語彙力たくさん摂取したいよね
久しぶりにブログを书きます。
よろしく。コツコツ書こう。書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書くぞ書く…か…久しぶりの活字に挑戦してみたものの結構な苦戦を強いられる。
ずっとブログ更新してなかったのはそういうことだし、だって書くことねンだわ。思いつかん
一昨日くらい久しぶりに会った友人に「最近ブログ更新しねえの??」と言われちゃって、おや、こんな便所の落書き程度のものちゃんと読んでくれている人がこの世界にはいたんだ…とか思ったので、流石に読者の要望には応えないわけにはいかないと奮い立ち今こうして一つの記事を書いている。
活字って、ね、書くの難しいよね。
最近あまり集中して熱心に本を読まなくなってきたのでとにかく語彙力がなくなっている。
さてここからが今日の本題ですが、語彙力というのは現代人が日頃摂取すべき栄養分の一つです。
どれくらいの量を?でしょうかね。俺もそんなの知らないし、しかも、どのようにすればその“語彙”とやらを効率よく摂取できるのか。
例えばですが普通に生きていて手に入りにくい栄養分ってのはどうしてもあるよね。自分だったら普段よく亜鉛のサプリメントを摂取しているが、亜鉛なんてそんな、そこら辺に落ちてる木の実や草を食べたら簡単に入るものじゃない。
そんなこと言ったらまともなビタミンだって手に入らんけどさ。
しかし亜鉛は髪の毛や皮膚の新陳代謝を活発にし、健康な身体を作る日常生活において必要不可欠なミネラルに違いないだろう。そこまで必要不可欠と言っておきながら残念なことに、亜鉛というものは摂取できる食品が非常に限られておりほとんどの場合非効率なのだ。
なので効率よく亜鉛を摂取したいと思ったら、あなたは今すぐ牡蠣を食べるしかない。牡蠣には非常に多くのミネラルが含まれている。成人男性が1日に摂取すべき亜鉛は8ml〜11ml程度とされているが、牡蠣大粒4個につき11ml〜15mlの亜鉛が含まれている。
でも牡蠣なんて時期も限られている上に高い。で、もうこうなってくるとサプリメントに頼らざるを得なくなるのは当然のこと。
そんな風に栄養分ってのは案外摂取が難しいのだ。
亜鉛の話はこの辺にしておいて、語彙力の話に戻るとしよう。
では語彙を効率よく上げるにはどうしたら良いのだろう?ほとんどの人は思うはず。当然本を読むことが最も効率的であって重要であることに他ならない。でもどうして本じゃなきゃダメなのか?同じ文章を読むだけだったら、インターネットに溢れているニュース記事やSNSの文章を摂取するだけで十分なのではないか?
そんなことを疑問に思う人って当然多いよね。なので自分なりにその違いというのを真剣に考えてみることにした。とはいえ全く科学的根拠のない主観で書いた駄文なので参考程度に
近年のスマートフォンとSNSの普及により人々は情報に接する機会が非常に増えた。非常どころではなく異常なまでに。情報化社会は豊かな文明・暮らしを提供したが、当然それは良いことばかりではないだろう。情報が多様化したばかりに人々には情報を見極める能力が求められるようになった。天下無双のTwitter様により今日では誰でも情報の発信が容易になってきたが、人間という生き物はどうしようもなく野蛮なので自分にとって都合の良い、こうであって欲しい、という情報ばかりを垂れ流すようになってしまいます。
やっぱ自分が正しいことを言っていると思ったら人間気持ちいいからね。
これがいわゆるフェイクニュースの蔓延する原因なのだが、果たしてどの程度の人間が記事に紛れ込んだ嘘を見破ることができるのだろうか?
フェイクニュースは見出しで人々を誘導することが多い。これには単にアクセス数を稼ぐ目的もあれば、記事の中身を確認しない人たちを扇動し、世論形成を図るという狙いもある。
“文章(記事)を読む習慣”というのは、やはり本など比較的長い文章に日頃から触れている人にしか身につかないのではないかと思うのだ。
「語彙力を高めたいならニュース記事を毎日たくさん読めばいいじゃない」と言う人に限って、おそらく
ろくに本を読んだことがない=記事をしっかり読もうとしない=記事に散りばめられた明らかな嘘に気づけない=フェイクニュースを信じてしまう
というような構図が生まれる。つまり本を読む習慣が根付くと自然と文章の粗や嘘を見抜くだけの集中力や思考力が身につくということでもあり、自分はこういうのを含めて“語彙力”と考えている。
読書…本を読むという行為は、ある意味非常に語彙を摂取する上で効率が悪いと捉える人がいるのは事実だ。昔の自分もそうだったが、本を読むには大変な時間がかかるし面倒くさい。そんなことしなくたって単語を覚える機会はいっぱいあると考えちゃうし。現代人はとにかく時間がなく、スマホばかり見ているから集中力が散漫してしまう。
スマホを見ていると集中力が欠落すると言われる一番の要因は、おそらくSNSが短い文章で完結してしまうところにあるだろう。Twitterの恐ろしいところは140文字に限定されていること。140字で完結してしまう文章だったら誰でも書けちゃうし読めてしまう。これが無限に垂れ流される。ある意味恐怖だ。無限に読めるということは無限に時間を食い尽くされることに他ならないし、しかも無限に読めるくせに自分の語彙力向上にはあまり役立てられないのだから。
例えば本を一度も読んだことがない人が140字で培った語彙力なんて、所詮は140字とそれよりちょっと多い程度の文章を読む能力にしか直結しないので、1万文字もある文章を最後まで読み切ることは困難だし読めたとしても果たして要約できるだろうか。
あらゆる言葉を駆使して呟くTwitter投稿者による呟きは語彙の増加には役立てられるかもしれないが、それは語彙力とは言い難い。
前述したように、文章を理解する能力も含めて語彙力だし、重要なことなのにまだ触れていなかったが自分の言葉で長い文章に起こしたり言葉にする能力というのもまた重要な語彙力だ。
コミュニケーション能力の低下を指摘される子供が増える一方、コミュニケーション能力はますます社会において求められる傾向にある。公務員試験も勉強できれば問題ないと言われていた時代はあったが、もはや過去の話となっており、いくら勉強ができてもそれだけで採用はされない。
自分も勉強は好きだが理論立てて話すのは案外得意ではなく自分が省庁で取り組みたい政策を説明するのも上手くいかなかった(なんというか自分の場合は対人関係という実戦不足の感が否めないが…)。面接重視の民間企業であれば尚更だろう。
コミュニケーション能力不足の大きな問題を解決する上でも読書が役立つのは言わずもがな。語彙多いほど喋れる言葉が増えるわけだし(これは誰でも想像できるだろうが)、何より筋の通った意見を言うことができる。
本を読む人なら本の中に当然に存在している起承転結のように、これから話そうとしている話の、いつどこで誰が〜…というのを頭の中で思い描くことができ、理論の組み立ても容易になる。
だから本を多く読めばスピーチが上手くなるし、言葉で相手を納得させることができるようにもなってくる。関西人はオチのある話を好むって言うが、起承転結ってのはすごく大事ですよ。オチのない話なんかする奴らは直ちにNKVD執行命令第3467号に基づき、くいだおれ人形によって即刻銃殺されます。
オチのある話をする習慣を基礎付けるのが本なら、やっぱり読書があらゆる語彙力を鍛える一番の栄養分。
あとやはり本も栄養分ですから、好き嫌いをしてはいけないというところか。偏った本ばかり読んでいればそれだけ考え方や話し方も偏ってしまう。本当にそうだろうか?という疑問を持って読むことが大切。
自分が大学時代にゼミで教授に卒論を見せたとき指摘されたことは「様々なものを読め」というご指摘でした。“もの”としたのには本に限られずニュース記事もそうだし新聞や詩集、寄稿文、なんでも読めという意味もあるので。硬い文章、柔らかい文章、可愛い文章、暴力的過激な文章、えっちな文章、なんでも取り込み中和していくことで多彩な表現ができるようになるでしょう。多彩な会話表現や文章表現ができる人は他人から好かれるようになるし。
結局のところ語彙力ってのは楽して手に入るものじゃないよね、スマホばっかり見てる奴が頭の良い陽キャであった試しがあるか?
しっかり定期的に本で文章を摂取してあげると人生は間違いなく恵み多く豊かなものになります。
でもね本を読めっていう上からの圧力で読ませるのはやっぱり違うから、楽しんで読むのが一番だよね。好きな文章をとことん積極的に読みましょう。短編集なんかはすごく良いですよ。
まぁこの記事書いてる自分も最近全然本読んでないから、この記事は自戒の念をだいぶ込めてます…次は何読もうかな…(一度も手をつけていない山積みになった本たちを見返しながら)
欧州遠征録【7】ドレスデン市内を巡りました。
ドラマのレビューを除けば、前回の更新は6月だったから実に三ヶ月ぶり。。。
もうそんなに経ってしまったんだねえ。
ブログの存在をすっかり忘れるくらい、この三ヶ月いろいろなことがありまして、すっかり更新が滞ってしまっていた。
あんなに面接練習を十数回も繰り返した挙句、公務員試験もダメだったしなぁ。
まあ仕方ないでしょう。来年頑張るしか。それに三ヶ月しか勉強時間もなかったのに頑張った方だと思いますよ、うん。来年は必ず受かりたいものですな。
しかし面接、お前だけは許さん。
筆記はいいんだよォ〜あんなの時間はかかるけど、まっすぐひたむきな努力でなんとかなるんだし。
でも面接というこの世で最も理不尽なアレ。俺のどこが悪いっていうんだ、ふざけやがって。一目見ただけで俺の良さなんか理解できるわけないのだ。
(↑こういうとこがお前はダメ)
残念ながら俺は笑顔を作ることが極めて苦手らしい。面接練習の時にも講師に「あなたって〜、顔が怖いし喋り方も〜であるべき、とか強い口調が多くて怖い〜(T . T)私なら落とします☺️」とか散々言われてクソッタレ〜〜😇😇😇正論吐いた程度で何ビビってんだくたばれ😇と思って、まあ、それでも真面目だから素直に聞いて必死に治す努力をしたのだが、人格なんか変えようと思ってすぐ変えられるもんでもない。どうしても表情が硬くなる。いや普段友達などと喋ってる時はすごく笑顔なんだが…
つまりこう面接官との距離感が嫌だ。わかりませんか?
机一個挟んだ程度の距離感なら問題なく笑顔も作れるんだが、5mくらい離れたあの空間が苦痛だ。相手も三人〜四人いる。これで表情固くなるなという方が無理だ。少なくとも俺には無理だ。別に、初対面の相手に笑顔作るのが無理というわけではない。普通に会話しろォ?じゃあもっと距離近づけろ、歩み寄る姿勢もないくせに。
大体なんでそんなにお前らは笑顔に飢えてんだマックにでも行ってろよボケ。
うるせぇ〜〜〜本当の俺は非常に紳士的なんだよ(相手によるけど)まぁこう時々発言が暴力的ではあるせいかその印象が薄いなどと言われてしまうが。至って真面目な性格だし。こんなにも仕事を真面目にやる人間を落とすなんて面接官の見る目は本当にゴミだゴミ(酒飲んでこの愚痴を書き散らかしている)。
見た目明るそうという印象だけで、時間や約束すら守れんろくでもない人間は平気で取るくせに偉そうにしやがって。お前らなんか雰囲気だけの人間に騙されて身を滅ぼせばいい。とりあえず交通費だけ返せ。
人間の良さなんて、たかが30分じゃ相手には分かってもらえん。それを分かった上で挑んでいきましょうよ、もう。去年の就活も散々で今年もこれというあんまりひどい現実で滅多に怒らない俺も怒り狂ってしまったが、もうなんか怒るのにも疲れた。一ヶ月かけて一生懸命面接対策もしたし、受験先の取り組みや業務内容をめちゃくちゃ調べたし、それに関連づけて、やりたいことも明確に発言したつもり。ところが結局、面接官の「なんか第一印象が気に入らないなあ」で片付けられてしまう。日本の就活は狂っとる、長期インターンの機会を増やせ。
どんなに抗おうともこの世の理不尽には逆らえない。
ニコニコできない自分が悪いんだ。誰に対しても物腰柔らかくなりたいけど…。
俺もあと一年、気持ち悪いほど誰に対してもニコニコできるスキルと、会話が弾んで欲しい〜だとか甘えたこと抜かす中高年が満足してくれるような会話スキルを磨こうと思って頑張っていく所存です。
うう…頑張る…(結局頑張るんかい)
さて愚痴を吐いたところで…
ええと、今回は待ちに待ったドレスデン観光のお話と行きましょうか(それに、だいぶ間も空いてしまいましたね…)
2016年9月14日。
前日は素敵なホテルで素敵な夜を過ごしたばかりだが、そのお楽しみは昨晩も続いた。しかし普段からバタバタの連続で、せっかく綺麗で可愛いホテルに泊まったとしても一泊しかできなかったりとかしてたので、二泊もできるって良いことです。ホテルの部屋を楽しむのも旅の楽しみですよ、特にヨーロッパは。
朝起きてまず最初にやらなきゃいけないのは美味い朝食を頂くこと。
これは当然。基本的人権である。
いや〜〜〜〜〜〜〜〜
レストランから眺める景色が圧巻過ぎました。
お分りいただけますか。
このテラス席からはドレスデン市街を一望することができます。
ハムの選び放題な感じ。景色。全てが楽園と呼べる。
朝からこんなに食べてもいいのかなぁという気持ち。
いいんですよ、ドイツだから。肉とジャガイモは主食である。
今だけはドイツ人になったつもりを堪能しよう。
遠くに目を凝らして市街地を眺めるのも良きですが、ちょっと柵越しに下を見るとお庭や芝生も手入れが行き届いていて、花が綺麗に咲いております。さすが城というだけのことがあるなあ。
レストランへの出入り口もさすがの内装。非常に感服いたしました。
やはりこういうのはシャンデリアが決め手だね。
朝食後は軽い身支度を整えて市街地へと向かうことになります。ホテルからは昨晩と違ってとても明るいし歩いて旧市街に向かっちゃいましょう、ということに。
明るくなったおかげでようやく自分たちの宿泊する城の全貌が明らかとなる。
えーと、ここのどっかの窓の部屋に今滞在しているわけですか。こんな形の城だったんだなあ〜〜〜〜。。。
すごい、と改めて。今回の旅で宿泊する予定のホテルはどれも同行者T氏に予約を丸投げしていたといったこともあり、どのホテルも事前の情報は予め一切知らされていなかったのですが、そのおかげで倍楽しむことができました。
城の正門を飛び出して道なりに進みます。
方角はこっちであってるのか?
通りを市街地に向かって歩いていくと、次第に市内を流れる大きな川が見えてきますが、あれが有名なエルベ川。
その川の対岸にはドレスデン旧市街の美しい風景が。
橋を渡って待ちに待った旧市街と行きたいところですが、それよりもまずはドレスデンの新市街に入る。
ところで、まずいい加減にホテルの浴槽で石鹸つけて洗いまくってた洗濯物を、さすがにちゃんとした方法で洗濯してみたいなあと感じていたので、街中にランドリーくらいあるでしょうと早速新市街の中を探してみることに。
ほら今俺たちの手元には洗濯物の詰まった手提げ袋がある。そのために今日はドレスデン新市街に来たというわけだ。洗濯機に洗濯させておいて、その間俺たちは観光するという新たな旅のスタイル。
街中をふらふらするうちに、我々はようやくそれと思しき建物を発見した。意外にあるもんです。
しかし、なんでしょうか…
洗濯機の使い方がいまいちわからなくて困惑気味。
そもそも洗剤ってのはどこで、どうやって購入する?
不思議なボタンがたくさんある。(写真なくてごめんよ)
そもそも洗濯機のどこに粉洗剤を投入すればいいのやら。
洗剤をどのくらい洗濯機にぶち込めばいいのか?
またはどのくらいの水量にすればいい?
はてまた洗濯機の時間設定をどの程度に設定すれば良いのやら…
考えれば考えるほど疑問は尽きない。全部説明書きドイツ語だからな。
日本の洗濯機だって初め使い方もろくに分からず、挙げ句の果てには洗剤のつもりで柔軟剤だけで洗ってしまい洗濯物が土のような匂いを放つようになったのは一人暮らし始めたて大学一年生の頃のとてもいい思い出ですが、
そんな話はわきに置いて、
とにかく海外製の洗濯機の使い方なんかわかるわけないじゃないかという感じですな。
洗剤を先に入れるべきだとか、10分経ったら入れるべきだ、とか我々二人はその解釈違いで、しまいにはやや口論っぽい感じにもなってきて…。
いやいやいかん。
せっかくの旅なのに同行者と揉めるなんてあってはならないこと。
洗濯機ごときで罵り合ってちゃお話になりませんわ、だってまだこの度はあと一週間弱残ってるんだ。
そのあとですがランドリーの近くにお菓子屋さん?パン屋さん?的なショップがあったので寄ってみることに。
旅行計画書には「エルベ川のほとりでパンを食う」と書かれている。昼食代を浮かすためかなんだったかは分からないが…計画書の通りに動くのなら今のうちにパンでも買っとこうかな、とも思ったんですよね。
結局買わなかったんだけど。
じゃあ何を買ったっていうのさ。
そうそう、ドイツといえばシュトレンが有名ですな。この店には美味しいシュトレンが売り出されるという事前情報を得ていた俺は、てっきりこの時期でもシュトレンが買えると思い込んでいたのだ。そして意気揚々と店の中に入る。
ところがどっこい、シュトレンは次期違いということで微塵も売ってる気配はありませんでした。ズコーーーーッ!
当たり前だ、今は9月、12月はまだまだ先である。
しかしせっかく入店したんだし…というわけで俺は店頭に売ってあるメレンゲ菓子を買っていくことにした。
そしてパンは買い忘れた。
お店を出たところで、なぜか我々は不思議なヒゲボーボーなおじさまに遭遇してしまう。どうしてこんなところにいるんでしょう…。
言っちゃ悪いが見た目は浮浪者そのもの。。。少し怖い。
こっちに寄ってきました。まじかよ。
しかし今回の旅で我々には変な人間既にたくさん寄ってきていたのだから、この程度のことじゃ動じるはずもない。
そして彼は英語でなんか言ってくる。
「お主、金を持ってないか?」
ものごいだ。
我々はドイツに来る前から、海外では知らないおじさんに1円足りともあげてはならないということを本などを読んで学んでいた。なぜなら1セントだけでもあげようとすると、相手は財布をひったくる可能性があるから。
俺も少し悩んだ。しかし我々が善良な日本人であることに変わりはない。
相手はとても悪い人には見えないので。
コインケースを取り出して、結局一ユーロくらいあげちゃったんだけどさ。
でもおじさん、それっきり大人しくどこかに引き下がっちゃった。
あ、これで満足してくれたの…?
しかもそのおじさん、よくみると履いてる靴が片方ない。。。
ドレスデンはこれまで訪れた西ドイツ地域とは違って、1990年までは東ドイツの主要都市でした。
東ドイツの体制が崩壊して西ドイツに取り込まれると、西ドイツ政府は途方もない大荷物を抱えてしまうことになります。だって共産主義体制で何十年も生きてきた人たちは、お金に対する考え方も西側の資本主義経済とはまるで違っていましたから。
旧東ドイツだった地域の経済は現在少しずつ回復していますが、今でもなおその経済格差は爪痕として刻み込まれているんだとか。
もう30年が経とうとしているってのに。。。
それが、このような哀れな失業者を生み出しているのです。
日本の隣国である北朝鮮が韓国に取り込まれても(または韓国が北朝鮮に取り込まれても笑)統一国家が莫大な負債を抱えることになるのは目に見えて明らかである。経済破綻する可能性だってあるんですから、当分朝鮮半島の統一は難しいでしょうねぇ。
国家の統一ができても、その後の維持というのは一筋縄じゃいかんのです。
その後のことも含め、引き裂かれた国家の悲劇です。
街の郊外の少し寂れた風景にも何となくそれが現れているように感じる。
さて気を取り直して、今度は旧市街を目指すため我々は橋を渡ります。
向こうに見えるのが旧市街。雰囲気出てますね〜〜〜〜。
大きな古びた立派な橋の途中には、なぜか我々日本人が見慣れた葛飾北斎の有名な絵画。なぜ。
おらおら〜〜〜〜〜なげえ橋だなぁ。
そして橋を渡り終え・・・
わぉう。でかいですね。
着きました、旧市街。
第二次世界大戦前の趣あるドイツの街並みが今も大切に残されています。戦前は指折りの大都市だったのだ。
ドレスデンの旧市街の建物は所々黒ずんでおりますが、これらは全て1945年2月にイギリス空軍による大空襲を受けた証でもあります。
我々日本人にとっても忘れがたい記憶である、民間人に対する凄まじい無差別空襲の痕跡は、こんな多い異国の地でも垣間見ることができる。
東京の下町(浅草周辺)を歩いてみると、昭和初期ごろからある古い石橋にも似たような黒ずんだシミがあったことを思い出した。
これは一説によると、川の両岸から命からがら逃れてきた人々が橋の上で行き場を失い、ぎゅうぎゅうに押し合っていた時にその背後から押し寄せてくる巨大な火炎の渦に巻き込まれた際に燃え上がった彼らの皮脂の痕跡、とも言われています。
おそらくドレスデンの建造物に刻まれた黒ずみのいずれかにも、人間が燃え上がったことによって刻まれたものがあることでしょう。
人を焼き殺す行為ってのは確かに戦略的には効率が良いけど、あまりにも非人道的だ。昔の火あぶりの刑になった人だって、別に生きたまま焼かれたというよりも一酸化炭素とか煙で窒息死してからじわじわ焼かれていくと言いますし。。。
戦場で火炎放射器が使用されなくなったのも人道的な観点からです。
それらを鑑みて街を歩くと、また違ったものを感じられる。
実に多くの貴重な美術品が燃やされたことを考えるとなんともいたたまれない気持ちにもなりますね。まあしかしドイツ軍だってあちこちの街を爆破して美術品を略奪してを繰り返したんだから、この時代に文化財保護の価値観を求める方が違っているのかもね。
橋を渡り終えたところ、現在立っている広場の向かって右手にはツヴィンガー宮殿がある。ひとまず我々はツヴィンガー宮殿の探索から始めようと思う。
こちらがツヴィンガー宮殿。
ん〜。すごく綺麗なんだけど。
こう言ってはなんなのですが、われわれのヨーロッパ滞在期間が長くて感覚が麻痺しているのか、ひどくこざっぱりしていて退屈に感じてしまった。
中庭もどこかぱッとしないような気がする。
この宮殿自体も空襲で丸焼きにされてしまった過去がある。
戦後は先ほども述べた通り、ドレスデン自体が東ドイツという共産主義陣営に呑まれてしまったことで、このような建造物はブルジョワ的だと罵られることになり、戦後少しずつしか復興が進まなかったというのも多少あるだろう。
近くのエルベ川が氾濫して被害を受けたりもしたし。。。
こちらが空襲後間もない頃の写真。
先ほどの写真と比べて、現在のどの建物か分かりますか?
屋根が焼け落ちて現在とは比べものにならないですね。たくさんの芸術品が失われてしまいました。(ちなみにこれは2枚目の建物)
↑戦前の美しい宮殿。。。
戦前はもっと綺麗な宮殿だったのかもしれないなぁ。
さて、小腹も空いたところでツヴィンガー宮殿を後にし、そろそろご飯にしましょう。やったね。時刻は12時少し前といったところ。腹も減ってんだからそろそろ変わったもん食いたいんだと思っても、ここはドイツ。
提供されるのは何処へ行ってもジャガイモとソーセージとビールと、山盛りのザワークラウト。
いやいや上等だ。さすがに飽きてきた感も否めないが俺はこのドイツの頭のおかしい食文化を気に入ってしまっている。
エルベ川のほとりにパラソル付きのテラス席がいくつも並んでいるのが目に飛び込んでくる。そこにはビアーガルテン(要は、ビアガーデン)の文字が刻まれていた。つまり本場のビアガーデンを味わえるチャンスの到来だ。
どうせ明日はベルリン行って、明後日がドイツの最終日になってしまうのだから、ウクライナに飛び立つ前にビールをたらふく決めようではないか(ビールを飲むためなら言い訳なんかなんでもいい)ということで、我々は意気揚々とそのビアガーデンに入場するのだった。
ちなみに飲み放題とかではなく、屋台まで行って金を払ってビールとか注文するシステム。他にも飯を食うことができたので我々は当然、美味そうな飯も注文する。飯は完成次第、席まで運んでくれるシステム。我々はジョッキ片手にパラソルのテラス席に舞い戻ると、早速呑んだくれる。昼間から飲むビールは最高ってもんだ。
写真のジョッキのそばに黄色いチップが見えるでしょう?
飲み終えたジョッキと一緒にこのチップを店員さんに手渡すと、なんと一杯3ユーロ(約300円)だったのが、1ユーロ50セント(約150円)で、もう一杯おかわりできるっていうシステム。恐ろしい…150円で500mlもの生ビールを飲めちゃうなんて、そんなお馬鹿なことが許されるのだろうか??ビールは水よりも安いと言われるこの国ならではの文化。俺はもうこの国に骨を埋めたい。
当然、二杯目を受け取った時にも黄色いチップをもらえるから、二杯目以降はずっと150円ってことだ。いかれてるぜ。
一杯目はピルスナー(透き通った色の、日本でもよく飲まれているビール)だったが、二杯目はドイツらしくヴァイスビアー(白いビールという意味の濁ったビール)を注文。花のような香りが鼻腔を包む。
こっちの方が好きだけど、日本じゃ滅多に生樽では飲めないよね…飲めたとしてもコスパが悪すぎるし。
そんなところでご飯の到着。
手前のがグラーシュズッペというシチュー。もともとはハンガリーの郷土料理なのだが、チェコやドイツ東部といった中東欧で比較的よく食べられている料理だ。本場ハンガリーのグラーシュ(またはグーヤシュ)はもっとさらさらとしたスープに近い料理なんだとか。ボルシチと一緒で、場所や地域によって作り方や具材、味付けが変わってくるのは興味深い。
ちなみに奥にあるでかいソーセージの入ったスープはカルトッフェルズッペ(つまりじゃがいものスープ)という名前なんだとか。食べてないから味がどんなんだかは分かんないが。
ご飯も食べて、気づけばビールも1リットル飲んでいた…さすがにもう満足です。
ビアガルテンを出て、我々は街の散策を本格的に開始する。
さて、いよいよ我々は街の中心部にやって来る。
そこには巨大な教会がそびえ立つ。
ドレスデンの象徴的存在であり市民たちの心の拠り所ともいえるのが、この聖母教会だ。
大空襲によって喪失してしまった美しいこの教会は長く再建を待ち望む声が叫ばれていたが、実際にそれが実現するのはだいぶ後のことになってしまう。
戦後ドレスデンを統治することになった東ドイツのような共産国ではキリスト教をはじめとする宗教全てを否定し、その厳しい思想が教会再建を阻むとても大きな障壁となっていたのだ。
聖母教会は瓦礫のまま何十年も放置され、痛ましい姿を戦後しばらくの間市民の目にさらし続けてきた。
ところが1990年に東ドイツが崩壊し、東西ドイツが再統合を果たすとようやく教会再建の動きが活発化していくことに。
市民団体によって別の場所に保管されていた瓦礫を、在りし日の写真をもとに組み直していく様子は世界最大のジグソーパズルともいわれ、世界から大きな注目を浴びる。教会の写真の中で黒ずんで見える部分がまさしくその古い焼け残った煉瓦や彫刻なのだ。
そうして2005年ようやく教会は元どおりの姿を現し、鐘を打ち鳴らす。
ドレスデン市民はその鐘の音を涙を以て迎える。
今回ドレスデンに来たのもこの聖母教会を訪れたかったからに他ならない。
教会内部に入ると…そこには実に美しい光景が広がっていた。
圧巻の光景だ。敬虔なクリスチャンではないのだが、あまりの荘厳さに神を信仰する人々の気持ちが理解できるような気がしてくる。正直いつまででもこの空間に居られるなあ。
そして驚いたのは何よりこの教会、屋上に上がれるという。
我々は教会をぐるりと一周するような階段(ここはスロープだが)を登って屋上に上がっていく。吹き抜けになっているから真下のホールの様子を伺うことができる。
そうしてようやく登り終えると、、、
我々は美しいドレスデン市街地を一望することができた。高いところ好きなので毎回高いところに登っては興奮しているような気がするな。
だって仕方ない、高いところから見る風景ってのはやっぱり格別なもの。
教会の展望台を満喫したら、再び市街地の探索に向かいます。大忙し。
市街地を歩いていくと、こんなものに行き当たる。
近くでよく観てみると、とても長い壁画だ。
どう言う目的でここに描かれたのか、この地域の歴史にそこまで詳しいわけじゃないのでよく分からないが、調べてみると「君主の行列」というタイトルが付けられている。
この辺りはかつてザクセン王国という名で呼ばれていたが、その歴代君主35人を描いたものだとか。
ドレスデンはマイセンという陶磁器で有名。紅茶カップやティーポット、一度は手にしてみたいとは思うけど高級品なのでいつ買えるか分からない。いつかは欲しいもんですね。そんなマイセンの陶磁器技術を駆使してタイルに描かれたのがこの壁画。
すげえ。。。これだけで何百億という価値になるだろう。
しかも驚くべきは、あの熾烈な大空襲の被害を免れ、完全な形で現存しているのだとか。
うっとりするほど繊細に描かれているのでドレスデンを訪れた際は是非立ち寄ってみて欲しい。
その後我々はドレスデン市内のデパートに立ち寄って、いろいろお土産物巡りなどをしてみる。
ビールを買ったりした。
橋を渡って新市街に。
さようなら旧市街…またいずれは行きたいものです。
新市街に戻ると、午前中コインランドリーに取り残してきたままだった洗濯物などを回収する。まあなんとかいい感じに乾く段階までいってたので満足。
意外と海外のランドリーも使えるもんですね。
さて、行きは歩きだったが帰りは路面電車を使ってホテルに戻る。
路面電車の乗り方がいまいち分かったような分からないような気持ちになるので、なんだか慣れない。そしてこの不慣れさが、翌日の失敗の原因にもなってしまうのだが…。。。
その話はまた次回です。
夕方からさっさと酒盛り初めて明日の予定を確認。
明日はいよいよベルリンへと向かうことになるのか〜〜〜〜。いよいよです。
それでは次回もお楽しみに!
ドラマ『CHERNOBYL(チェルノブイリ)』第一話。
日本初公開の海外ドラマをこんなにも早く視聴して感想など呟くことになるとは…自分はよっぽどこのドラマを待ちわびていたらしい。
ソビエト崩壊からもうすぐ30年を迎えようとしているが、近年ソビエトをテーマにした作品が順調に増えてきていて、こちらとしても嬉しいところ。
ガルパンを始めとしてちょくちょくアニメのネタにもなる。
しかしその反面で、人気が出てくるとやはり悪い影響も出てきてしまうもの。
本作もゲームオブスローンズの製作陣ということもあって、アメリカ国内では大ヒットを飛ばした。その上、先日エミー賞なんかも取ってしまうほどの人気ぶり。
その影響か現在ウクライナにはチェルノブイリ原発ツアーに殺到する目的でやって来る観光客が急激に増えているようだ。
俺も2016年9月にウクライナへ行ってチェルノブイリ原発のツアーに参加したことがあったが(その時の詳しい話はまたいずれ当ブログの別シリーズである欧州遠征録で)、あの時も結構アメリカ人のツアー団体が多かったように思える。
しかし現在は、もはやなんでもありな観光状態になりつつあるんだとか…。
ウクライナも本来経済の貧しい国だし、観光後進国だから、なんとしてでも海外からお金を落としてくれる客が欲しいところ。
本来なら立ち入り禁止区域だし、外部からの人間の出入りを厳しく制限するべきなのだが、命の保証はしないという誓約書にサインさせる程度の手続きを済ませて、原発周囲への立ち入りを許可している。
もはや立ち入り禁止区域の意味をなしていない。
(福島第一原発を観光目的として利用したらきっと大バッシングだろう。でもウクライナ人は何も思ってなさそうだし、アメリカ人は金儲けできるとあって他人事だし…)
なんと最近じゃ、汚染されたプリピャチ川(原発の横を流れる川)をボートで巡るというような馬鹿げた観光事業に乗り出すツアー会社まで出てきているとか。こりゃ川で誰かが泳ぎ始めるのも時間の問題だ。(そして死ぬ)
まぁ、こういうツアーを企画するのは大概一儲けを狙うアメリカ人の資本家なのだが。。。やはり資本主義は○○○
それどころか、現地に押し寄せた観光客はチェルノブイリ事故に関心があるのならまだしも、その半数以上が「インスタ映え」とか「流行っているから」だとか、そんな理屈で軽々しく見学ツアーに参加し、原発建屋と自撮りで記念撮影する。。。
まことに嘆かわしいことこの上ない。なぜ罪もないソビエト人民が血を吐き、皮膚をただれさせて死んでいった墓標のような原発を前に笑顔で写真なんか撮れるのか。その神経を疑わずにはいられない。あの建屋の中には高濃度の放射線によって人もロボットも近づくことができず、いまだに回収されずにコンクリートに埋もれたままの作業員の遺体が眠っているというのに。
命を投げ出す彼らの献身的な除染作業がなかったら今頃ヨーロッパは、世界は、チェルノブイリ上空から季節風によって流されてきた高濃度の放射性物質によって大規模に汚染され、発ガン率はとんでもないことになっていただろう。
ヨーロッパ産の小麦なんて食べられなくなっていたはずだ。そして欧州は今よりはるかに衰退していた。そんな地獄を防いだのが彼らだったのだ。
さて、本作ではそんな真の英雄とも呼べる作業員や消防士、兵士たちの胸の痛むような献身的作業の光景と、頑なに原子炉の爆発を認めず、認めてからも今度は互いに責任をなすりつけ合う醜いソ連共産党指導部の葛藤が描かれている。
命を投げ出すのはいつだって末端の人間なのだ。
先日、第一話がスターチャンネルで無料公開だったのでさっそく見てみることにしたが、今回はその感想を述べていくことにしよう。
ネタバレっていうものもない気がするが、気にする方は読むのをやめてもいい。
ほとんど実話なのだから実際に起こったことを知っていればどのような展開になっていくかはある程度想像がつく。その意味でこの作品は、映像を見て恐ろしい気持ちになってくれればそれで正解だと思える。
第一話目は、主人公の自殺で始まる。
事故から2年後の1988年4月。彼は証言を記録したカセットテープを残すと、首を吊る。
なぜ彼が自殺するに至ったのか?
それを問うのが本作の意図だ。
そして時は2年前、1986年4月に遡っていく。
チェルノブイリ原発はソビエト連邦ウクライナ共和国の首都キエフの北にある。周辺のプリピャチという街には原発作業員たちとその家族が暮らしていた。
突然、火柱を上げてチェルノブイリ原発の原子炉建屋が爆発する。
爆発を目撃したプリピャチ市内のアパートの一室では、妻リュドミラが心配そうに吹き上がる炎を窓から見つめていた。しばらくして消防士の夫は消火活動に出る準備をする。
実はそんな事故の被害者である彼らは、実在の人物をほぼその通りに描いているのだ。
チェルノブイリを描いた小説は少ないが、スヴェトラーナ・アレクシェービチというベラルーシ人作家の書いた「チェルノブイリの祈り」という本の最も冒頭に登場する衝撃的な証言…この本が元になっている。
- 作者: スベトラーナ・アレクシエービッチ,松本妙子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/06/16
- メディア: 文庫
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アレクシェービチはドキュメンタリー作家で、長年ソビエトの闇に焦点を当て、さまざな人々の証言を一つの本にまとめてきた。アフガン戦争で傷ついた兵士の証言をまとめた「アフガン帰還兵の証言(原題・鉛の少年たち)」は秘密主義が蔓延っていたソビエト社会に強い衝撃を与え、現実を受け入れられない遺族から猛バッシングを受けて裁判まで起こされてしまったが、彼女はそれ以降も精力的に作家活動を続けてきた。
そうした長年の功績を認められ、2015年にようやくノーベル文学賞を受賞するに至ったが、そんな彼女が送り出した「チェルノブイリの祈り」という本も、事故を経験した人たちの目線で生々しい証言が描かれているのだ。
とにかく本の冒頭の、リュドミラの証言は実に生々しい。消防士である夫が炎の上がった原発へ消火に向かう。その場所から戻ってきた消防士たちはひどい放射線被曝で倒れ、妻のリュドミラは必死で彼を看護するが、病状は次第に悪化していき…
これ以上は書かないでおくが、夫を必死に看病する妻のひたむきであまりにも悲しくむごい証言が、おそらく今後ドラマでも取り上げられていくことだろう。
大量被曝した夫はもはや人ではなく、一つの放射性物質なのだ。
それが何を意味するか、今後明らかにされていく…。
放射線が人体に与える影響を知るためには日本で起こった事例も参考になる。
1999年に茨城県で起きた東海村臨海事故という大変な人災をご存知だろうか。
ウラン加工施設で、溶かしたウラン燃料を移し替える作業中に核反応が発生し、青白い光とともにその場にいた作業員二人は大量被曝する。人間の放射線致死量は6〜8シーベルト(人体に与える影響を表す単位)程度なのだが、その場にいた二人はそれぞれなんと推定14〜20シーベルト、8シーベルトもの放射線を浴びてしまう。彼らは即死を免れて奇跡的に生き延びるが、それが地獄の始まりだった…。
そのうちの一人が集中治療室で治療を受けて死んでいくまでの過程を綴ったのが、NHK記者が綴ったこちらの『朽ちていった命』という本の中で紹介されている。
放射線は、身体を内側からじわじわと破壊していくのだ。
細胞や染色体が破壊されると人間は設計図を失う。つまり、新陳代謝などによって毎日生まれ変わる皮膚が再生されなくなり、古くなった皮膚がはがれ落ちると人間の肌は、むき出しになる。
そしてむき出しの状態のまま決して再生されない…赤々とした肉が露出する。
患者の寝ているベッドは血まみれになり、身体中をガーゼや包帯でぐるぐる巻きにする必要がある。また体内の粘膜も剥がれおち、胃や腸の内部も血まみれになって、血便が続く。喉の中もただれて、やがて口もきけなくなる。
そんな状態が三ヶ月も続いた。
当時の最先端医療(皮膚移植や、骨髄移植)を以ってしても、彼を苦しめるだけ苦しめて、三ヶ月生かしてしまったのだ。なんのために助からない命を生かす理由があったのかと考えさせられる。
(もう一人の患者は200日も生きたが…)
チェルノブイリの消防士が受けた放射線も、彼ら同様におそらく8シーベルト程度か、人によっては…20シーベルト以上であった。現場に着いた時は元気だったのに、突然嘔吐して倒れたり、顔が真っ赤にただれたり…。即死した者、病院に担ぎ込まれた者…。
放射線被曝の治療なんて前例がなかった。
医師たちは奔走するが、重篤な患者を前にして為す術もなく立ち尽した。
彼らは皆長くても二週間程度しか生きることはできなかった。
消防士たちだけではない。原発内の制御室にいた作業員たちにも同様の悲劇が待っている。
事故発生時、現場の責任者であるディアトロフ技師は原子炉爆発を頑なに認めようとしなかった。
部下が原子炉が爆発したという報告をしても、彼はそれを頭ごなしに否定する。
「わが国の原子炉は決して爆発することはない!」
国が絶対的に正しい以上、自分たちのミスが原因なんて到底受け入れられなかったのである。ソビエトで罪を負えばシベリアへの流刑か強制労働、または国家反逆罪の烙印を押されて銃殺される。昇進は二度と望めない。だから事故後、対策のために呼び出されたその地区の共産党員ですら、作業員たちに事故の全容を知らされてもそれを受け入れなかった。そしてディアトロフ技師も地区の党員も、皆がこう言うのだ。
「原子炉が爆発したと言うのなら、お前が原子炉を真上から覗いてこい!」
当然、原子炉からは凄まじい勢いで放射性物質が噴き出しているというのに、この命令は正気の沙汰ではない。作業員たちはまた、むき出しになった核燃料棒を冷却水に押し戻すために奔走する。(燃料棒がむき出しになると高熱によって炉心溶解(メルトダウン)が起こり、放射性物質がますます流出する)
実際に覗かされた作業員は顔を真っ赤に腫らしていく。
そんな彼の惨状を見ても党員もディアトロフも事故の重大さを認めない。
ディアトロフ自身その場で嘔吐し、倒れて担ぎ出されたというのに…。
そしてまた別の技師が、原子炉を覗きに行かされる。そんなことの繰り返しだ。
観ているこちら側としても非常に苛立ちの募るシーンである。
しかも近隣住民がパニックを引き起こさないようにするためと言って、住民には一切避難勧告が出されない。
放射性物質の白い粉が宙を舞う。
夜中、爆発事故を聞きつけて外に出ていた子供達はその粉を眺めて雪のようにはしゃいでいる。放射線の脅威は目に見えない。しかし確実に、身体を内側から蝕んでいた。
こういう初動対応のまずさが結局チェルノブイリ事故をますます深刻なものにしたが、それはソビエトの秘密主義・権威主義がもたらしたものと考えることができる。
…さて、一話はこのような話で進んだが、二話以降もソ連共産党の対応のまずさがますます露呈することだろう。
モスクワの中央政府も処罰を恐れたウクライナの地区共産党が報告をうやむやにしたせいで正確に情報をつかむことができなかった。ようやく事の重大さを理解した中央政府が近隣住民に避難を命じて避難勧告が出されたのは事故から三日後。
住民の健康状態を考えるとあまりに遅すぎたと言っていい。
そして二話からはいよいよ兵士たちが除染作業に駆り出されることになる。爆発してむき出しになった原子炉を覆うコンクリートの石棺を建設するため、これまた多くの除染作業員(リクヴィダートル)が犠牲になっていく…。
非常に重苦しいテーマだからこそチェルノブイリや原発の恐ろしさを理解できるドラマだと思う。
ぜひ覚悟する気持ちで観て欲しい。
そして原発に対して自分なりの意見を持ってほしいものです。
世の中の諸問題は、決して善か悪かの二つで片付けられないことも理解してほしい。
このチェルノブイリ事故についても、一体誰が悪いのかと決めつけることはできないのだ。
原発によって我々の豊かな生活が保たれているという現状を踏まえ、いかにして原発に頼らずに生きていけるか。これを話し合うことが重要だと思っている。
欧州遠征録【6】遠すぎたドレスデン
最近とっても忙しいらべるです。忙しいのかな。わかんねえや(へらへら〜)みなさんはお元気ですか。
この欧州遠征録も思えばすごく久々にはなってしまったのだが、こうやってなんとか暇を見つけて執筆することが叶いましたので。。。ほんとは書いている場合じゃないんだが勉強も詰め込みすぎると自分でもわけわかんなくなっちまうんで息抜きは大事でしょうね〜と、これ書きながら噛み締めている。現実逃避だ。
文章力は使わないと劣化しちまうんで使うべき時に使わなきゃな。
そんじゃ〜前回の続きからいきましょう。
これまでのあらすじ。
みなさん覚えてるかしら?筆者と先輩のT氏はパリから電車でドイツ南部に到達してロマンチック街道を南からじっくりゆっくり…(と、本来ならそうなる予定だったのだが)
しかしこの旅はとても酷いもんで、かつかつハードスケシュールで北上していくことになってしまうのだ。旅行計画のずさんさはこの際ふれないでくれ。
基本的に旅なんて行き当たりばったりが基本である。
さて前回はそんな素敵で可愛らしいロマンチック街道の中間地点であり、メインディッシュともいうべき中世都市ローテンブルクを旅したお話をご紹介しましたが、それもいよいよおさらばして、我々はまだまだ続くロマンチック街道を惜しみながらも脱して、舵を大きく切り、ドイツの東へと向かうのであった。
ロマンチック街道の中間都市ヴュルツブルクを通り過ぎ、フルダという街の駅に到着。さぁここがドイツを東に向かうか西に向かうかの分岐点の街になる。
ところが、ここから東に位置する本日の最終目的地ドレスデンに至るまでの旅は、当初の予定を狂わすほどとんでもない苦難を伴うものであった。
①“ドレスデン”行きのチケットを買わせておくれ!!!
時刻はとうに昼の14時くらい。
ローテンブルクから長々と乗ってきた電車から降りると、さっそく我々はドレスデンへと向かうための切符を購入することになる。
しかしここでアクシデントが発生。
駅のホームで券売機を前にした我々だが、券売機の表示のどこにもドレスデン行きの切符が見当たらないのである。
これは一体???
おいおい待て待て、これまで俺たちは様々な苦難をのりこえてきたんだぞ?パリの地下鉄で券を買うのだってかなりしくじったりしてよぉ〜〜〜っ
パリからミュンヘンまで本当に電車で行けるのか?と非常にやきもきしたこともあった。だがそんな歴戦の勇士が一体こんなところで何を手間取っているんだ???
と思いつつ何度もご親切な英語表示の電子券売機に向かってぶつくさ言いながら格闘してみるのだが、やっぱりドレスデン行きの切符が買えないという。
ほんとになぜなんだ。。。
ここでドイツ語に自信ニキというT氏(彼はフランス語にも自信ニキ)がすっと立ち上がり、どこへ行くのかと思えば勇ましく駅のインフォメーションセンターに果敢に立ち向かっていく。
か、格好いいぜ…!
俺にはできへん。。。
ちなみにその間、券売機の前でのほほんとしていた。干し梅を食べてました。
いやぁ〜〜〜うまいんですよね、
皆さんも長期間海外に行くときは干し梅を持参すべきである。(これは声を大にして言いたい)
この頃にもなるとワタクシは若干のホームシックを抱え始めていた。
しばらくして白い紙を一つ携えたT氏が舞い戻ってくる(この時、俺の頭の中じゃ神々しくワーグナーのワルキューレの騎行が流れていた)
ドレスデンへの行き方が書かれた紙だそうなのだが、目を通して見ると…
え、ドレスデンに行くのってこんな駅で乗り換える必要ありますっけ????
グーグル先生は一度もこんなこと言っていなかったような。
そもそもフランクフルトって西側じゃないっけ…
紙面に刻まれた街の名前はどこも方角的に明らかに違う。そもそもドイツ語はあんまり読めんが。
絶対間違いだよ〜〜〜、いくら馬鹿な俺でもわかる。
大学の英語が再々履修の俺でもわかる。(余談ながらその時の俺が履修していたミクロ経済学は”再再再履”だったので当時流行っていた『君の名は』の主題歌と非常によく韻が踏めたものだ)
煽りまくる俺にT氏は、これはドレスデン行きだと確かに駅員が言った、と言い張るので。
うむ。。。そこまで言うのなら。。。
そんで改めてよく紙に目を通して見る。
えーっと、
“Dorsten”
うん。ドルステン…確かに、いや、やっぱ何も違くな…
あっ、あ!これって…
もしかして…
ドルステン!?!?!?!?
いや知らねぇ
どこなんだよそこはよォ。
Dresden
ちなみにドレスデンの正しい綴りはこちらです。
こうしてみると非常に一目瞭然だね。
まあ、ぱっと見気づかないかもだけど。
ちなみにドルステンってのは東部ドレスデンの真反対…ドイツ西部の小さな街だ。
こっちの街に行ったらもはや方向修正のしようがないだろう。
そんな大いなる過ちに気づいてしまった我々は思わずひっくり返り、そのまま疲れも相まって、とにかく変な笑いが止まらなくなってしまう。
ドイツ人にしてやられた。しかももう一度よーーーく、券売機を睨み続けてるとドレスデン行きの表示は初期画面の下の方に、はっきりとあらかじめ表示されていたのであったとさ。
そりゃそうだ〜〜〜〜だって日本で言うところの京都みたいな古都だもの…!
分かりやすいところに表示しておくべきものだよね。。。まさしく灯台下暗しであった。
今までの苦労は一体なんだったんだろ〜〜〜??
ふにゃふにゃのこんにゃく状態になった我々はやっとのことでチケットの購入に成功し、ヘラヘラしながら駅のホームにまっしぐら。
その途中でT氏がバッグから小銭を撒き散らすアクシデントに見舞われたりする。
なんでこの人ロボットじゃあるまいし、チャランチャラン音立てながら歩くの、とか思ってよく見たら小銭を無意識にばらまいている。。。
バッグも中の財布も開けっ放しじゃないですか。。。
ひどく疲れすぎじゃないのかね。
転がり落ちたユーロ硬貨とかを拾い集めてホームのベンチに腰を落ち着かせる。
まぁ、とりあえず落ち着こうぜ。
いやー、でもなんとかドレスデンに行けそうです。
ほんとうに、ええ。なんとか。
しかし。。。
このあとも行く先々にアクシデントが待ち構えていることを、我々はまだ知らない。
②俺たちを置き去りにして遠ざかっていく列車。
いや〜〜〜なんとかなるもんですなぁ。
ドレスデン行きの列車に飛び乗って、あとは優雅に快適な列車内で贅沢な時間を過ごすばかりです。さっきまでの馬鹿苦労が嘘みたいだ。朝早く起きて今日はとにかく濃厚すぎる1日だ。情報量が多すぎると脳みそがパニックを起こすのでやっとの休憩は誠にありがたいのです。
ドレスデンに行くためにはもう乗り換えも必要ないらしく、このまま順調にいけばおそらくドレスデン市内には夕方18時ごろには着くだろう、という予定でした。
呑気に列車で音楽など聞きながら、今日の出来事を絵日記形式で描いていたりすると、いつの間にか列車が停車する。周りの乗客がぞろぞろと降りていく。
何だろう、疲れすぎているからかあまり気に留めませんでしたが、やがて電車の中に人気が微塵もなくなる。
あれ、これ本当にここにいていいのか?
みたいな空気感。
やがてぽつんと席に残る我々を見つけた初老の車掌が近くにやってきて、『降りろ!」とまくしたてる。ドイツ語で。
俺たちは顔を見合わせて、あん????となったのだが駅員は待ってちゃくれない。「あんたたち、(車内放送を)聞いてたのか?」と駅員は呆れ顔だ。
ああ、え、まさか乗り換えですか!????
あ〜〜〜いえ、はい、聞いてませんでした。(どうやら自分たちの乗ってきたやつはドレスデン直通じゃなかった様子だ)
ということで列車から叩き出される我々。
えーっと、、、ここはどこ。。。
ここはライプツィヒ駅という結構大きな駅です。
はてさて、しかし乗り換えとは言っても一体ドレスデンに向かうにはどの電車にのればいいの?降ろすだけ降ろされてどうしたらいいんでしょうか。
と、思った矢先のこと。
たった今我々の降りた列車の後部車両が切り離されて、発進していく…!!!!?
い〜〜、嫌な予感がするなァ、
ふと上の電光表示板を見上げると、ドレスデン行きの文字が・・・輝いて、消えたね。。。
まさか今のが、、、
ああ、やはり、、、
ドレスデン行きの列車でございましたか。。。
非常に、無念である。(二人はお葬式状態)
そして次のドレスデン行きは2時間後という大事態に。
駅のホームで二人して絶句する我々。
ただでさえ遠いドレスデンがさらに遠のいたのだ。
果てさて、一体我々はいつになったらあの街に辿り着くことができるのか。。。
気を取り直して電車を待つこと2時間。
しかし案外あっという間に時間は過ぎて、ようやくライプツィヒ発ドレスデン行きの電車に飛び乗ります。
今度こそ俺たちは凱旋するぞ、と意気込むものの今日一日で本当にたくさんのことがありすぎて脳みそが疲れ果てている我々の会話の話題は、ほとんどがうんちと爆発の話。疲労が限界に達すると脳みそが小学生にまで退化てしまうのは仕方がない。しかも案外ゲラゲラ笑える。
今の俺のIQは5だ。
疲れるとこれがまたさらに下降していき、しまいにはマイナスの値を叩き出すこともしばしば。
そして!ようやく…夜7時半を迎えた頃合い、我々はドレスデンに到達しました!見てくれよな、ほらこの標識、ドルステンじゃないんだぜ!(当たり前)
いやーーーーーしかし、なんと長い道のりだったことか。。。
お外は、、、
暗いですねぇ。
今日少しだけ旧市街を観光できたらなあとか思っていたけど精神的にも時間的にもそんな余裕など微塵もなかったので大人しく速攻ホテルに向かうことに。
夜の街もすごく素敵なんだろうけどさ。
ええ、なんせ今日泊まるホテルは今回の旅の本命と言っても差し支えない、城ホテルなのだ。
城に泊まるって憧れるじゃないですか。
『シュロス・エッグベルク(エッグベルク城)』
えーと、こちらは1800年代に築城された比較的新しくて貴族が建てたお城だそうですが、現在では観光客向けにホテルとして解放されている。
部屋でまったりゆっくりせずしてどうする?
一刻も早く城に向かいたい気持ちが高まっていた。
バスもいつ来るか分からんし、面倒だし、ああだこうだ言って仕方がなくタクシーを使うことに。
おっと…何気にこれが初めてのヨーロッパで乗るタクシーじゃないか??
ぼったくられるんじゃなかろうか、という一抹の不安はあったがドライバーは親切な方で、シュロスエッグベルクに行きたい〜〜と言う我々に「おう、あそこはいいとこだぜ最高だ」的なこと言ってくれて気持ちよかった。
(おっちゃん、泊まったことあるんか?)
そんであっという間にホテルの前だ。
しかしこれはバス使うより楽なんじゃないだろうか?
バスに散々振り回された身としては誠にそう思うのだが。
実にこの後、第三国・ウクライナでも我々はタクシーを重宝するのである。
そしてついに辿り着いた城がこちらですね。
城に着いてしまいましたぁ。
感無量だ〜〜〜、さぁて一体どんな世界が中に広がるのだろうか。
ワクワクしますなぁ。ここに泊まれるなんてディズニーランドもびっくりです。
③最終試練・鍵の開け方。
ま、まさか〜〜〜
城に足を踏み入れてからも我々は試練に直面するとはー…!
くそぅ〜謎解きゲーは嫌いだ(;_;)
俺のIQは現段階で2なのにこんなことやってらんねぇ。。。
何がっていうと、悲しいことにカウンターで鍵を受け取ってからも我々は散々な目に遭う。
まぁ、あらかじめ仕組まれていた試練なんでしょうけど。
(試練が与えられなくちゃブログ的にもつまらんし、これってむしろ感謝すべきなのでは…???)
どういうことかって言うと簡単。
部屋の鍵が開かないのである!
こっちは疲れて死にかけてるってのに何故ヨーロッパの鍵ってのはこう、どいつもこいつも開けにくいんだ。どうなってやがる。
もう旅も中盤を迎えて折り返しに差し掛かっている頃合いだが、振り返ってみると今回の旅は鍵との闘いでもあった。
とにかく、どこもかしこも簡単には開かないのである。
文章での説明が難しいが、日本みたいに右に回しきればガチャっと開いたり、左に回しきれば閉まったりしないのがヨーロッパのホテルの鍵。
もちろん閉まるのは簡単でございますよ。
確か(記憶を振り返る)…多分、右に回すだけじゃなかったか?(それかオートロックだったか、ここへんの記憶が曖昧)
しかし開ける時はなんというかね…
左に差し込んだ鍵を捻り続けながらじゃないと開かないんですよ。
言ってる意味が分からないとは思うが、日本みたいに回し切ったら終わりじゃなくて、鍵を回し続けなきゃいけないの。
言葉で言うだけなら簡単、でも、それが固くてさぁ、
つまり、どこまでひねれば良いのかマジで、そこの感触というか基準がホテルによってやや違うのだ。言ってる意味がわからないならそれでよい。実際に行けばわかるから。百聞は一見にしかず。
毎回ホテルの前で今回のホテルの鍵は開けやすかったな!〜とか言ったり、最初は下手くそだったTくんもだんだん手慣れてきて、やがては“鍵マイスター”を自ら名乗り始めるくらいにまでなっており、初日のパリの時点で既に鍵マイスターの称号を欲しいままにしていた俺としては弟子の成長を見守る老師のような気分であったのだが、しかし、そんな我々は、今回立ちはだかった強敵を前にして、痛切に無力を噛み締めた。
開かない…ひたすら開かない…
俺たちは早くベッドにどかんと寝転がって愉悦に浸りたいだけなのに…。
業を煮やして結局ホテルのカウンターに舞い戻り、長身のドイツ人のお兄さんを連れてくることになった。
いや、これ絶対ドイツ人でも開けるの難しいから〜
やれるもんならやっ…
…いや、まぁ、えーっと、あら、
ひぃ、秒で開けられてしまいましたね〜〜
嘘だ!?とびっくりして顔を見合わせる我々に、お兄さんは「(なんやこいつら)」とでも言いたげなドヤ顔だけ振りまいて、エレガントに、颯爽と去って行く。
そんな後ろ姿を見て僕らは彼のことを真の鍵マイスターと呼ぶことにした。
彼には勝てませんなァ。
まぁそんなことより〜〜〜
本日のお部屋はどんな感じでしょうね!
あーすごい、、、
こんなムーディーなカーテン付きのベッド、初めて見るなァ、、、
保健室以外じゃ見たことがないぜ、、、
でも男二人でダブルベッドをシェアするのにこれ要りますか?(今更)
いらないと思うんだよねぇ。
今までも散々ダブルベッドで熱い夜を過ごしてきた我々だが、またランクが上がってしまった。どうしてくれよう。
もう疲れ過ぎて気が狂い過ぎて、とりあえずベッドに横になるのも良かったのだが、とりあえず冷蔵庫の中身を物色するところから始めるのが旅の流儀でしょう。
ふふ、ビールあんじゃん。
そりゃ飲むの一択ですね。
このシュバルターってビールだが、いやぁ〜これが本当に美味かった。
疲れていたからっていうのもあるのだけど。
ピルスナータイプは日本でもど定番のビールだ。
あれ、これっていわゆる地ビールなのかな。
どこぞに行ってもまず見かけることはなかったので、ドレスデンとかこの地域限定なのだろう。またいつか機会があれば飲んでみたい一品だ。
兎にも角にも疲れてしまいましたわ、さあいよいよ明日はドレスデン市街の探索とまいりたいと思います。
んで、次の更新はいつになるんでしょうかね。
恐らくは6月をまたいで7月とかになる恐れもありますが、また順次更新してまいりたいと思います。もう3年前になろうとしてるので、、、記憶が薄れぬうちに早く更新していきたいもんです。
らべるのヨーロッパ紀行はまだまだ続くのでお楽しみに。
ではでは〜〜〜〜!!
『草原の実験』〜穏やかなタイトルに衝撃的なクライマックスのロシア映画〜
いやぁこれねぇ、、、
なんとなく前々からご紹介したかったのだが、最近久しぶりに観返してすげえな〜〜と思ったし、せっかくなので本日はこの『草原の実験』という映画をご紹介したい。
日本じゃ珍しいロシア映画です。だがちゃんとAmazon Primeにて無料公開されているので、興味がある会員様は是非とも観て欲しいなと。
結構国際映画祭とかでも話題になった作品らしいっすよ。
この映画を初めて観たのはかれこれ3年半も前になる(もうそうんなに経つのねえ)。まぁええわ、とりあえず何と言っても主役の女の子の可愛さに惹かれたわけなんだが。
なぁ、、、おい待て、
なんだこりゃ、
この子なんだがとっても美しくないか。
こちらが主役エレーナ・アンという女優さんだ。
典型的なロシア人というよりもどこか中央アジア的な雰囲気を醸し出しているので、この映画の配役にはとてもぴったりである。
俺は日本の女優とか声優とか、名前も全然覚えられないくらいに基本的に他人に対して興味ないんだがこの人は別格かもしれない。
ロシア人と韓国人のハーフなんだとか。
この映画、もはやこの子を鑑賞するためだけの映画だ。
間違いない。てか劇中のカメラの大部分はこの子に当てられてますし。
草原というタイトルのキーワードに、主人公のアジア系の顔つき。
その当時から俺は旧ソ連、とりわけカザフスタンやウズベキスタンといった国々に対して好奇心のような興味を抱いていたので、きっとこの映画もそれらの中央アジアが舞台の映画に違いねぇな〜〜とパケ写真を見て、そう踏んだわけである。
俺の予想は大当たりだ。見事にロシア映画。
中央アジアもソ連の構成国の一つだったので彼らの公用語もロシア語なのだ。
興味はすごくあるのに実際この地域をテーマに選んだ映画など日本でDVD化されてるのは一体どれだけあるのだろう?きっと数える程しかあるまい。(もし何か知っている映画があれば是非教えてくださいよ)
果たして需要が少なすぎるのか、供給が少なすぎるのか。いかに。。。需要はあると思うんだがな〜。
簡単なあらすじを読む限りじゃ草原の中にぽつんと佇む一軒家に住む少女と恋の話〜とか、なんだかのどかな感じに書かれてるもんだから随分と綺麗でほんわかしたお話なんだろうな〜と最初は思ったわけだ。
これは余談だが、俺は『思い出のマーニー』が死ぬほど大好きである。見事な児童文学だ。ジブリの映画も良かったんだが、あれは是非とも原作を読んでいただきたいですね。泣ける。
なんか同じ雰囲気してっからさぁ。この作品も実はマーニーっぽいんじゃね…?って思ったの。(このせいで、あとからひどい目にあうわけだが)
ちなみにこの映画、無声映画です。
セリフなんて一切ありません。
それでも心の葛藤だとか想いとかが、表情などによって観客である我々に如実に伝わってくる。とにかくすんごいねえ、こんな映画見たことないよ。
そういう意味でもこの映画は異色であると言える。
いや、そりゃ100年前のロシアには映画史に残る傑作「戦艦ポチョムキン」とかいろいろあったけれども(あれはサイレント映画)
でも時代は21世紀だぜ…???
技術的な問題とかがあるはずもなく、いくらでもセリフなんて吹き込める。
でもこの映画を撮ったアレクサンドル・コット監督はセリフをあえて入れなかった。十分。ああそうさ、そんなもん最初からいらないんだと教えてくれる。
それと同時に女優の演技力も試されるというわけだ。演劇経験者の自分としてはなんとも恐ろしい話だが。
台詞なしの役やれとか言われてもほとんど苦痛でしかないもの。
俺には無理だね。そんなの、やってられん。
主人公の少女はこんな風に草原に佇む一軒家に住んでいる。
周りには見渡す限りのどかな草原が無尽蔵に広がっていて、どこにも同じような家は存在しない。中央アジアの草原はとてつもない広さだから、きっと我々日本人には想像もつかない世界です。
それにしても、これはいつの時代なんだろうか〜。
中央アジアとはいえ、ここがソ連であることを象徴付ける小道具が、本作ではたくさん登場する。
ラジオから流れてくるロシア語の音楽や、父が持つ新聞にはプラウダ(ソ連共産党機関紙)のロゴがちらりと見えたり、彼女がトランクにしまい込んだ本の表紙にはB.マヤコフスキー(ロシア・アヴァンギャルドを代表する詩人)の名前が書かれていたり。だからこれは詩集だろうね。
例えば彼女がこんな風に葉っぱで描いていた絵。
おそらくソビエト連邦(現在ではロシア)の首都モスクワにあるこれだろうか。多分そうだ。クレムリン(日本でいう国会)にあるスパスカヤ塔と呼ばれる有名な時計塔でしょうね。
そのそばを飛行機が飛んでいる様子を見ると、彼女は果たしてモスクワに行ったことがあるのかな、それとも行きたいと願っているのかな〜などと考えてしまうのです。
多分この映画の舞台は中央アジアのどこかなんだろうけれど、中央アジアから首都モスクワはとても遠い。
それも、果てしなく。
ソ連時代にはカザフスタンもウズベキスタンも同じソ連という一つの国だったけれど、同じ国の首都とは思えないほどの距離がある。
分かりやすく言うとアメリカの西海岸ロサンゼルスから東海岸ワシントンDC並みに離れてるのだ。
おそらく当時ソ連の僻地に住んでいたほとんどの国民はモスクワには一度も行かないまま死んだのです。でもそんなモスクワという想像もつかない大都会に住む一部の政治家たちが決めた政策やらなんやらで、ソ連中あちこちの僻地では、彼らの身勝手さによって自分の人生を左右されていた人たちが数多く存在したわけだ。
あれだけ広いソ連でも、なぜだか権力だけは隅々にまで行き渡る。
無理やり工場で働かせられたりとか、好きでもない共産主義を教え込まれて、イスラム教やキリスト教といった宗教を捨てるように口うるさく言われたりだとかして。嫌になっちゃうよなァ〜好きなように農業や牧畜をさせろってんだ。
それでも田舎の方は党による統制も緩やかで、悪夢のスターリン体制下とはいえ、そこまでなかったんじゃないかなと。。。いやすまん自信ねぇわ、収容所とかたくさんあったらしいしやっぱ嘘で。
最初は少女の暮らしぶりを美しい風景とともに、なんとな〜〜〜く描いていく。
少女に思いを寄せるカザフ人(仮)の少年がいるんだが、少女はなんとなく彼に対してはそこまでのときめきを感じていない様子。あんまり二人一緒でも楽しくなさそうで無表情だしなあ。
そんなある日、少女のもとに現れたロシア人の青年。
少女は彼にときめきを感じるようになる。
細やかな表情だけでそんな心情まで読み取れちゃうなんて、やっぱエレーナ・アンの演技すごいな〜〜〜とめっちゃ思ったのよ。
しかし、そんな平凡な日常も、やがて重たそうな展開になっていく。
つまりなんだこう、暗雲が漂ってくんの。。。
※こっから先は過度にネタバレを含むし見てから読みたいって方は是非そうしてくれ〜〜〜〜。ネタバレ気にしないって方は最後まで一気に読んでください。
いつもトラックに乗ったまま、どこか知らない草原の先にあるという”仕事場”へ向かっていた彼女の父親だが、或る日、彼はふらふらになって帰宅した。
父の身に何があったのだろうか。
ただ疲れているだけなのだろうか。
その日の夜に突然、ソ連軍と思われる兵士たちが大雨の中、彼を外に引きずり出した挙句全裸にして、その身体中を何かの測定器で調べる。
おやおや、こいつは。。。
どこか悪い予感がするね。
中央アジアといえば、現在のカザフスタンにソ連時代、巨大な核実験場が作られていた歴史がある。セミパラチンスク核実験場とよばれるやつだ。
ということは、ここはやっぱりどう考えたってカザフスタンなのだろう。
もう多分カザフスタンで間違いないよ、そういうことにしといてくれ。
父は医者に連れて行かれたが、それからすぐ家に戻ってきた。
余命を宣告されたのかな。死を覚悟したのか、父は身なりを整えて滅多に着る機会もないであろうスーツをこの時初めて着込み、家の外に出したベッドの上でじっと座っていると、しばらくして、父は静かに死ぬ。
娘は父の亡骸を掘った穴の中に埋葬して家を出ようと決めたのか、父親がいつも乗っていたトラックを運転して草原の中にある一本道をずっと進んでいくのだが、途中でガソリンが切れてしまい、仕方なく途中で降り、そのままとぼとぼと歩くことにした。
いつも父がトラックで向かっていた道の先には一体何があるのだろう?という疑問が彼女の中にあったに違いない。
好奇心じみた使命感に駆られて歩いて行くと、どこまで行っても何もないと思っていた草原の先に、彼女は張り巡らされた有刺鉄線を見る。
それは横一直線、どこまでも続いていて、この先には進めないのだ。
この先には、一体何がある?
死んだ父は何故、いつもこっちの方角に向かっていたのだろう?
きっと彼女の中で謎は深まっていくばかり。
そんな疑問を残したまま、いよいよ物語はクライマックスに差し掛かる…。
家の外で例の少年と二人一緒に幸せそうにあやとりをしている最中、突然、背後の家の窓ガラスにヒビが入る。
二人が異変に気付いて立ち上がると、稲妻のような閃光がピカッと光り、風が吹く。
草原の先にまばゆい巨大なキノコ雲が立ち上り。。。
二人は互いの手を固く握り締めて放さない。
砂塵とともに、雪崩のように襲う爆風が二人を包み込み…
実験ってその実験かぇ。。。
草原の(核)実験
ここでようやくタイトルの意味を理解して思わず腰を抜かしてしまう。いや、まあ、なんとなく中盤あたりでそんな予感はしていたが…ある意味で究極のバッドエンドじゃないですか。
でも、草原のコントラストといい、キノコ雲が何故だか美しく感じてしまうのである。
1940年代の後半、ソ連は核開発に乗り出す。
おそらく本作はそのソ連が行なった核実験に巻き込まれた住民がいた、という噂に基づくものだろう。
第二次世界大戦中、アメリカの最高軍事機密であるマンハッタン計画(原爆開発)の中心地・ロスアラモスに潜入させたスパイを通じて核兵器の製造方法を仕入れたばかりのソ連は、ソ連国内の核実験に最適な場所として土地の広いカザフスタンを選んだ。
スターリンの側近であるラヴレンチー・ベリヤが指定したのが、セメイという都市の近郊の人気のない草原地帯。
ソ連政府は、ここにセミパラチンスク核実験場を建設したのだった。
「ここには人が住んでいないので、核実験場に最適である」
ベリヤのやつは本当にこんなことを言って核実験場の設置を急がせたらしい。
よく確かめもしないで核実験場を建設し、何回も核爆弾を起爆させた。
それによってセミパラチンスク近郊に住んでいた人々はひどい健康被害を受けたわけで。今でもこの地域における癌や白血病の罹患率は著しく高いと言われている。。。まだまだ放射性物質はたくさん残存しておりますゆえ。
この映画に描かれているように核爆発に巻き込まれた住民がいたかもしれない。事実かどうかはもちろん今となっては全く知る由も無いのだが。
日本でも第五福竜丸が水爆実験で軽度の被曝を受けているし、こういうことは世界中のどこでも度々起こりうる。
というか、ソ連の開発チームも、きっと当初は核爆弾がここまでの威力になるとは思ってなかったんじゃないかなぁ〜と推察する。
少女が草原の先に見た立ち入り禁止のための有刺鉄線、おそらく当初予定されていた爆弾の加害範囲はあのエリア内に収まるだろう、というのがソ連の核開発研究者の推測だったに違いない。
ところが、核爆弾による爆風は有刺鉄線をやすやすと乗り越えてしまう。
その威力は、研究者たちの予想を遥かに凌ぐものであった。
アメリカのアラモゴードで世界初の原子爆弾を爆発させたアインシュタインやオッペンハイマー博士たちも同じようなことを言っている。核兵器とは、人類の想像を遥かに凌ぐ威力の兵器なのだ。
核兵器が少女たちを巻き添えにして爆発したのは、この映画で監督が表現したかったことの一つであるようにも思う。
核の威力は人間の手に余るのだ。
他にもいろいろとこの映画で伝えたいことはあるんだろうが、結局は人々の美しくて慎ましい暮らしを一瞬にして奪い去った核兵器の恐ろしさというか歪さを監督は丁寧に表現したかったんでしょうね。
少女はマヤコフスキーの詩を愛し、葉っぱで絵を描く平凡なソ連に住む一人の女の子なのに、モスクワやレニングラード(サンクトペテルブルク)などの大きな都市に住む同じソ連の女の子たちとは違って本当のソ連を知らない。
そしてそんなソ連という彼女にとって遠い祖国は、彼女たちの存在すらも無いものと勝手に決めつけて核実験に巻き込む。酷い話です。
そういう見方をするとこの映画もぐっと重く感じられるのですよ。
しかしこの映画に映り込む世界は、何もかも美しいのです。
核爆発だって、美しいのだ。奇妙な余韻に包まれること請け合いである。
興味がある方はぜひご鑑賞ください。きっとあなたも中央アジアの魅力に取り憑かれるはず。(核兵器なんかで魅力を感じちゃまずいのだが…)
ソビエト女のファッションだ
さて本日も、「月刊ロシア」のお時間がやってまいりました…。
いつのまにそんなものが発刊されたんですか編集長
「ぜひとも月刊ムーのような胡散臭さを目指したいものです。」
…とはいえ、ちゃんと一応毎回下調べもしてあれこれ記事にしているのでそれなりの情報源やソースはきちんとあるつもりですが、時々酔っ払った勢いや深夜テンションなどの気持ちだけで書いているという側面も多々あるので、ここのブログに書いていることを100パーセント鵜呑みにされると非常に困ります。参考程度にとどめておくれ。アンサイクロペディア並みに嘘八百が並べ立ててあり、客観性には乏しい。
特に歴史認識の面に関しては韓国政府ですら腰を抜かすほど中立性を著しく欠いており、卒論の参考文献などに使えばあなたは間違いなく落第しますし、そちらの大学の教授陣が僕に総出で嫌がらせをしてきます。やめとくれ。ご遠慮ください。
さて。それでは今回も正直あまりスポットライトの当たらない話題についてお話ししましょう。
ソビエト女性のファッションについてです。
そもそも彼女たちが普段どんな格好をしていたか皆さんは想像がつくかしら。
スラヴ人とはいえ民族衣装なんか着ているわけじゃない。
無論、ソ連だからと言って皆が軍服や、中国や北朝鮮のような人民服を着ていたってわけでもない(まぁ、みんな似たり寄ったりな服を着ていたという点ではもはや一緒なのかもしれないが。。。)
それでもやはりソ連でファッションという概念は当初かなり軽視されていたのです。贅沢=ブルジョワはそもそもの敵ですから。
軍事一党独裁国家ソビエトにおいて衣服は二の次である。日常に不自由無ければデザインなんてさ、と思っている人も非常に多かった。
とにかく武器、武器、武器を生産するべく、すべてはお国のため、民需は全部後回しで、ロケット工場や軍需工場ばかりがフル稼働している有様でしたので、民需製品は常に品不足状態。
トイレットペーパーですら自国では生産することもままならない状況である(そんな国が何故世界で初めての有人宇宙飛行を成し遂げたのやら。。。)。
年から年中、戦時中みたいな国でした。
そして、そんな彼らの服のデザインを手がけるのも全て国営企業のお仕事。服を製作するのは政府の一部署にすぎません。 分かりやすい例えで言えば日本で服を作るメーカーがユニクロだけしか存在しない感じ。
おっとこれ以上はいけない。ユニクロの悪口はここまでだ。ユニクロは立派な資本主義者です。間違いない。(だからなんだってんだ)
でも確かに我々もアウターなんかを全部こういうところで揃えちまうと、街中で似たような服を着た人と出会ってしまう率が若干高くなるでしょう?
最近のユニクロのデザインは実際なかなかシャレてるし、頑張ってるし、なんせ価格が安い。あれこれブランドを考えるよりずっと効率的であるのは間違いない。
服やファッションに対して興味もこだわりも抱いてない人にはこれ以上ないほどの助け舟になるだろう。品質だって悪くないのだから。
しかしメイドインチャイナによる大量生産ゆえに他者との差別化は難しくなるし、全部をそこで揃えようとすれば、どうしても「あの人、ダサいよ」などと陰で指を差されがち。
日本人みたいな見た目(服装)やブランドをやたら気にする民族からの風当たりというのは強い。
つまりソ連という国では常時こんな感じだ。
どこへ行けども似通った服装の人間が行き交う。それでも、お互い見慣れてるし何とも思わないようだが。(ほんまかいな)
ダサいなどと言ってらんない。
だって買うところがユニクロしかないんだもん。。。
しまむらとGUとユニクロが覇権を争う日本の田舎より悲しい現実だ。
最近じゃ無印良品も頑張ってるし何より質がいいので第四の勢力と目されている(長くなるのでこの手の話はまた今度)。
そんな状況でも、なんとか工夫して他人とは違った個性溢れるおしゃれをしたいと思うのが女性の気持ちです。これに国境などない。万国共通です。どんなに高い鉄のカーテンでもやすやすと乗り越えるのだ。
そこで彼女たちは少々高価でも海外(西側)から輸入されてきた衣服やブランド品を手に入れようと奔走したのです。男性の目がどうだとかモテたいとかなんかじゃなくて、女性は常に可愛くありたいもの。鏡に映る可愛い自分を見て安心したいのです。
ソビエトの男性にはこんな女性の気持ちってのはなかなか理解されなかったらしいが。
自国では資本主義を否定しているので、みんなが好き勝手作って売るわけにはいかないけど、輸入されたものを買うのはセーフだったようで(もちろん売るには当局の許可が必要)。
でも品不足のソ連じゃそもそも国産の衣服を買うのだって一苦労だ。ダサいから輸入物の服が欲しいと駄々こねて喚いても、ソ連で輸入品を買うのは至難の技。
自国製品を買うのだってしんどいのに海外製品なんて夢のまた夢だろう。。。
さて、もはやソ連の風物詩とまでなったのはこの見事なまでの行列ですね。
一体何故こんなアホみたいな行列があちこちにできたのかというと、最初にお話ししました通り、兵器の作りすぎで国民の生活必需品の生産は全て後回しにされていたので、慢性的な品不足が生じていたからです。
共産主義国なので当然働いてきちんとノルマを果たせば、みんなお金は平等に与えられていましたが、いくらお金があっても欲しいものが手に入らないんじゃどうしようもないよ。
ルーブル紙幣?そんなハイパーインフレ状態のマルク紙幣みたいな紙屑なんかより、着実にモノが手に入る配給切符を寄越せ。
モスクワやレニングラード(サンクトペテルブルク)のような大都市へ住もうにも土地や物件は余っておらず、家はそもそも購入できない、マンションにも入居できない、そのせいで酷いあばら家に住む…なんて事案も多くありました。
結局お金を平等に持ってても、手に入る物の質や量によって格差が生まれる。
これが共産主義国の実態です。所得がいくら平等でも、どうにもならんもんはならん。
完全無欠の共産主義なんて永遠に成し得ないのがお分かりいただけるでしょう。
この長い長い行列、初期の頃は順番がごちゃ混ぜになったり横入りが生まれたりと混乱もさぞ酷かったのでしょうが、これも徐々にソビエト式に洗練されていきます。
並んでいる最中にも一旦列を抜けられるように(だって何時間と待つ羽目になるので)、人々は自分の一個前に並んでいる人に今並んでいる順番を聞いて、その次の番号をボールペンやサインペンで手のひらに書き込みます。
後ろも同じ。みんな手に自分の番号を書いて、順番が近づくまで他所で他の用事を済ませたりしていたそうですよ。
さて、ようやく自分の番が回ってきた、というところですが…お店の中に並んだ品物を見渡しますが、この時、並んだ順番が遅かったほど店頭に残っている品物の数は当然少なくなっています。
もしくはせっかく並んでいたのに何一つ物が残っていなかったとか。
ソ連はあれです、やっぱコミケです。日常が数少ない同人誌の奪い合い。
話が徐々に脱線気味ですが、そんな風にせっかく海外ブランドを手に入れようと意気込んでお店に並んでも、早く並ばなくちゃいいものはなかなか手に入らない。
ちょっとズルいけどお店の店主と事前に仲良くなっておくことで「○○日に海外製品が入荷するよ」などという情報を事前に得ることができ、その店の前にいち早く並んでしまう、なんていう手法もあったりしたそうです。
ちなみにソ連では、街中で行列を見かけたらとりあえず何を売っているか分からなくとも並べという教えがあったので、みんなそんなスタンスで生きていました。
並んでいれば何かいいものが買えるかも〜くらいの気持ちですよね。
今日は絶対にこれを手に入れるぞ!と意気込むほど手に入らなかった時のショックは大きくなるので、ロシア人のこの姿勢は我々も見習っていきたいものです。
もちろん官僚のようなエリート男性と付き合うとか結婚することで海外ブランドを手に入れるハードルもぐっと下がったそうですが…なんかそれは、もう裏技というかなんというか〜なので省略。
特権階級(ノーメンクラトゥーラ)というか、赤い貴族とでもいうべきか。
共産主義の矛盾である。
さて、海外ブランドもなかなか手に入らない。じゃあどうするのか。
自分で作ってしまいましょう。
当然に、このような考えに至ったわけです。
自分で作って自分で楽しむ分には特に規制もありませんでした。
布地や糸はまだ既製品に比べて手に入りやすかったのです。
東欧の布地はレトロ感あってとても可愛い。ワンピースなんかは簡単に作れるという理由もあってかかなり人気でバリエーションも豊富でした。
そもそも書店などに足を運ぶと衣服のファッション専門誌や、型紙が付いている本まで売っていたほど。
70年代から80年代にもなるとソ連政府がいかにも自分で作ることを推奨しているのかと思ってしまうほど店頭に並んでいる本や雑誌の種類も非常に多くなっていきました。
もしくは衣服を作れるメーカーや専門家に布地を渡して直接依頼し作ってもらう、という手段もありました。オーダーメイドというやつです。
もちろんそれなりに高額な出費にはなってしまいますが、他の人とは異なったデザインのコートを一着持っているだけでもその優越感は凄まじいもの。
文豪ゴーゴリの『外套』という本にもなるくらいロシア人のオリジナルの外套=コートに対する思い入れは強い。
確かに冬の長いソ連でアウターは特にこだわるべき一品です。異論はない。
さてここまで述べた通り、自分で作るのもいいし輸入品を着こなすのもいいのですが、実際に品質だけで言うとグムといったモスクワのデパートに並んでいるソ連製の衣服の方が、デザインの品揃えは最悪だけれど何年も着回すことができて、とっても丈夫だったそうです。
ソ連製の衣服に関してはダサいだとか種類が少ないだとか不満や悪口が多いけど、良い点もたくさんありました。
一応念のために擁護しておきますね。
ごわごわするやつばっかだけど。特に綿のストッキングは丈夫だけど不評だったりとか。国民すべてに供給するためにどんな衣服のサイズもきっちりとした規格が定められてたりとか…ウール製の制服は汗を吸い込んで臭いとか、とにかくダサいとか(あー結局悪口だ)。
それではソ連時代の87年から89年頃に雑誌で紹介されていたオシャレで可愛いお洋服を紹介していきましょう。
この頃のソ連は崩壊も間近に迫っていてゴルバチョフによる改革=ペレストロイカも進み様々な規制が取り払われ、おかげさんでソ連人民のオシャレ感覚も飛躍的に進歩しました。
おまけにはなりますが最後はソ連の子供達の制服を紹介して終わります。
こちらはもちろん全てがソ連国産の制服。
みんな一緒だけど、デザインは古風で可愛らしいし、なんだかんだ言っても人気です。
こういう制服は上の子のお下がりを貰うことが多かったそうですが。
ちなみにソ連エストニア共和国(91年にソ連から独立)なんかでは三年に一回ほど新品と交換になったりしたそうで、連邦の中でも共和国によって待遇が違ったりしました。
上の制服の原型は帝政ロシア時代からありますし、もちろん現在のロシアでも着られているというので大変息の長いデザイン。
ピオネール青年団は、世界がイギリス発祥のボーイスカウト連盟に突き動かされていく中、ソ連独自に発展した組織で、やがては東ドイツなどの東側同盟諸国の間でも広まりました。
ボーイスカウトと基本的な活動内容は一緒でも、入団するためにはある程度の成績優秀者でなければならないだとか、年齢制限があったりとか、いろんなハードルがあったとか。
式典で行進したりサマーキャンプで共産主義思想を教え込まれること自体がというより、胸元に輝く彼らの赤いスカーフやレーニンの肖像画が刻まれた赤いバッジこそが少年少女たちの心を何よりもくすぐったのです。
クラスでピオネールに所属していた子供は、周囲の子供たちから渇望の目で見られていました。
いかがでしたか。ソ連の衣服に対するイメージが変わってくれれば自分としても本望です。
それでは次の機会にまたお会いしましょう。
欧州遠征録【5】ローテンブルクの中世犯罪博物館。
尺の関係もあるので余談は極力省きたい。
毎回長ったらしくてとても恐縮です。
ここ最近の動向ですが、やっと引っ越しが完了して5年間住んだ関西にさよならしたぞ〜と思いきや、今度は何かと言うと公務員試験の勉強にあてがわれている。
自分でも驚いたが勉強するのは案外楽しいのであまり苦ではないが、こうやって合間にブログを書くのは本当に良い息抜きになっている。
2016年9月12日。我々はディンケルスビュールで心地の良い朝を迎えた。
昨日の疲れがまだ残っているものの5時ごろすぐに目を覚ます。旅行に来てからというものやけに早く目覚めるのが常態化してしまっていた。
これが時差ボケってやつか???
それにしても今日この街を朝7時半には出なくちゃいけないとは、おかしいな。。。
だがディンケルスビュールからローテンブルクまでの電車なんて無い。
ローテンブルク行きのバスは朝7時41分のやつ、その次は10時半…。
この辺の交通の便の悪さがディンケルスビュールに観光客が少ない理由なのは明らかだ。
ローテンブルクを午前中で十分に観光して夜までにドレスデンに到着したいなら当然、朝7時半のバスに乗るしかないってわけだ。
ローテンブルクからドレスデンまではグーグル先生の乗り換え案内だと5時間近くかかるという噂。
おい誰だ、旅行日程を組んだの。
ドイツは思ったより広いっすね。それが今回の旅の教訓でございましてね。
訪れる際には余裕を持ったスケジュールをお願いします。
6時ごろに朝ごはんを食べるため一階に降りる。
こぢんまりとした自宅の食堂みたいな小さな部屋で、二人がけのテーブルが二つか三つほどしかない。一応ビュッフェ形式なので近くに並んだトレーの上からパンやハム、チーズを自由に取る。
給仕はおばさま一人だけ。コーヒーか紅茶かを選べたので紅茶を。
・・・まるで貴族にでもなったかのような気分を存分に味わう。
ああ〜〜今日がディンケルスビュール最終日ねえ、、、
昨日の魔法にかけられたような余韻はいまだに消えない。できればディンケルスビュールじゃなくてもいいからローテンブルクあたりでもう一泊したいくらいよ。
もはやロマンチック街道上で死にたいまである。
部屋を出ようと荷造りしている間にも聖ゲオルグ教会の鐘が近くで打ち鳴らされていた。
ゴンゴンゴンゴン
しかし、すごい音。こんなに耳元で鳴らさなくても。
(カーテンを開けたらでかい教会が見える見える…)
そうか教会の真ん前なんだよなぁこのホテル。。。
脳内に直接響いてくるこの音で街の人たちはみんな目を覚ますのだろう。
まだ鳴り止まぬ鐘の音を聞きつつ、人通りのない街路をバックパッカーなる二人の日本人がトボトボ歩く。
ところで朝の街は朝の街で大変趣があっていいものですね。朝日が城壁を美しく染めているんですよ、昨日もパシャパシャ撮ったばかりだけどこの日もカメラを手放すことはできませんでした。
城壁を越え、バス停に向かうとバスは時間通りちゃんとやってきました。
ちょっといかつい強面のおっちゃん運転手にお金を払うと面倒臭そうにしながらも切符くれました。
バスに乗っていたのは我々二人だけで、ある意味貸切状態。
そしてもちろん、運転は荒い。
荒すぎる。
棒に掴まってなきゃ余裕でぶっ飛んでガラス突き破って、死にます。
そしたらSAYONARA。
シートベルト?そんなもん、はじめからねぇヶド?
なんでヨーロッパに来て初めに死を悟る場所がバスなんだ、おかしいぞ??
(凄まじいブレーキで飛ばされかける我々)
↑↑運転手↑↑
おい運転手。
そもそも海外に来てまで絶叫アトラクションに乗りたかったわけじゃない。
アトラクションってのは安全が担保されて初めてアトラクションの体を成すから、安全の保証されてないもんなどアトラクションとは呼ばないんだよ。(正論)
そんなわけで数十分後、悪夢のバスは見知らぬ町のバス停に停車し、下車し乗り換えのために他のバスを待つことに。
次のバスも時間通り停車しましたね〜。
平日のこの時間帯とあって利用客はやはり我々以外誰もいません。
だから今回も大きな車体は、またもや二人の貸切状態。
貸切だからって一体なんのメリットが〜〜って感じする。
さて、乗り込んだバスもやっぱりアクセル全開、すっ飛ばしで走る。
まあでも、流石に慣れた。こうやってドイツに住む人間はアウトバーンに適応していく。
危険な民族。ナチズムより危険。
さて、ひとしきり揺さぶられ、どっかのバス停でまた乗り換えのために降車します。
バス停でうろうろしていた我々を気に留めたのか、先程降りたばかりのバスから運転手のおじさんがわざわざ降りてきて、
「あんたたち、どこに行きたいんだ?」
と聞いてきたので、ローテンブルクに、と答えます。
「ローテンブルク行きはあっちのバス停から発車だよ〜」と親切に教えてくれて、運転手はバスに乗り込み、去っていった。
なんと親切!
昨日のノイシュバンシュタイン城の奴らとは違うぜ!
素直に感動しました。そして言われた通りに待っているとローテンブルク行きのバスがやってくる。
数十分揺られたのち、ようやくローテンブルクに到着した。
城壁がとても大きいし、観光客らしい人の数からしても街の規模の大きさが伺える。
目の前にそびえる城門をくぐります。
いかにも古そうな、いかにもな城壁。上には見張り台が。
くぐりました。
そして門を抜けたところで真横を見つめると、まさかの、その城壁を登るための階段とかがあったりする。いやに古ぼけた階段だ。
え、まさか、この城壁、登れるの?
登らない手はないでしょう。
頭の中の小学生が騒いでいる。
登ります。
古ぼけた木とレンガなどで形作られた何百年という年季の入った階段を上がって、街を囲む城壁上の通路をぶらぶら歩くことに。
櫓の上からはオレンジ色の美しい家の屋根が見渡せます。どの建物も非常に古めかしい。
長い通路みたいになっていて、横幅はギリギリ人が二人横一列で歩けるくらいの狭さ。
向こう側から歩いてきた女性二人組のアジア系の観光客と途中出くわしたりもします。
頑張れば街をぐるりと一周できてしまうのだが、そんな時間はない。
正午過ぎくらいまでに街を一通り観光して、ドレスデン行きの電車に乗り込まねばならないのだ。ゆっくりすることもかなわない旅。誰だよこんな旅行計画立てたやつ。
というわけで一通り物見櫓を満喫したら再び階段を駆け下りて、ようやく市街地に入場。
いやー旧市街ですね。ほんとに。
市内の観光は一旦置いといて、ひとまず本日の目玉であるローテンブルクの中世犯罪博物館へ向かう。
この博物館はやたらと日本人観光客が多いとか。
だって日本人は大好きだよね、魔女狩り。
おかげさまで博物館に入るなり、目に飛び込んできたのはドイツ語と英語の説明書きに並んで、日本語の説明書きだ。すでに訪れる日本人の数の多さを物語っている。
中世の時代に使用された拷問器具が山のように軒を連ねておりました。そもそもこの博物館の建物自体、外観もそうだが中身も大変古めかしく、当時の牢獄をそのまま博物館に改装したんだとかなんとか。
地下に降りる途中、生々しい地下牢の跡が残されておりました。
石造りの地下牢に小さい天窓から光が差し込む。そしてそんな地下牢の真ん中には拷問用のトゲトゲのついた痛そうな椅子が。
座ると痔になりそう。
慢性的に痔になる筆者もこれには度肝を抜かる。
これじゃあ何回痔になっても敵わん。。。
ともかく、ここに縛り付けられた囚人は目を覆いたくなるような拷問によって悲痛な叫び声をあげていたんでしょう。一瞬でケツの穴がいっぱい増えたことでしょう。悲惨すぎる。
棘一つない便座に座って痔になる我々は恵まれていますね・・・。(><)
ガラスケースに飾られるかつての拷問器具はどれもこれも痛そうですが、特に有名なのはこちらですね。光の反射で上手く撮影できませんでしたが、こちら世界に数点しか現存しないという貴重な拷問器具「鉄の処女(アイアン・メイデン)」。
説明するのもおこがましいですね、ご存知中には鉄針がびっしり、閉じると当然中にぶっこまれた魔女は蜂の巣に。
実際には使われてないらしいけど。
いやだって。。。こんなん、拷問ちゃうやん、、、
ほら、拷問には拷問の趣旨とかそういうのがあってぇ、すぐ殺しちゃったらダメじゃん。。。?
被告を拷問して自白に導くのが魔女裁判の最たる目的なんですから。
最初は散々に拷問して「はいそうです、私が魔女です😭」と、自白させるの。
大陸における魔女の処刑方法は火あぶりが基本でしたがイギリスでは首吊り等も積極的にやっていったのだとか。
魔女裁判ってのは一種の集団ヒステリー。そんな当時の一大ムーブメントの火付け役になったのはまさに本でした。
当時は活版印刷術が生まれて100年経つか経たないかの時代。
グーテンベルクの活版印刷術は革命をもたらし、それまで非常に高価で手の届かなかった本や聖書が比較的安価に(それでも十分に高価だったが)民衆の中に浸透していく時代でしたが、たくさんの書籍が世に出回ってくると、当然、今の時代でいうベストセラーなるものも生まれてくるわけですよ。
ええ、そうです、要は、その時代のベストセラーの本の中に、日常に魔女が潜むというデマを書き込んだ宗教裁判官がいた。
デマをデマと判断するだけの冷静な知識なんて民衆にはありませんから、すぐに信じちゃうわけです。
当時の宗教裁判官ハインリヒ・クラーマーが書いた「魔女に与える鉄槌」という本の与えた影響はとくに計り知れないと言われている。
そもそも魔女狩りという行為自体は、けっこう昔からあって。1400年ごろの本の挿絵には箒に跨る魔女、いわゆる魔女のステレオタイプが登場しております。
妖術を使ったと噂された女(男)を捕まえて殺すような行為は散発的に行われていました。それを今度は組織的に、大規模に行ったのが16世紀以降吹き荒れた狂気の魔女裁判だったわけです。
ヨーロッパの大陸中あちこちの村や街で行われ、イギリスでもアイルランドでも、場所を変えて発見されたばかりの新大陸アメリカでも、魔女狩りは当然のように行われました。
ところで、一番好きだった展示物をご紹介。
こちらの仮面は、家畜や不気味な人間の顔をかたどった鉄のお面です。
”汚名のマスク”などという展示名が記載されている。
魔女狩りとの直接的な関係があったかは不明ですが妙な噂を流したり、公衆の面前で下品な言葉を連呼した者は特にこのマスクを付け、鎖で街頭に繋がれて晒し者にされる、とかいう刑罰があったとかなんとか。
上の写真で舌が出ているのは、その人物が”おしゃべり”である証。下の写真の豚のマスクなんて息をするたびピーピー音が鳴るらしい(真偽のほどは不明)。
他にも、これなんてどうですか。格好良くないすか。
これは死刑執行人のマントです。いかにもファンタジーに出てきそうな。。。
中世ドイツには厨二病が蔓延しておりました。
もはや当時流行っていた黒死病(ペスト)に次ぐ救い難い病気だ。
魔女狩りでは男性も数多く犠牲になったが、女性蔑視の風潮が魔女狩りの根底にあり、かつ、拍車をかけたのは確かだろう。
さて拷問博物館の展示にはひどくお腹いっぱいになったので、一旦博物館の中庭に出ましょう。
またしても可愛いドイツ猫に遭遇。よく写真を撮らせてくれます。ここの館長か?
毛並みが美しくて本当に可愛いし、和みますね〜。
んで、中庭を抜けると同じ博物館の別の建物に入ります。
あとちょっとだけ展示が続くらしい。やれやれ、せっかく猫で和んだところだが見てやるか〜という軽い気持ちで入ると…
ごめんなさい。俺が悪かった。ありがとうございました。
他には特にこれといって珍しい展示もないので。もう他にいうこともないかな。
そしてようやく博物館を出る。中央の市庁舎に面した大きな広場まで戻ってきました。
噴水のそばまで歩いてくると突然、同行者のTくんが叫んだ。
「畜生、うんこをかけられて動けない」
うんこ、、、?
よく見たら肩に白いものが。どうやら鳥の糞爆撃を食らったらしい。
その光景にひとしきり爆笑して、どうやら彼は荷物番をしてくれるというから市内を一人でぶらぶらすることに。
おみやげ屋さんでいろいろなものを買ったりもする。
さて、犯罪博物館という今回の最大の目的を達成し、少し手持ち無沙汰になったが、こういう中世都市に来てやることと言ったら、やはりあれ。
店の軒先にぶら下がった看板の写真コーナーのお時間です。(今回限り)
フラクトゥールっていうんですよね、こういうドイツの伝統的な独特のアルファベットのこと。
いろんなデザインがあって 面白い。これって職人さんが一つ一つ金属を加工して手作りしてるすごい看板なんです。細やかな装飾が本当に綺麗ですね。一体どうやって作っているんだろうか。誰か工房見学のツアーとかやってくれんかな。
看板巡りもひと段落したところでお昼ご飯を堪能する。
屋外で味わうお昼ご飯は最高だ。
ザワークラウト(キャベツの酢漬け)が異常にドカンと盛られたブルストはワインにとても合います。いやわからんけど。実はビールの方が合うかも知れん。酔えりゃなんでもいいんだ。
テラス席からの眺めもまた…
う、、、うげえ。。。
本当にこの世の全てを手に入れたような感じ。なんだろうなこの絶景。
ドイツの何が好きって、やっぱり何度も言ってる気がするが、この道の清潔感ですね。日本にいるとすっごく当たり前のことなんですが、そんな当たり前が実はすごく貴重なんだとこの旅で気づかされました。
あと窓に飾られた花だって、どの街でも当たり前になってて、すごく綺麗。
手入れが大変そうだけどすごくこだわってる。
ローテンブルクに来て本当によかった。
さて、残念ですが…この辺でこの中世都市ともお別れしなければならない。さようなら。またいつか。
このあと電車でドイツの端にある街・ドレスデンに向かうのですが、ここからドレスデンまでの旅の行程を書くと非常に長くなりそうなので今回はこの辺で切り上げたい。
懸命な判断。
ではではまた次回!