リヴォフの地下水道

旅行記や本のレビューや歴史など。知識ひけらかす雑談とか。ロシア・ウクライナの文化愛してる。星井美希トナカイ担当P。

語彙力たくさん摂取したいよね

 

久しぶりにブログを书きます。

よろしく。コツコツ書こう。書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書く…か…久しぶりの活字に挑戦してみたものの結構な苦戦を強いられる。

ずっとブログ更新してなかったのはそういうことだし、だって書くことねンだわ。思いつかん

一昨日くらい久しぶりに会った友人に「最近ブログ更新しねえの??」と言われちゃって、おや、こんな便所の落書き程度のものちゃんと読んでくれている人がこの世界にはいたんだ…とか思ったので、流石に読者の要望には応えないわけにはいかないと奮い立ち今こうして一つの記事を書いている。

活字って、ね、書くの難しいよね。

最近あまり集中して熱心に本を読まなくなってきたのでとにかく語彙力がなくなっている。

さてここからが今日の本題ですが、語彙力というのは現代人が日頃摂取すべき栄養分の一つです。

どれくらいの量を?でしょうかね。俺もそんなの知らないし、しかも、どのようにすればその“語彙”とやらを効率よく摂取できるのか。

 

例えばですが普通に生きていて手に入りにくい栄養分ってのはどうしてもあるよね。自分だったら普段よく亜鉛サプリメントを摂取しているが、亜鉛なんてそんな、そこら辺に落ちてる木の実や草を食べたら簡単に入るものじゃない。

そんなこと言ったらまともなビタミンだって手に入らんけどさ。

 

しかし亜鉛は髪の毛や皮膚の新陳代謝を活発にし、健康な身体を作る日常生活において必要不可欠なミネラルに違いないだろう。そこまで必要不可欠と言っておきながら残念なことに、亜鉛というものは摂取できる食品が非常に限られておりほとんどの場合非効率なのだ。

なので効率よく亜鉛を摂取したいと思ったら、あなたは今すぐ牡蠣を食べるしかない。牡蠣には非常に多くのミネラルが含まれている。成人男性が1日に摂取すべき亜鉛は8ml〜11ml程度とされているが、牡蠣大粒4個につき11ml〜15mlの亜鉛が含まれている。

でも牡蠣なんて時期も限られている上に高い。で、もうこうなってくるとサプリメントに頼らざるを得なくなるのは当然のこと。

そんな風に栄養分ってのは案外摂取が難しいのだ。

 

亜鉛の話はこの辺にしておいて、語彙力の話に戻るとしよう。

では語彙を効率よく上げるにはどうしたら良いのだろう?ほとんどの人は思うはず。当然本を読むことが最も効率的であって重要であることに他ならない。でもどうして本じゃなきゃダメなのか?同じ文章を読むだけだったら、インターネットに溢れているニュース記事やSNSの文章を摂取するだけで十分なのではないか?

そんなことを疑問に思う人って当然多いよね。なので自分なりにその違いというのを真剣に考えてみることにした。とはいえ全く科学的根拠のない主観で書いた駄文なので参考程度に

近年のスマートフォンSNSの普及により人々は情報に接する機会が非常に増えた。非常どころではなく異常なまでに。情報化社会は豊かな文明・暮らしを提供したが、当然それは良いことばかりではないだろう。情報が多様化したばかりに人々には情報を見極める能力が求められるようになった。天下無双のTwitterにより今日では誰でも情報の発信が容易になってきたが、人間という生き物はどうしようもなく野蛮なので自分にとって都合の良い、こうであって欲しい、という情報ばかりを垂れ流すようになってしまいます。

やっぱ自分が正しいことを言っていると思ったら人間気持ちいいからね。

これがいわゆるフェイクニュースの蔓延する原因なのだが、果たしてどの程度の人間が記事に紛れ込んだ嘘を見破ることができるのだろうか?

 

フェイクニュースは見出しで人々を誘導することが多い。これには単にアクセス数を稼ぐ目的もあれば、記事の中身を確認しない人たちを扇動し、世論形成を図るという狙いもある。

文章(記事)を読む習慣”というのは、やはり本など比較的長い文章に日頃から触れている人にしか身につかないのではないかと思うのだ。

「語彙力を高めたいならニュース記事を毎日たくさん読めばいいじゃない」と言う人に限って、おそらく

ろくに本を読んだことがない=記事をしっかり読もうとしない=記事に散りばめられた明らかな嘘に気づけない=フェイクニュースを信じてしまう

というような構図が生まれる。つまり本を読む習慣が根付くと自然と文章の粗や嘘を見抜くだけの集中力や思考力が身につくということでもあり、自分はこういうのを含めて“語彙力”と考えている。

 

読書…本を読むという行為は、ある意味非常に語彙を摂取する上で効率が悪いと捉える人がいるのは事実だ。昔の自分もそうだったが、本を読むには大変な時間がかかるし面倒くさい。そんなことしなくたって単語を覚える機会はいっぱいあると考えちゃうし。現代人はとにかく時間がなく、スマホばかり見ているから集中力が散漫してしまう。

スマホを見ていると集中力が欠落すると言われる一番の要因は、おそらくSNSが短い文章で完結してしまうところにあるだろう。Twitterの恐ろしいところは140文字に限定されていること。140字で完結してしまう文章だったら誰でも書けちゃうし読めてしまう。これが無限に垂れ流される。ある意味恐怖だ。無限に読めるということは無限に時間を食い尽くされることに他ならないし、しかも無限に読めるくせに自分の語彙力向上にはあまり役立てられないのだから。

例えば本を一度も読んだことがない人が140字で培った語彙力なんて、所詮は140字とそれよりちょっと多い程度の文章を読む能力にしか直結しないので、1万文字もある文章を最後まで読み切ることは困難だし読めたとしても果たして要約できるだろうか。

あらゆる言葉を駆使して呟くTwitter投稿者による呟きは語彙の増加には役立てられるかもしれないが、それは語彙力とは言い難い。

前述したように、文章を理解する能力も含めて語彙力だし、重要なことなのにまだ触れていなかったが自分の言葉で長い文章に起こしたり言葉にする能力というのもまた重要な語彙力だ。

 

コミュニケーション能力の低下を指摘される子供が増える一方、コミュニケーション能力はますます社会において求められる傾向にある。公務員試験も勉強できれば問題ないと言われていた時代はあったが、もはや過去の話となっており、いくら勉強ができてもそれだけで採用はされない。

自分も勉強は好きだが理論立てて話すのは案外得意ではなく自分が省庁で取り組みたい政策を説明するのも上手くいかなかった(なんというか自分の場合は対人関係という実戦不足の感が否めないが…)。面接重視の民間企業であれば尚更だろう。

コミュニケーション能力不足の大きな問題を解決する上でも読書が役立つのは言わずもがな。語彙多いほど喋れる言葉が増えるわけだし(これは誰でも想像できるだろうが)、何より筋の通った意見を言うことができる。

本を読む人なら本の中に当然に存在している起承転結のように、これから話そうとしている話の、いつどこで誰が〜…というのを頭の中で思い描くことができ、理論の組み立ても容易になる。

 

だから本を多く読めばスピーチが上手くなるし、言葉で相手を納得させることができるようにもなってくる。関西人はオチのある話を好むって言うが、起承転結ってのはすごく大事ですよ。オチのない話なんかする奴らは直ちにNKVD執行命令第3467号に基づき、くいだおれ人形によって即刻銃殺されます。

オチのある話をする習慣を基礎付けるのが本なら、やっぱり読書があらゆる語彙力を鍛える一番の栄養分。

あとやはり本も栄養分ですから、好き嫌いをしてはいけないというところか。偏った本ばかり読んでいればそれだけ考え方や話し方も偏ってしまう。本当にそうだろうか?という疑問を持って読むことが大切。

自分が大学時代にゼミで教授に卒論を見せたとき指摘されたことは「様々なものを読め」というご指摘でした。“もの”としたのには本に限られずニュース記事もそうだし新聞や詩集、寄稿文、なんでも読めという意味もあるので。硬い文章、柔らかい文章、可愛い文章、暴力的過激な文章、えっちな文章、なんでも取り込み中和していくことで多彩な表現ができるようになるでしょう。多彩な会話表現や文章表現ができる人は他人から好かれるようになるし。

結局のところ語彙力ってのは楽して手に入るものじゃないよね、スマホばっかり見てる奴が頭の良い陽キャであった試しがあるか?

しっかり定期的に本で文章を摂取してあげると人生は間違いなく恵み多く豊かなものになります。

 

でもね本を読めっていう上からの圧力で読ませるのはやっぱり違うから、楽しんで読むのが一番だよね。好きな文章をとことん積極的に読みましょう。短編集なんかはすごく良いですよ。

まぁこの記事書いてる自分も最近全然本読んでないから、この記事は自戒の念をだいぶ込めてます…次は何読もうかな…(一度も手をつけていない山積みになった本たちを見返しながら)