宗教家気取り。
この歳にもなってくると(24)世の中の仕組みとか哲学的なことなどを無性に考えるようになってくる。(普通ならないだろ)
結局のところ最近仕事が決まったはいいが特にこれと言ってすることも特になく、こういう世の中のことを考える時間だけが無限にあったりする。
一応足繁くジムに通ってひたすら身体を鍛え読書をし、茶を飲みながらこのようにブログなどを書く。…こういうのも悪く無い生活ではあるけれど多少刺激が欲しくはなるよね。
とりあえずは人に会いたい。人と会話するのが好きなので。田舎なので誰にも会えないけど。
今回の話もまた仕事を真面目に頑張っている人たちには何かと無縁な話だと思うので、こいつ、またこんな下らん根拠のないことダラダラと抜かしよるな、とせめて精神異常者を病棟のガラス窓の向こう側から眺める傍観者の気持ちで読んでいただけると幸いです。
所詮その程度のもんなので。あまり価値はない。
そうですね、今流行りのコロナウイルスだってね地球人口を減らすための地球による自浄作用のメカニズムなんじゃないかって自分は考えています。
今日のはそんな話。
ほら、人間だって病気になれば熱とか出ますよね?
人口が増えすぎた結果地球温暖化が生じたって考えたことありませんか?
そして我々が病気になった時に出る熱は何のために出るかって言うと、体内の病原菌を殺すためにある。すなわち病原菌=増えすぎた人間を殺すため温暖化が起き、それに伴って自然災害が多発するんだと、自分は思ってる。
海水面の温度が高いと台風やゲリラ豪雨が大量発生しますからね。
だから人が減らない限り災害も減らないし、毎年のように気温は上がり続けてるんじゃないかって。
何が言いたいかって、
世の中は全てバランス=均衡によって成り立っているってことです。
体内の白血球が急激に増加すれば白血病になるのと同じで、バランスが崩れればなんでもダメになってしまう。
地球は、とにかくその生態系のバランスを懸命に保とうとしていると思うんですよ。人が増え過ぎれば食糧危機に陥ったり大規模大量破壊殺戮の戦争が引き起こされたり、そして文明が発展するにつれて養育費が高騰し若い人たちが子供を産み育てたくなくなったり、とか全部そう。
こういうのは地球という偉大なるコンピュータに人の数をちょうどいい感じに調整するため、あらかじめプログラムされていることだって思うんです。
コロナが蔓延する中で老人を守り若者を自殺に追い込むような風潮もまた、『命はいかなる場合でも絶対的に尊い』という身動きの取れない倫理観が人類に強く植え付けられているからで、そうなるとますます少子高齢化という破滅の道は加速していき、地球の狙い通りになっていく。
そんな倫理観がどうして今の時代に浸透したかって、、そりゃ、先の大規模な戦争で何千万という人が死に、人間が命の尊さを強く意識し、反省したから。
人類は同じ過ちは二度と繰り返さないと固く決意をして、あらゆる話し合いや衝突を経て、黒人やLGBT、障害を持った人たちなどの少数者に優しい、一見すると素晴らしい社会を築き上げてきたわけです。
しかし賢くなってそんな尊い倫理観を得たはいいが、今度はそれが足かせとなって互いに憎しみ、苦しみ合っている。なんだか皮肉なことです。
そして貧しい人や寿命を迎える人全員を救うことなんか絶対に無理なのに、人道主義を掲げる理想主義者はこういう倫理観をいかなる場合でも主張し、無茶を言い足を引っ張り、世の中全てを破滅に導こうとしてしまっている。
世の中が平和になりすぎると「人類はなんでも克服できる」と、当たり前に思い込む傲慢な人たちがたくさん出てきて、結局こういう人口調整をしたがってる地球の思い通りになっていく。
限りある命に感謝して、1日1日を精一杯に生きて、何かで死ぬ時は潔く死ぬ。これが古来より自然を崇拝してきた人類の考え方だと思うんだけどなぁ。
産業革命以降、人間はどうしてもそんな風に傲慢になってしまったと思う。
加えて、理想主義者は今の核兵器による平和の均衡だって、こんなどうしようもない人類を辛うじてつなぎ止めてるありがたい存在なのに、それを否定して世界大戦を引き起こすきっかけも作ろうとしている。それなりに国防や外交に理解のある人だったら、昨今話題の核兵器禁止条約には、まだ日本は参加すべきでないと考えるでしょう。
そもそも核兵器をこの世から一つ残らず取り除くことなんてできるわけないし、一体それを誰が確認するっていうんですかね。
仮にロシアや中国が条約に参加してもまだ隠れて数発残してるとアメリカは永遠に疑うでしょうし、逆もまた然り。条約の有用性には疑問を感じてしまうな。
世界中から核を減らす取り組み自体は、もちろん極めて重要だ。
核兵器が”理性のある大国”の手の中にある場合には、互いに破滅を恐れ、核戦争の起こるリスクは低くなり十分に核の抑止力となるけど、
しかし一方でイスラエルやインド、パキスタン、そして北朝鮮といった、いわゆるあまり”理性のない小国”が核兵器を持つことで現在世界は核の脅威にさらされている。
常に臨戦体制にあるこれらの国がある以上、一見万能のように思える抑止力理論が通用しないのではないか?と考えるのは至極当然のことです。
だから、そういう国々が核を手放すためには、先に核を保有する大国がお手本となって核兵器禁止条約に署名する必要があるのかも知れないよね。
しかし、それでもやはりこの世から完全に核を無くすことはできないし、大国が核を無くしたところで危険な小国が隠れて核兵器をさらに製造し、大国を脅かすかも知れない。
そのような疑念があるから、大国も核を手放すわけにはいかない事情がある。
さて、このようなややこしい問題はゲーム理論の一つ「囚人のジレンマ」で分かりやすく説明することができる。
◆別々の部屋に収監されている二人の囚人ABのそれぞれに対し、刑事が以下のような交渉を持ちかけたとする。
①「Aが自白してBが黙秘すれば、Aは懲役1年・Bは懲役10年」
②「Aが黙秘してBが自白すれば、Aは懲役10年・Bは懲役1年」
③「双方が自白すれば、A・Bともに懲役6年」
④「双方が黙秘すれば、無罪」
さて、読者の皆さんも是非考えて欲しいのだけど、このような状況に陥った場合、二人の囚人はどのような選択をするだろうか?自白するのか、それとも黙秘するのか?
このような場合、お互いが黙秘した方が一番得であるように思えるが、実際には双方ともに”自白”を選ぶ場合がほとんどだ。
なぜならお互い別々の独房に隔離されているため、相手の心のうちを読むことはできない。自分だけが黙秘した場合の損が大きいから。
そして最終的に選ばれた互いにとって最も得になるような状況はナッシュ均衡と呼ばれる。
経済学でもよく取り上げられるテーマだが、これは国際関係学でも応用できる理論。
つまり外交関係において、これが「軍拡と軍縮」を説明する上で特に欠かすことのできない理論となるのだ。
さて、敵対する二つの国同士、核兵器を持つ・持たないではどちらの方が得だろうか?
当然核兵器を持つ方が得に決まっている。
だから双方ともに「軍拡」を選ぶのが、この場合のナッシュ均衡である。核兵器の数が多いほどに相手国を威嚇し、交渉材料を多く持つことができる。
互いに「軍縮」を選ぶことは、滅多なことではあり得ない。自分が軍縮をしたって相手が約束通り核廃棄を実行してくれるとは思えないのだから。「軍縮」はお互いが平和になるという意味で、本当だったら究極の理想なんだけどね。。。
日本政府が条約に加盟しないことを批判する人がいるが、そう人たちには原爆投下がもたらした悲劇にばかりに目が行き過ぎて、戦争そのものによっていかに多くの人が死んでしまうのかという重要な視点が抜け落ちてる。
日本政府が先立って署名するよりも、まずは米中露等の大国が先に署名すべきなのは明白だ。しかしそれが先ほども述べたゲーム理論でも説明できるように難しいのが事実。
アメリカの核の傘から日本が離脱すれば、中国の前で裸同然になることは避けられない。
そうなったらさらに多くの日本人の命が北朝鮮・ロシア・中国の脅威に晒されてしまうしね。
感情的な人々はつい物事を主観的に捉えてしまうけど、どのような物事にもメリットとデメリットが存在していて、これが絶対に正しいという選択肢はない。
理想主義者はつい完璧な正解を求め、絶対にこれが正しいと信じ込んでしまうところがありますが、どのような問題だってあらゆる観点から考察し総合的に判断しなければならないんです。
人間という生き物だけが地球上で一番正しいというのも我々の共通解ですが、そもそも究極的・客観的立場から言えば、人間は地球上で他の生物と同様一定数を超えて存在しちゃいけない。地球は人間だけのものじゃないんですし。
原子爆弾というおぞましい爆弾の発明だって偶然ではなく、増えていく人口を減らしたい地球によって当然のように予め用意されていた一手だったと思う。
”人類が殺戮戦争で行き着くところまで行き着いたら、極め付けには互いを大量に殺し合える核爆弾を製造するように”プログラムしているんですよ。
地球との戦いは、ある意味チェスをやってるようなもんです。一手、また一手と賢い地球は何手も人類の先を読んで、それで人類が大きな打撃を受けたら、人類も失敗を反省して地球に反撃をする。その繰り返しだ。
しかしそれでも人間は、そのような自然の摂理に抗い続けて偉大なる地球に挑み続けてきた。
『バベルの塔』という有名な旧約聖書の話が描かれたのは何千年も前の話なのに、人間はいまだにその教訓を受け入れることができない。
大戦後、国際連合を立ち上げた戦勝国は食糧危機に陥った発展途上国に懸命な人道支援を続け、国際的な枠組みによって世界中の人々が医療・文化・あらゆる点で協力し合い、一定の成功を納めてきた。天然痘の撲滅なんてまさにWHOなどの国際機関が主体となり、東西の垣根を超えて世界中の人類が協力してもたらした偉業だった。
そして人類は、核の脅威を終わらせるために東西冷戦を終結させた。それからの数年間はアメリカが主導となって、世界が一つに団結できた素晴らしい時代だったように思う。その間、食べ物は豊富になって世界経済は絶頂になり、人口は爆発的に増加した。
地球に一矢報いることができたと人類は喜んだでしょう。
このような全人類同士の取り組みは素晴らしいことではあると思います。先進国に住む自分もその恩恵を大きく受けているんだし。
その取り組みを否定するわけではないが、しかし地球の人口調整機能を無視し続けて豊かさを追求し続けた結果が温暖化と多発する自然災害をもたらしたというのは頭の片隅に置いておく必要があります。
でも今更、こんなにも便利な文明を後退させたいなんて誰も思ってないでしょう?
飛行機に乗りたい、車に乗りたい、病気になったらすぐに治療してもらいたい、長生きしたい、いつでも美味しくて安全な食事をしたい。
で、こういう考え方がこれまで過剰に人口を増やし温暖化を加速させ、残念ながら環境を悪化させてきた。
人道主義と環境問題対策は当たり前には両立しません。環境が改善するためには人類が去るしかない場合もある。人類が飢餓にも病気にもならずに増え続けるようなら環境は悪化する。
もちろんCO2削減のため各国が歩み寄って協力するのは決して悪いことじゃないし、一歩ずつでも環境と人間の暮らしが両立できるようになっていければいいなって思います。それが理想だし。
理想は抱いても構わないが、その実現は非常に難しいことで、いくらか妥協しなければならないこともある。
結局、今ある何かを犠牲にしなきゃ何かは手に入らない。その絶対的な真理を理解しないで環境問題対策を叫ぶのは間違ってると思うな。
原発をなくせ!CO2を減らせ!世界各国は環境問題に今すぐ取り組め!でも便利すぎる今の生活は維持したい… →これじゃあダメなんですよね
便利すぎる生活を何とかしろ、って叫ぶのならそれは一つの解かもしれません。
コロナによるテレワークの普及や過剰なサービスの縮小は、紛れもなく地球環境の好転に寄与してると思うよ?もちろん、それによって打撃を受けている産業の人もいるわけですが…。
ほんとに、よくできてますよね地球って。
第二次世界大戦では世界中5000万かそれ以上という膨大な死者が出たのだが、そのほとんどが戦地に駆り出された男たちだった。戦場であれほどまでバタバタと男が死んだのに、それが一定期間経つと全世界の男と女の比率はほぼ五分五分の水準に元通り。どうしてそうなっちゃうのか。そういうのも不思議でたまりません。結局人間そのものが核戦争やウイルス、環境問題によって絶滅するってことはそうそう無いでしょう。だって地球がやりたいのは人類の滅亡じゃなくて、あくまでも生態系・環境のバランスを保つことだから。
そりゃ地球が他の生物を差し置いて人類だけを特別扱いする義理なんてどこにもないんだからね。
だから、
この世で唯一絶対的に平等な思想を持っているのはマルクスやレーニンのような共産主義者ではなく、この地球です。
地球こそが究極のコミュニストです。
別に誰が不幸になるとか誰が幸せになるとか、そんなのは地球が選んでやってるわけじゃないからね。そんなの地球は微塵も興味ないですよ。あなたは白人で、あなたは黒人に生まれなさいなんて、そんなのも全部究極的に平等なくじ引きでそうなったんだから。
白人だろうと黒人だろうと黄色人種だろうと、それに勝手に優劣つけて憎しみあってるのは地球じゃなくて人間ですからね。なんでも地球のせいにしちゃいけない。
まあ地球がわざと人類同士対立が生じるようには仕向けてるのかも知れないけどさ。
少なくとも、どっちが劣っててどっちが優ってるかには興味ないと思いますよ。場合によっては黒人に白人が虐げられる世界線もあったでしょうし。
実際今アメリカが黒人問題を巡って混乱しているのも、やっぱりなるべくしてなったんだろうなって。。。時代が移り変われば弱者と強者は逆転する。地球は万人にチャンスを与えてくれるとっても平等な存在なんですよね。
こんなことずっと考えてたら1日が過ぎた。もうなんだろうなこれは。。。俺は宗教家気取りなので宗教でも開いた方がいいんじゃないかと思えてくる。
信仰する神様はもちろん地球様です。いや、さらに上の宇宙様か。
俺の信じるこういう信仰なんぞ信じても救いはないけど、少なからず安楽死政策の思想的な支柱にはなり得るかもね。
安楽死だって悪いことじゃない。延命治療の是非は国民の間で広く議論されるべき事案ですし。そうでもしなきゃ日本はますます高齢化社会のツケが若者世代にのしかかり、破滅へまっしぐら。何度も繰り返しだが、様々な生い立ち・階層・階級・立場に置かれる全員を絶対的に等しく救うことなんかできない。社会保障に回すことのできる財源なんて限られているんだから。
自分の好きなブラックジャックの漫画での最大の名セリフは本間先生がブラックジャックに語りかけた「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」ってやつです。子供の時に読んだこういう話が今の自分の思想に大きな影響を与えているのかも知れない。
でも、じゃあ医者が人を救う意味って何だろう?
考えればキリがないのでこの辺にしておくけど。
手塚先生自身が安楽死や延命治療にどういった観点を持っていたのかは詳しく存じ上げないから、そういう意味で言ったんじゃないって怒られるかもしれないけど。
(もしかすると先生は安楽死医師のキャラ・ドクターキリコに、作者自身が抱く考え方のヒントを託しているのかもしれないな)