているだ?違和感?
だって人間は皆パリに来たらオランジーナを飲むだろう??
俺はお詳しいのよ、パリジェンヌは夏の日差しの暑い日にゃ皆シャンゼリゼ通りの真ん中でオランジーナを飲んでるってことくらい教科書にも書いているでしょ?
義務教育でも習うよな、パリへ来たらオランジーナを飲め、すると全ての道は開かれる。フランスの紳士淑女の嗜み。
いや、まぁ実際に飲んでるフランス人なんか旅行中一人も見かけなかったけど
「やーいジャップ、ミーハーだね〜」と完全に舐められていたでしょう。これは完全なカルチャーショック、すっかり日本のオランジーナのCMに騙された。
この日は疲れたので何時に寝たかも忘れてしまった。ほぼ気絶状態。
というかすげえ〜と思ったのは日が暮れるのが異常に遅いこと。寝たいのに明るいな〜と思って時計を見てもまだ21時とかなんだよ…。これが夏のヨーロッパかぁとえらく感心します。
この辺は行ってみないと分からないことだから貴重な体験。日照時間が長い。長すぎる。そして、テンションが上がる。
②ルーブル美術館と市内探索。
パリの本格的な散策行動開始です。
と、その前に、まずルーブル美術館で美術品の鑑賞でもやりますか〜と決め込んだ我々。ホテルを出てしばらく歩いて散歩する。綺麗な建物を写真に収めながらの散歩は明らかに贅沢そのものといったところか。
歩いて向かうは地下鉄の駅。切符の買い方がマジで分かんなくて苦しんでいたが、クルクル回す棒???か何かで切符売る電子画面の選択ができることに気づいてなんとか切符の購入に成功(うーん文字じゃ伝わらないので券売機の写真撮っとけばよかったよね)。
ごとんごとん、と、ひたすらに揺られてルーブル美術館に到着した。
なんか文章ばかり叩きつけるのが非常に面倒になってきたような。
これから先は怒涛の画像任せになる気もします。
いや、それもやむを得ない。パリの魅力、とりわけルーブルをレポで伝えるためには写真の力に手を借りる方が圧倒的に効率的です。
中庭には開場前からすでに多くの観光客が列を作っておりました。
なんか黒人のおっちゃんが列の観光客にエッフェル塔めっちゃ売りつけてくんの。。置物なのかアクセサリーなのか知らないけど、首にいっぱいぶら提げて、それに止まらず右手にも大量のエッフェル塔をぶら提げている。我々は彼らのことをエッフェル塔おじさんって呼んでいた。
果たしてあれを買ってくれる人はいるのだろうか…?
さて長いこと待たされ、ようやく9時。入場してチケットを購入し適当なエリアに進む。美術館内の全ての美術品は撮り放題。あ〜最高ですね。今だけは写真による美術品泥棒のし放題ってわけである。何百回シャッターを切っただろうか。いくら観てもキリがない。
ナポレオンがヨーロッパからエジプトに至るまで侵略戦争の結果かき集めてきた盗難品のあまりのコレクション数に、腰を抜かしてしまう。
午前中はルーブル美術館鑑賞に費やしたが、これでもまだ4分の1だって観ていないのだ。疲れた。しかし観るものは全部観たんだもん、、、モナリザだって観たし、、、
ボナパルトくんはどんだけ窃盗を繰り返したんだ????ありすぎて困るだろう。。。
だって、まだ倉庫にも何千点っていう美術品が眠ってるそうじゃないの、、、
まぁ流石に疲れたため美術館を後にした我々はパリ市内を散策し、土産物を巡ったりした。セーヌ川をちょっと眺めたりね
これが、麗しの、、、セーヌ川だって?俺はこんな川がセーヌ川なんて…(セーヌ川ではしゃごうと思ってたのに、これじゃあ世界三大??ガッカリってやつだ)
そりゃあ、もうあんまり綺麗とは言い難いです。しかしまあ都市部の川なんてこんなもんである。パリならなおさらかもしれん。
しかし流石はおフランスの誇る偉大な教会・ノートルダム聖堂。 見た目の荘厳さもさることながら中身も決して引けをとらない。たとえ自分がキリシタンだとしてもこんなところじゃオチオチミサを聴く気にもならないけど(笑)
中へ入ろうとするが人だかりがものすごい。どうやら教会の前の人だかりは皆展望台に登るためのエレベーター待ちの様子。
教会のサンクチュアリ(礼拝所)に入るくらいならそこまで並ばずにすぐって感じです。ただしここでも、きちんと入念な手荷物検査が加わる。テロへの警戒は決して怠らないのが昨今の厳戒態勢が敷かれたパリなのだ。
カトリック教会というのはどこでも豪華ですね。個人的にはプロテスタント教会のように質素で落ち着いた感じの方が神に祈りを捧げる気にもなるけど。
もちろん観光で訪れるにはこのくらい豪華な方がウケがいいのは確かだろう。
自分の信仰心も非常に深まった。
そう、今回は信仰心を高めるための、いわば巡礼の旅という側面もある。
1日歩き通して早くも今日もパリの日は暮れていく。
いや夏場だから日暮れはもっと遅いんだけどさ。20時くらいでやっと暗くなる感じ。
長くなりそうなので、今回はこの辺でおひらきにしようと思う。
それではまた次回もお楽しみに。